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2020年12月30日

 本当は、夢か現実かも判らない。けれど夢の反対を現実と呼ぶのは何か違うのではないかとずっと思っていた。

 頭の上の青空が遠く感じるのは薄い雲がかかっているからか、自分が小さくなったのか、世界が大きくなったのか。六十四階建てのビルの屋上で苦い板チョコをかじりながら、晴れやかな空の真ん中に空飛ぶ人間の姿を思い描いている。

 そう遠くないところでカラスがガアと鳴いた。

 夢の中で会ったのだ。

 あの場所には真っ赤な空が広がっていた。悪い夢そのものの赤い空に、怖いくらい真っ黒なビル影がいくつも突っ立っていた。

 そのような場所で、自分はずっと道路を歩いていた。自分の死体が横たわった台車を押しながら、敷かれたばかりのアスファルトでできた真っ黒な道をぺたぺた歩いていた。暑くも寒くもない、痛いくらいに制止した空気を肩で散らしながら。

 あの時のことだ。赤い空の彼方から、夜な夜な夢の中で空を飛び回っているという僕の友達が舞い降りてきたのは。

「ねえ、死相が出てるよ」

 ハンドサインを交わすだけの挨拶を終えるなり、開口一番にそう宣った彼は、あいかわらず歳のわりにずいぶんと無邪気な顔をしていた。そしてきらきらの瞳でにこにこ笑いながら、僕の隣をついて歩いてきた。

 空を飛べるくせに地に足を着けて歩いてくれるのは、彼なりの気遣いなのだろう。あるいはもしかすると、僕が想像しているよりも彼は僕と過ごす時間を楽しんでくれているのかもしれなかった。実際のところ彼は、トレーディングカードゲーム以外では彼自身の人生を含む全てにあんまり興味が無かったのだろうが。

 暗い道をふたりで歩きながら、僕は彼に色々な話をした。今度受ける資格試験のこと。某バーチャルアイドルの契約更新にまつわるいざこざのこと。同じものを好きな友達を作るべきか作らないべきかということ。結局やらなかった去年の確定申告のこと。戦争映画を観ていると笑ってしまう悪癖のこと。

 母親との電話のことも。

 昨晩、土地の相続について母親と電話しているときに、ふと子供の頃に聞いた話を尋ねてみたのだ。自分には双子の弟がいたけれど、魚に呑まれて死んだらしいという話を。けれど母は、お前が川で遊びたいと言いまくるから驚かすために出鱈目なことを言ったのだと否定しただけだった。

 けれど本当のところは、そんな話をどこで聞いたのかも定かではないのだった。

 ずっとずっと喋りながら歩き続けていると、やがて道路をはずれたところに蓋の外れたマンホールが現れた。アスファルトの黒よりも深淵に近い色をしたそれは、道端に突然開いた地獄への入り口のように見えた。

「落ちてみる?」

 へらりと軽口を叩いた彼を見て、僕は「バカかよ」と応酬した。そして台車の上の死体をマンホールに蹴り落としてみたが、十数秒ほど待ってみても地面にぶつかる音はしなかった。自分の死体が消えていった深い深い闇の真ん中を、僕はバカみたいに見つめていた。

 やがて耳元で、彼の鈴のような声がした。

「おめでとう」

 彼のことは本当によく覚えている。高校で同じクラスになっただけで、一度も話したことなんて無いのにだ。

 ――。

 そう遠くないところで、ドスンと重たいものが落ちた音がした。

 この屋上のどこかだった。青空を怒らせないようにそっとうろついてみると、それはすぐに見つかった。テレビアンテナの下に、見慣れた自分の死体が転がっていた。

 よほど高いところから落ちてきたのだろう。真っ青な空に囲まれた場所で、四肢が千切れ飛んで臓物を撒き散らした真っ青な髪の血まみれの死体は、不思議と馴染んで見えた。

「おめでとう」

 誰が言ったか。電波がきこえたのか。

 頼りない耳もろとも切り刻まれるくらいに、年の瀬のはずれに吹く風は冷たかった。キャップの上から両腕で抱えた頭の中で、実在しない弟が伊達巻を一本丸ごとかじっていた。