16.鬼畜生物語
またしても、地面が途切れていた。地獄の地形にはよくあることだ。ひとたび『街道』から外れれば、それ以外の道には何の保障も信頼も無い。数多の鬼や亡者が踏みしめようと、それはただの地面でしかなく、決して道にはなり得ない。
キリウと基地嶋の目の前には、何かの間違いのように切り立った崖と、馬鹿みたいにちゃちな橋のようなものがあった。それは歩いて渡れる最小限の板きれが空中に固定されているだけの代物で、バランスを保つために手を突ける場所すらない。当然、向こう側の様子も霧に閉ざされて目視できない。板の下は、むしろすぐ近くに見えるほどの濃い暗闇だった。まるで目に見えない暗黒の水面に、板切れが浮いているみたいだ。
「これ、あるって(歩いて)渡るんか?」
「電波で見たけど、俺が跳んでも向こうまで届かない。半分だけ歩いてこ」
キリウが何か不思議なものを放ってレーダー的な行為をしていることについて、基地嶋は今さら疑問を持たなかった。それはキリウが電波地獄の獄卒だからではなく、キリウならばそれくらいするだろうという投げやりな信頼からくるものだった。しかしL5の重力のせいか、基地嶋はふいに、軽く噴き出した。
「なんだよ」
そう言って基地嶋を振り返ったキリウは、半笑いを浮かべていた。
「キリウ、電波って、なんだかわかってるんか」
「はあ?」
何が面白いのか、互いにへらへら笑いながら、ふたりは板の上へと足を踏み入れた。
あらかじめ傘の先でつついたり岩を投げつけたりして確認していた通り、板は見た目のわりにしっかりと空中に固定されていて、キリウたちが踏んでもびくともしなかった。亡者ならわからないが、鬼の体幹なら容易く渡り切れるだろう。キリウはその場で跳ねてみようと思ったが、さすがにそれで基地嶋が動揺して落ちたらまずいので、やめておいた。
そうして寄る方なく歩き続けて、進むのも引き返すのしんどくなってきた頃、ふいに遠くから崩落音が響いた。それから一瞬だけ足元が揺れたとき、思わずふたりは、揃って互いの腕を掴みかけた。しかし相手を巻き込んで落ちかねないので、事前に話し合っておいた通り慌てて離れて、姿勢を低くした。
今度はすぐ近くから崩落音が聴こえた。それが足元の暗闇の中から昇ってきたのだと理解して、ふたりは身構えた。
ほんの少しの後、眩しいほどの炎の龍が、暗闇を突き破るようにして姿を現した。同時に、熱された霧が可燃性の気体のように弾け飛んで、二人の周囲を爆風と高熱の陽炎が包み込んだ。
「やべー……」
キリウが咄嗟に開いた傘の中で呟かれた基地嶋のそれは、微かな感動の色を帯びていた。バリアの外側では、熱を浴びた板たちが溶鉄のような輝きを放っている。周囲の霧はすっかり晴れ上がり、橋の向こう側どころか、久しく見ていなかった地獄の赤黒い空までくっきりと見えていた。
「あ。壊れてた炉が、直ったのか」
キリウは妙に落ち着き払って呟いたが、基地嶋は相変わらず、傘の下から空を見上げてガスマスクの中の瞳を震わせていた。キリウもまた内心では、この光景に目を奪われていた。
辺りはまだ、燃え落ちる炎が流星のように舞っていた。初めて地獄に引きずられてきた時に見た炎は、もっとどす暗くてドロドロしていて、ずっと恐ろしかった気がしたのに。
* * *
L6へと続くエレベーターは、あれから想像していた三倍も、だだっ広い荒野を歩かされた先に在った。階層間エレベーターは定期的に位置が変わるゆえ、時には想像を絶するクソ立地をして地獄の噂話に彩りを添えることもあったが、ほとんどの場合はこのように、ネタにもならない程度のうんざり感に納まるものだった。
さて、積まれっぱなしの拷問器具のラックで万年手狭なリフトに立ち、キリウが操作盤に個人用端末をかざしてエレベーターの出発を待っていた時だった。外からばたばたと鬼の足音が駆けてくる気配がして、キリウと基地嶋は顔を見合わせた。
下へ向かって動き出したリフトに二匹の鬼が飛び乗ってきたのは、ほんの数秒後のことだった。
「セーフ!」
鬼の硬すぎる足の裏が金属板を踏み鳴らした音とともに、無駄すぎるほど無駄に大きな声が響いた。端とはいえ、地獄のエレベーターシャフトで響かせられるほどの声を出すのは、鬼の中でも体格に恵まれた者だろう。事実、乗り込んできた鬼たちはどちらもずいぶんと大柄で、キリウと基地嶋を縦に並べたよりも明らかに立端があった。
