15.リバーサイドメモリー

 それにしたって涼しいというには寒かった。気が付けば霧の赤さがすっかり無くなっていたかと思えば、赤い熱が去ったこの空間は、見通しの悪い底抜けの冷たさへと落ちつつあった。地獄の数えきれないほどの刑場の中には氷や寒さをテーマとしたものもあったが、いまキリウと基地嶋を包み始めているこの冷たさは、それらとは根本的に違うものだった。

 例えるなら、月の裏側の冷たさだ。地獄というのは、全域が常に強烈な炎の中にあるわけではない。そもそも地獄は巨大な坩堝のようなもので、火を入れ続けていなければ本来はこれくらい冷たいものなのだった。シャフト内部の冷たさは決して得体の知れないものではなく、ただ地獄の本来の冷たさがそこにあるだけだった。

 ――「気温が三度変わるだけでダルいんだし、宇宙背景放射の3Kってスゲーんだろうな」――新入りの若い鬼がアホそうな顔で言った。それを聞いて、管理鬼はあからさまに眉根を寄せた。何か表現に引っかかるところがあったのだろう。しかしわざわざ噛み付く元気は無かったのか、地獄タバコの真っ赤な灰を落としながらこう答えた。「寒いところは鬱病になるからダメだ」――何の答えにもなっていないのに、若い鬼はちょっと納得した風に頷いていた――。

 寝不足のキリウは、ふいに頭の中に浮かび上がったその光景を振り払った。あの時、すぐそばで聞いていたキリウには全く意味がわからなかったが、中でも一番わからなかったのは、話の最中に若い鬼の眼球の左右が入れ替わっていたことだった。それはおそらく嘘を意味していた。正味な話、あの若い鬼は地形図作成のための調査業務の結果を、信じられないほどごまかしていた。

 亡者と接して長い獄卒は、だいたい嘘がわかると言われている。噂によると、閻魔が愛用する鏡には鬼の眼球の水晶体が使われているらしい。

「なんか、雨のせいで炉が止まったとこがあるって。いま連絡あった」

 キリウは霧で濡れた個人用端末をぴしゃりと叩いて、すぐそばを歩いている基地嶋に言った。

「だいじょぶなんか」

「すぐ直ると思うけど」

 はぐれたのがよほど怖かったのか、哀れな基地嶋は、今やキリウの頭陀袋の肩紐を細い指で強く握って離そうとしなかった。キリウがミントキャンディを取り出そうとごそごそやっている時すらそうだったので、じゃあ持ってもらおうと思って頭陀袋を外して渡したら、驚愕の形相になった基地嶋からどつかれたのがつい先程のこと。

 そうして流体コンパスに連れられて、何一つ景色の変わらない冷たい霧の中を歩き続けているうち、ふとキリウは足元が荒れだしてきていることに気が付いた。このあたりは巨大な岩石の寄せ集めのような地形をしているのだが、進むにつれて段々と、その岩の表面が砕けたり剥がれたりしてきているようなのだ。

 それは石の雨が降ったからか、あるいは地下で地獄ナマズが暴れてでもいるからなのか。どちらにせよ、肌寒い霧の中で石の欠片を踏んでいると、キリウは今でもそばに『河原』があるような気がして硬い皮膚がざわついた。それは今では睡眠槽に溶け出した記憶、キリウが地獄に来るよりも前にいた場所の記憶の微かな痕跡だった。

 

  *  *  *

 

 キリウは獄卒なので、もちろん生前の記憶はとっくに失われている。しかしかつてはひとりの亡者でもあったために、必要な認可をもって照会可能なデータの中には、今日でもその断片が残っている。

 XX年XX月XX日、ヒト、親不孝、いくらかの殺生。

 全て合わせてもアイデンティティにするには頼りなさすぎるが、ぼろきれのような亡者としては必要十分な情報だった。親不孝というのは、親より先に死んだ子供へと言い渡される一般的な罪だ。そこに殺生が並ぶのは、感情の行き場を求めて自分よりも小さな生き物を殺すことがあったせいだ。

