第三部 第一章
「オッサン! そんなところで寝てちゃ邪魔なんだよ!」
若い男が 壮年の男の頭を蹴っている
「さっきから 気色が悪いわ…」
町娘が見下ろす先に 酔い潰れた男の姿があった
その顔には深いシワが刻まれ 表情が読めないが
時折ひくひくと 口元が歪み 笑い声とも泣き声ともつかない
外国のものと思わしき言語を 呟くのであった
胸元から覗く南蛮銃に刻まれた ラテン文字
教養があるのかもしれないが その姿はあまりにも みじめなものだった
ふぅむ
私を主役とした 物語
今まで経験をもとに 執筆してきたが 流石に自分の死までは分からんな
パリッとした 高級そうな羊皮紙の前で
万年筆で唇をこつこつ叩きながら
男が ため息混じりの声を出した
男の名は ペリー
先ほど路地の中央に倒れていた男だ
見ず知らずの人間に 頭を蹴られ 罵倒されていたが ペリーにとっては日常茶飯事な出来事であった
「直弼の野郎 気がついたら 宿屋から逃げてやがった
お陰で猿どもに 金を払うめに あってしまったじゃないか」
思い出しただけで 吐き気がする
この男は 二日酔いであった
いや正しくは 四日酔いである
毎日のように 浴びるように酒を飲み 一つえずいては吐き 辺りに汚物を散らす
この 白髪赤顔のワシ鼻の男を
町人は 南蛮哲 と読んで忌み嫌った
この哲とは 過去にこの地で殺人を繰り返した 『人斬りの哲』のことである
南蛮人特有の赤顔を 人斬り哲の返り血に例え
江戸の商人達が名付けた とんちと 風刺の効いた仇名であった
ペリーは直弼と呼んだ人物を探していた
風の噂では 濃で殺人にくれているとか 京で殺人にくれているとか
すれ違っただけの町民を 二町先まで追いかけて 首を落としたとも聞いたことがある
とにかく血生臭い噂には事欠かない 危険な男だったが
何故そんな 危険な男を ペリーは探そうとしているのか
「金を返してもらわなきゃならぬ…」
針金を鋸で弾いたような おぞましい声が響き渡った