二匹の鬼は同様に大柄ではあったが、身体の厚みや佇まいは異なっていた。先程声を上げたのは、分厚くて逞しくて、いかにもといった風情の赤鬼だった。もう一匹は、長い髪をたなびかせた青鬼で、赤鬼よりもいくらか細身だった。
「あっぶない。待たされるとこだった……」
長髪をした方の鬼がそう言って、乱れた灰色の髪をばさりと手で払い、ため息をついた。それを見た赤鬼は、人懐っこそうににかっと笑った。
一方――彼らよりも速く動いていたのは基地嶋だった。彼らがゲートを跳び越えてくる直前、キリウは基地嶋に頭を抱えられ、拷問器具のラックの陰に引っ張り込まれていた。勢い余って冷たい金属の床に倒れ込んだキリウは、ゴトリと何か硬いものが床に落ちる音を間近で聴いた。
次に周囲を見回したとき、キリウは、自分がどこか違う場所に移動しているのかと勘違いした。辺りは異様に広々としていて肌寒く、リフトの稼働音がやけに大きく響いている。基地嶋の姿を探してキリウが横を見ると、目の前に大きなネズミの顔が現れた。キリウは怪訝な声を上げそうになって、しかし何かがおかしい気がして、自分の手を見た。キリウの手は白っぽく、細かな毛が生えている。指が四本しかない。それと久しく見ていなかった、白い爪が生えていた。
するとすぐそばで、基地嶋の舌足らずなテレパシーが囁いた。
『キリウ。おれよ』
状況が呑み込めないままのキリウは、ふと背後に、自分の意思ではない何かの動きを感じた。なんとなく嫌な予感がして、首を動かして振り返ると、そこにはキリウの腕の太さほどある暗褐色のチューブが落ちていた。くね、と揺れてぴたりと止まったそれは、動物の長いしっぽだった。
『おまえのだよ』
「ギヂ」
それは機嫌の悪い小動物の鳴き声そのものだった。自分の歯の隙間から出た異音が大きな耳から入り直して、キリウはその場で体高の三倍くらい飛び上がった。
キリウはネズミになっていた。隣にいる小汚いネズミは基地嶋だった。基地嶋はネズミの小さな身体で、床に落ちたキリウの個人用端末をんしょんしょと押して動かし、ラックの陰に隠していた。先程の落下音は、これが落ちた音だったのだろう。
一仕事終えた基地嶋は、短い手で自分の頭をこすりながら言った。
『ねずみに化けるワザだ。これでみつからない』
『キ……』
『くち閉めろ』
『チュ』
そばで見るとネズミの目というのは、ずいぶん前方が見づらそうな、顔の両サイドの離れたところに位置している。ヒゲも四方八方どころか十六方くらいに伸びていて、よく絡まってしまわないものだ。自分の長い前歯を両手で触りながら、キリウはそんなことを考えていた。ネズミの表情など判るはずもないが、少なくともキリウには、今の基地嶋がちょっぴり得意げな顔をしているように見えた。キリウも、自分が知らなかった基地嶋の特技を目の当たりにして、なんとなく得をした気分になった。
ようやく周りを見られるようになったキリウは、さっき上げた自分の鳴き声やら何やらが鬼たちに聴こえたのではないかと、今更小さな肝を冷やしていた。しかしそれがどうだっていいことは、ここまで何も起きていないことから明らかだ。大柄な鬼たちは、キリウと基地嶋がネズミの目線でこそこそしている間も、ずっと話し込んでいた。キリウは、どうやらネズミの目には赤鬼が黒く見えるのだという事実を発見していた。
彼らの最初の話題は、とある亡者の男の境遇についてだった。そいつは恋人の了承を得て、それを殺害したあと、屍姦したというのだ。屍姦は二度行われ、一度目はまだ温もりが残っているうちに。二度目はすっかり冷たくなった後に行われたという。そして、男はそのまま首を吊って自殺した。恋人の死体は丁寧に手入れされており、発見された時、男の死体の方がぶちまけるものぶちまけていて酷い有様だったという。
「純愛っぽい?」
「純愛だね」
鬼たちは互いの意見に八割がた同意し、頷き合った。
次の話題は、「誰もが納得するような大罪人よりも、自分が地獄に落ちるだなんて夢にも思っていなさそうな奴が地獄に落ちた時の方が、見ていて胸が空く」という獄卒心理についてだった。そういった亡者たちは、自分が地獄に落ちたことを絶対に受け入れず、そうでない亡者たちの何倍も醜く惨めに喚くのだ。その様が、娯楽に飢えた鬼たちにはたまらない。