 キリウは、ただ親より先に死んだだけの子供だった。しかしキリウ自身はそれを、殺されたも同然だと思っていた。

 間違いなくそう思っていたはずだ。その実、それは後に睡眠槽が見せる夢の中でキリウが勝手にそう思い込んだだけで、当時のキリウが何を信じていたのかは、今となっては想像するしかない。けれどそう考えでもしないと、キリウが最初から今まで――自分が『賽の河原』の亡者だった頃からずっと欠片も転生する気が無かったらしいことに、キリウ自身説明がつけられないのだ。

 キリウがその河原を自分の目で外から見たのは三度だけだった。一度目は、右も左もわからないまま転げ落ちるように死出の山を越えて、ぼろぼろになってそこへ辿り着いたとき。二度目は、度重なるキリウの反抗にブチ切れた獄卒に引きずられて、地獄のシャフトへ連れて行かれた道すがら。三度目は、厳重に監視された塀の中から抜け出して、石積みをしてひとり遊んだとき。

 親より先に死んだ子供たちが収容される『賽の河原』の実態は、三途の川の手前にあって、地獄の管轄である工場群だった。ほんとうの名前は煉供所というらしいが、そんなことはどうでもいい。

 これは後にキリウが獄卒になってから解ったことだが、キリウがいた第七工場では、地獄の詰所や宿舎で購入できる品物を作っていた。他の工場もほとんどは同じで、噂では天の国や修羅の国のものを含め、霊界の労働者向けの嗜好品を幅広く作っていたという。たとえ天の国と言えど、その名の通り使い走りの天使たちの身体に入るものは獄卒たちのためのそれと品質的には変わりなく、違いといえば飴玉の色くらいのものだったとか。

 ゆえに霊界の心の隙間は、賽の河原に染み込んだ血で埋められていると言えた。それらを作ることはまぎれもない善行だった。実際のところ、与えられたものを何一つ返さないまま、親の供養もできないままに死んだ子供たちは、当時のルールにおいても明確に業を抱えた状態だった。それを単純な労働で清算できるのだから、悪い話ではないはずだったのだろう。

 賽の河原の労働は、伝統的な石積みとは異なり、わざわざ鬼が成果をひっくり返しにくることは無かった。とはいえ、かつて積まなければならなかった石の量に換算すれば、仕事の量は数倍に膨れ上がっていた。親不孝者たちは機械同然に扱われ、みな仮初の身体をボロボロにしていた。同じ子供だらけの場所であれど、今の電波地獄のカスどもとは異なり喧嘩するような暇は誰にも無く、鬼の地獄耳を恐れて一切の私語すら無かった。ただ全員が一様に虚ろな顔をしていて、それが崩れるのは鬼に金棒で打たれて苦しむ時と、他の誰かがそれをされているのを遠巻きに眺めている時だけだった。

 後者の顔が引き攣りすぎた笑顔に似ていることを、キリウは自分の目で見て知っている。

 キリウがどれだけあの場所にいたのかはわからない。しかし少なくとも、自分の全てがそこのものであると錯覚を起こす程度には長い時間だった。

 そのころのキリウは生前に色々あって魂が壊れかけていたが、賽の河原も子供の数が足りなかったので、十把一絡げで収容されて以来、ひとりずっと灰色の中にいた。濁った心、濁った記憶、濁った眼球こそがキリウだった。どこからか転げ落ちて死んだあとも、追い立てられるように死出の山を越えてからも、キリウの魂はずっと灰色の水の中にあるのと同じだった。そのようなさまだから注意力は散漫で、作業の手際はあまり良くなく、というか、ずいぶん怪しかったと言えた。そんなんでもやっていけたのは、それでも足りるほどに、賽の河原での作業が簡単で単調なものであったことの証拠ではあるが。

 ある日とうとう、起こるべくしてそれは起きた。地上でまれに見る大規模自然災害があった後のことだった。霊界での受け入れを見越して、いつもより多く回っていた地獄タバコの製造機械に、キリウはあっさりと巻き込まれた。そして、あまりにも嫌な音を立てながらラインを血に染めてしまった。

 ことごとく陰気で、泣くことと癇癪を起こすことしかしない賽の河原の子供たちも、この時ばかりは叫び声を上げた。パニックになりながらキリウの身体を引っ張り出そうとした者は、奥のほうがちぎれた感触にびっくりして手を離した――この話はすべて後でキリウが他の子供たちから聞いたことだ。監督の獄卒がすっ飛んできた時はすでに、キリウのずたずたになった全てが、タバコ巻き機の内部構造をすっかり汚染していたという。

 次にキリウの意識が戻ったのは、しかしすぐのことだった。キリウは半壊した身体を工場の床にへばりつかせていた。怒りのおさまらない監督が、桶の中で再生しかけのキリウを床にぶちまけたからだ。賽の河原といえど、欠員がすぐさま生産能力の低下に繋がるほど脆弱な体制ではないが、監督の怒りは別のところにあった。

 いつかやると思っていた!

 怨嗟のこもった怒鳴り声とともに、力ずくで大きな足に踏みつけられたキリウは、固まりかけの身体が再びぺしゃんこになった。続けざまに蹴飛ばされ、金棒の先で残りの骨をやたらめったらに叩き砕かれている間、馬鹿みたいに怒り狂っている鬼とは対照的に、キリウは声も出せず身体の中身を吐き出すだけ。

 キリウの魂は壊れかけだったが、苦痛も感じないほど壊れていたかといえばそんなことはなく、この一連の出来事は、キリウの小さな人生の中で最も恐怖と苦痛に満ちた時間だった。しかしそれを表出するための部分は、哀れにもすべて壊れていた。そして鬼にはそれが気に食わなかった。若い鬼だったのだろう、鬼となっているからには望みがあったのだろう、多少報酬がよくても賽の河原のガキどものお守りはストレスフルだろう。それを知る由もないキリウは、灰色の中で彼の恨み言を聴いていた。

 

 だいたいてめえは親不孝じゃなくても殺生で地獄行きのクズのくせに!

 供養してくれる親もきょうだいも友人もいやしない!

 てめえの供養くらい、勝手にやって、さっさと転生しちまえ!

 

 血に汚れた灰色の水底で、キリウは彼が抱く感情の断片を見つけた。それは、彼が『それ』をされたくないという強烈な感情だった。『それ』とは、こうやって使えないガキをつぶすことか? いや、そうではない。

 金棒で頭を潰された瞬間、キリウの魂のずっとずれていたところが、グチャッと音を立てて繋がった。それから鬼がキリウのもとから離れ、洗浄した部品を組み直している機械鬼たちをどやしつけているのを聴きながら、キリウは理由もなく確信した。

 あいつはラインを止められたくないのだ。

 それは電波にも似て、キリウの空っぽの頭にまるで外側から入ってきたかのようだった。この時キリウは、自分の中に初めて生まれたたった一つの感情を、目の前の哀れな鬼たちへぶつけることに決めた。

 以来、キリウは気がおかしくなった。あるいは、元々あった性質が表出しただけかもしれない。とにかく、生前ついに持ち得なかった反抗心のようなものが、理不尽なほどにキリウを支えるようになってしまったのだ。

 亡者のキリウは積まれた石を崩すことを選んだ。そして仮初の身体がバラバラになることの痛みを厭わず、暴力的にラインを止めるようになった。実体のない世界ゆえ、挟まろうと思えばどこにでも挟まれるのが霊界の機械というものなので、キリウは隙間という隙間に挟まって、機械を壊した。何度も同じことをした。しかも鬼たちが最もそれをされたくないであろうタイミングで、周到に繰り返した。