また、彼らは鬼たちにもまた罵声を浴びせることが多かった。その中で最も鬼たちの心を掴むのは、「自分にこのような仕打ちをする鬼たちが、なぜ亡者として地獄に落ちていないのか」という嘆きだった。彼らは気に食わないものを罰することすら他者任せにして、それを何ら恥じることが無いのだ。そういうところも、鬼たちの神経を心地好く逆撫でする。そんな彼らを絶望させるためだけに、自分はもともと悪人だったが更生したのだ、という作り話をして聞かせる鬼すらいたほどだ。
「でも若い鬼どもと喋ってると、あんまそういうの無いみたいだよな。不快なだけだって」
赤鬼がフンと息を鳴らして言うと、青鬼は「そうだね」と頷いた。
赤鬼の関心は、最近の若い鬼たちの傾向へと移っていた。
「悟り世代とかいうの。まあ、何考えてんだか解んねえ」
「解る気無いでしょ。解んないから名前つけんのって、お化けや妖怪と変わんない」
「そうは言っても。四六時中亡者ども見てて、何一つ感じないのが正常とは思えない」
すると今度は、青鬼の方が小さくため息をついた。青鬼は腰に当てていた腕を組んで、首を軽く上に反らして、赤鬼の方を見た。
「ほら。名前あると、一括りにしてなんか言う」
「厳しいなぁ……」
もともと寄っていた眉間の皺を一段と深くして呟いた赤鬼は、反面、どこか嬉しそうだった。
キリウと基地嶋はネズミの耳で、鬼たちの話に文字通り聞き耳を立てていた。テレパシーすら押し殺して、それこそエレベーターの騒音が無ければ、風車が回るような小動物の鼓動すら聴こえるほど静かにしていた。しかしその最中、キリウは自分の意思と関係なくしっぽが動くのが落ち着かなくて、しきりに身体の向きを変えたり立つ場所を変えたりしていた。
『キリウ、こっちいろ……』
うろちょろするキリウが鬼たちに見つかってしまわないかと、基地嶋はネズミでも分かる不安げな顔をして、錆まみれの装置の陰でうずくまっている。
すると案の定、ネズミの小さな身体に収まりきっていなかったキリウの魂の端が、拷問器具の刃にぶつかった。
「ヂっ!?」
悲鳴を上げて飛び退いたキリウを、あっという間に鬼たちの四つの目が見つけた。身体の扱いに長けた鬼の反射速度・視力・ほか身体能力は凄まじく、キリウは一瞬で赤鬼の手に捕えられた。
「ネズミだっ」
赤鬼の素朴なその反応は、L5にただのネズミがいることに対する単純で純粋な驚きだった。岩のような手で摘まみ上げられたキリウは、暫しの間呆然としていたが、すぐに強烈な身の危険を感じてパニックを起こした。
「ぢぢぅぅぅ!!」
キリウがぢゅーぢゅー鳴いて暴れているのを物陰から見上げながら、基地嶋は頭を抱えていた。見つかったこと、捕まったことそのものに対してではない。L3の森で出会ったクソのっぽの時もそうだったが――よりにもよって、なぜそんなにも活きの良い反応をするのか、という点に対してだった。いじめられるぞ。現に赤鬼は暴れるネズミを面白がってか、でかい手でキリウの身体を鷲掴みにしたまま、もう片手の指でうりうりと腹や尻をつつきまわしている。
『キリウ、おちつけ、キリウ……』
「油まみれできったねぇ。こいつ、魂入ってるぞ」
通常、虫地獄の虫のような地獄の従属物には魂が無いものだ。しかし赤鬼は、一目見てこのネズミに何らかの魂が入っていることを見抜いたようだ。基地嶋がはらはらしながら成り行きを見守っていると、幸運なことに青鬼がそれをたしなめてくれた。
「ただの畜生でしょ。捨てなよ」
赤鬼は、僅かに眉尻を下げて弁明した。
「いや、落ちるかと思って」
彼が顎で指したのは、轟音を立てながらじれったく下っていくリフトの下、エレベーターシャフトを満たす真っ暗な奈落だった。実際のところこの大柄な鬼は、ちょろちょろ動く小さなネズミがリフトから落ちることを心配して、キリウを捕まえたのだった。
そんな優しさを想像する余裕も無く、キリウは死に物狂いで暴れ続けていた。ネズミの柔らかい身体にとっては、いつも自分で頭を掻いていたはずの鬼の指すら、あまりにも硬く恐ろしく感じられる。はみ出たままの魂がこすれるのも相まって、まるで薄い肉越しの内臓にゴツゴツした岩を押し当てられているみたいだった。
「ヂヂッ、チュッ、ぢゅチィ!!」
赤鬼は、立ちもしない歯で必死に手に噛みついてくるネズミを見て、さすがに怖がられていることを察したようだった。彼は助けを求めるように青鬼の方を見たが、青鬼は面倒くさそうに目を逸らして、長い髪の先を指でいじっていた。