 もちろん仕事をめちゃくちゃにされるたび、鬼たちは聞き分けの無いキリウを折檻したが、生前の情操教育が足りなかったのだろう、キリウはまったく改心しなかった。なぜと問い詰められてもキリウは、悪魔のように表情を歪めて、誰が親の供養も転生もしてやるものかとただ叫ぶ。そこには見世物として面白い物語も、ガキらしい斜に構えただけの屁理屈も、子供たちが代弁してほしい不平不満も、何一つ出て来はしなかった。キリウはただ自分に捺された親不孝という烙印に死ぬほど腹を立てており、それを押し付ける何もかもが憎くてたまらなかったのだ。業を煮やした鬼たちに連れ出され、地獄で釜茹でにされた後ですら、キリウは爆弾のような態度を改めようとはしなかった。なんなら地獄の炎で魂ごと焼き捨てられたなら本望だと、キリウは本気で思っていた。

 そうして四六時中死体になってまで転生に否定的な言動を繰り返すキリウの狂気と、鬼たちが彼に浴びせる凄惨なまでの暴力とに、当然ほかの子供たちは怯えきっていた。賽の河原の子供相手だろうと、獄卒たちの拷問は本物だ。怒り狂った彼らが八つ当たりのごとく睨みを利かせる中で、巻き込まれればずたずたになってしまうらしい機械と対面している隣で、さらに気狂いが働いていることほど恐ろしいことはない。キリウが唱えるアンチ親不孝論のようなもの自体は、きちんと整えれば一部の子供たちの支持を集めうるポテンシャルを秘めてもいたが、いかんせんキリウなので一ミリも伝わらなかった。かように疲弊した子供たちもまた、思わぬミスから次々と事故を起こすようになっていった。

 途切れることのない血肉のニオイにカラスが寄り付くようになった頃、賽の河原の第七工場は、黒ずんだ血糊と怒声と嗚咽にまみれた小さな地獄と化していた。いつしかラインが止まると鬼たちがあまりにも必死な顔をすることに、キリウ以外の子供たちも気付き始めていた。

 実際のところそれは、賽の河原の工場でロスが出れば監督の鬼たちがペナルティを負わなければならないという、当時の地獄の馬鹿そのもののルールが原因だったのだ。それでもなお志願する者が絶えないのは、ひとえに賽の河原の監督という仕事が、労力に比べて報酬が非常に魅力的な仕事だったからだ。それこそ感情の死んだガキが何かの間違いで一度や二度ラインを止めたところで、運が悪かったと思って諦めてもお釣りが出る程度には。

 なのにこうも連日のように、煙草や飴玉を駄目にされてはたまらない。ただでさえ賽の河原の子供を無断で地獄に連れ込んで罰したことも、当局から厳重注意されたばかりなのに。何より賽の河原のガキどもに舐められているだなんてことが噂好きの獄卒たちに知られてしまえば、とても地獄には居られなくなる――。

 ――塀の中から逃げ出したキリウを、鬼たちが血眼で探している間だっただろうか。キリウの存在を面白がった事情通の河原ペンギンがやってきて、さらなる混沌を巻き起こすためだけに、子供たちにそれらを吹き込んだのが終わりの始まりだった。

 それからの出来事については、ほどなくしてキリウは蚊帳の外になっていった。

 ひとかけらの残酷さを正当化した親不孝者たちによる『鬼イジメ』は、ひとりきりの問題児の何倍も鬼たちを苦しめた。商品をわざと汚損して鬼たちの前ですすり泣いて見せる子供たちは、ひとたび鬼たちが背を向ければ、鬼の地獄耳でなくても聴こえる声で嗤った。鬼たちにくだらない渾名をつけ、生前の境遇を勝手に想像し、こそこそと悪口を言い合った。外から拾ってきた石ころを、鬼たちの大きな口めがけて投げ込む遊びを発明した者もいた。

 賽の河原の鬼たちを慌てふためかせるだなんて、そんなにも簡単なことだったのだ。河原ペンギンの告げ口に加え、度重なる暴力を実際に見たことで、子供たちは、地獄の鬼が賽の河原の子供に対して執行できる罰には限度があることを知ってしまっていた。己の身をもって知った者もいたし、キリウや他の子供たちがそれをされてきたのを見て知った者もいた。だからか今更金棒で痛めつけられてもどこか白けていて、付き合い程度に恐怖し、生理的な絶叫や痙攣こそすれど、それ以上の反応を示すことはなかった。

 もっとも、ただの子供の集団の皆が皆、金棒で殴られることも恐れず鬼たちをコケにして面白がりたがるわけではなかった。むしろ、全体で見ればそうでないものの方が多かっただろう。

 ある日、キリウが血なまぐさい構内をこっそり抜け出して、カラスたちに自分の指をちぎって与えていた時だった。いつの間にか、同じ工場で働くひとりの少女がそばに佇んでいた。出会った頃に比べてひどくみすぼらしくなった彼女は、しばらく無言で鳥たちを見下ろしていたが、ふいにキリウの方に向き直ると、唐突にキリウの肩を強く叩いた。咄嗟にキリウが跳ね除けると、しかし彼女はキリウと目も合わせようとせず、再び両の拳を握りしめて、キリウの身体に向かって何度も細い拳を振り下ろしながら叫んだ。

「なんなの! なんで!! なんで!!」

 何を言われているのか理解できなかったキリウは、驚いて飛び立った鳥たちを見送りながら、今度こそ彼女を突き飛ばしてその場を離れた。後に残された彼女は、地べたに倒れ伏して身体をちぢこめながら、お母さん、お母さんと泣き叫んでいた。

 

 こうして、賽の河原の工場のひとつの秩序が事実上崩壊した。音を上げた鬼が数名入れ替わったところで無駄だった。中にはほとんどタダ働きになって、メンタルをやられ、這う這うの体で賽の河原から逃げ出した鬼もいたという。

 本来ならば地獄が解決すべきボヤに過ぎなかったこの問題は、しかし地獄ではない賽の河原で起きたがために、転生局に見咎められることとなった。当時の閻魔は転生局の介入を良しとしなかったが、地獄側では権限の問題で子供たちを直接対処できないのもまた事実だった。そして事態の収拾のために派遣されたのが、転生局の『魔女』と呼ばれる霊だった。

 『魔女』はその名の通り風変わりな格好をした女の霊だ。当時の『魔女』は霊界の従属物となってからまだ時が浅く、修行中の身だった。しかし後の新閻魔となる霊からは、生前よりその慈悲深さを評価され、将来の補佐となるよう傍に置かれていた。もとより彼女は賽の河原の現状を憂いており、第七工場の出来事も重く受け止めていた。もはや解決のためには、いま第七工場に収容されている全ての子供たちを解放する以外には無いのではないかと彼女は考えていたのだ。

 とはいえ霊界に恩赦のような制度は無い。一般的に、自分の業は自分で清算する以外にありえないのだった。第七工場の子供たちは鬼イジメに伴う頻繁なライン停止のせいで、当人らが意図したものであるか無いかに関わらず、満足に善行を成せていない状態にあった。これを無視して転生させてしまえば、来世にどのような影響が出るかは誰にもわからない。本来ならなかったはずの餓鬼や畜生になるかもしれないし、あるいは極端に暴力的・利己的な人間になるかもしれない。最悪の場合、地獄の番外地で、永遠に子供の姿のまま業を背負い続けることになるかもしれない。

 そこで魔女が着目したのは、子供たちの中で唯一、自らの意思で転生を拒否し続けていたキリウだった。彼女はカラスを通じて、キリウの魂に語り掛けた。

『鬼になって、地獄で働きませんか? あなたは、ほかの子供たちを惑わせました。けれどそのことをよく考えて、あの子たちの業を受け入れる覚悟があるのなら、あなたは鬼になって、あの子たちを助けることができるのです』

 当然キリウは二つ返事でOKしたが――これはこれで霊界的にはまあまあ問題だったのだ。いかに転生局の権能があったとて、死後の狭間の世界でカルマの付け替えを行うことは、十分に例外的な措置なのだから。それでも魔女の行為が許容されたのは、彼女があくまで可能性を示したに過ぎないこと、加えてキリウが自らの意思でそれを選んだからだろう。

 いや、あくまでそういうことにしておこう。

 本当のところ、キリウはただ転生したくないがために魔女の最初の一言だけを聞いて簡単に鬼になっており、キリウが真に魔女の言葉の意味を考えられるようになったのは、地獄に来てからしばらく経った後のことだった。魔女も魔女で、彼女は以前から時折現れる転生を拒む魂たちの存在に心を痛めていた。そのためキリウを地獄にとどめることで、それを深く知ることができるのではないかと考え、半ば意図してなのかストレートな言葉をかけていたのだった。

 ともかくキリウが鬼になることを決めた翌日、これまでで最も凄惨な拷問を受けてから目を覚ました時、気が付くとキリウは暗黒の空の下で、傷ひとつない魂になって舟にゆられていた。コンテナの上から外を見たら、真っ黒い水面の上をめらめらと炎が這っていたのを今でもよく覚えている。舟には同じ新入りの獄卒が老若男女問わず何十人も乗せられていたが、おそらく今も地獄に残っているのはキリウだけだろう。

 そうして何が何だかよく解らないままに研修で獄卒の規則と制度を叩き込まれ、獄卒として暴力を行使する方法も覚えた。そこでもまたキリウは、自由な転生を夢見るほかの獄卒たちと自分が相容れないことを肌で感じた理解した。しかし本当に大変だったのは、その後のことだった。

 当時の第七工場の惨状は、設備のメンテナンスのために出入りしていた技術鬼たちによって、噂の形で地獄にも伝わっていたのだ。それは面白い噂だった。賽の河原の子供たちが、規則のせいで強く出られない鬼たちをコケにして遊んでいたというのだ。そのせいで大量の地獄タバコや飴玉が廃棄になり、一部の品目については長期間にわたって供給が途絶えただとか。そしてその発端となったガキこそが、この賽の河原から来たキリウだというのだ。

 たくさんの血走った目がキリウを見つめていた。鬼というのは、目がふたつとは限らないのだなとキリウは真っ先に思った。識別番号も容貌も、キリウが現場に出るより前から誰もに知られていた。

 ただ普通に働いているだけで、そこらへんの亡者たちよりも酷い目に遭わされることもしばしばだった。物陰でタコ殴りにされ、隙あらば血の池に突き落とされたうえ金棒で叩かれ、試し切りと言われて新しい道具の実験台にされた。

 もしかすると魔女は、キリウに自分のしたことの結果を理解させるためにキリウを地獄にやったのではないかと、キリウは本気で思ったものだ。そして実際、キリウは初めて、魂の個々の営みがそこにとどまらず動いていくことを知った。自分の行動が他者に影響を与えることを知った。自分がさんざん壊してきた、機械のパーツの一つ一つすら誰かが作っていたのだとようやく理解した。

 だからキリウは強くならなければならなかったのだ。キリウのような鬼がこの地獄で生きていくには、持てる力を自在に操り、刃物のように意識を研ぎ澄まし、自分の意思で他者を傷つけることができなければならなかった。殴られれば黒焦げになるまで焼き尽くすくらいのことができないのならば、到底生きてはいけなかっただろう。

 それでもそうまでして、キリウはここにいたいと願ったのだ。

 ちなみに後日、賽の河原では、河原ペンギンの大規模駆除が行われたらしい。