それでもやはりリフトから奈落に落ちることを心配してか、赤鬼がネズミを解放することは無かった。赤鬼は腕に巻いていた飾り布を解くと、それでネズミを包んで、布の端を軽く縛って手に下げた。キリウは当然暴れて、鉄臭い布をずりずりと掻き毟り続けていたが、しばらくすると閉所のストレスで動けなくなった。
布を軽く持ち上げて、赤鬼は冗談めかして言った。
「みんなこれくらい可愛けりゃあな。ギャーギャーうるさい不細工を挽き潰しても、何も面白くない」
「それはそう……」
赤鬼の言葉が、彼なりの照れ隠しであることに青鬼は気付いていたが、ダルいので何も言わなかった。
一方、基地嶋はラックの陰で狼狽えていた。かれは自分の術がきっかけでこうなってしまったのかと、自分を責めていた。そしてそれはさておき、この状況を脱するための手立てを考えなければいけなくもあった。
この時基地嶋は、ひとつ重要なことを知らずにいた。それは今のキリウの魂が、基地嶋と同じようにはネズミの身体にきちんと収まりきれていないという事実だった。本来このシステムにおける魂には、大きさという概念は存在しない。すべての魂は等価で、ひとつの尊さを持っている。しかし同時に、安定時の魂の密度と分布は器の大きさに依存し、時間をかけて徐々に器に適応するという性質も持っていた。そのため長年にわたって小鬼の身体に馴染んでいたキリウの魂は、すぐにネズミの身体に収まることができなかったのだ。
ただ幸運なことに、今のキリウは布でくるまれて宙ぶらりんの状態にあった。乾いた血で染まりきった布はごわごわしているが、鬼の全身凶器のような身体よりは遥かに柔らかい。少なくとも、キリウのはみ出した魂がいたずらに傷つけられることはなくなっていた。赤鬼もこれ以上何かをする気配は見せず、青鬼とのお喋りを再開していた。
鬼たちの会話の隙間にまぎれるように、基地嶋はそっとキリウにテレパシーを送った。
『キリウ、おい』
『ヂぢゅぅ〜』
基地嶋ははっとした。声を殺していたので気付かなかったが、実は最初からずっと、キリウの声はテレパシーまでネズミになっていたのだ。
『キリウ、へんじできるか。しゃべれるか……?』
『キチ、チチ、ヂヂィ。キちヂあぁ゛……、で、でれないよ』
幸運にも、基地嶋の名前が比較的ネズミにも発音しやすい音で構成されていたため、キリウはテレパシーを通じて人間の言葉に戻ることができた。基地嶋はキリウの声に少し安堵しつつも、すぐにまた別の不安に襲われた。
『き、きちぢまぁ、だして〜、こわい』
魂と身体との不適合は、一時的なものであるとはいえ、キリウという個体に大きなストレスを与えていた。最初は辛うじて知性を保っていたキリウも、捕獲された時のショックで不安定な部分が刺激され、今やキリウのそれはネズミの水準まで急速に落ちかけていた。基地嶋もテレパシーの内容からいくらかそれを察して、背筋が寒くなった。
『なぁ……、そいつら、怖いひとじゃない気がするから、じっとしてようぜ』
『ヂヂィ……!』
基地嶋は必死にキリウを宥めたが、その言葉は、恐怖に支配されたキリウには受け入れ難かった。布の中で、背中を丸めて震えるキリウの姿が見えるかのようだった。
するとぷるぷると震えだした布の中身を心配してか、赤鬼の手がそっと伸びてきて、安心させるように外側から軽く中身を揉んでくる。当然、外の様子がまったくわからない袋のネズミは、自分が握り潰されることを本気で恐れて暴れた。しかしもそもそと布の中で動き回る小動物は、大きな鬼からすれば微笑ましいばかりだった。不衛生さも厭わず、自身の身に着けているものでそれを包んで保護するような、徳の高い鬼にとっては殊更に。
『さわる゛な゛っ!! ヂねっ!!』「ヂュぢゅうううっっ!!!」
「揉むのやめなよ。潰れるよ」
「へへ……」
赤鬼は緩んだ頬が戻らないまま、ネズミをいじるのをやめて、再び腕を下ろした。
やがてエレベーターがずいぶんと下まで降りてきた頃、ようやくキリウは、自分が一時的にネズミの姿を借りているだけの鬼であることを思い出した。ぺろぺろと自分の手を舐めて、ひとしきりグルーミングを終えると、キリウは落ち着きを取り戻した。
『きちじまぁ。どうしよ、これ』
『(下に)ついたら逃がしてもらえるように、だまってようぜ。だめそうなら、おれも出てって、たのんでみる』
『あぁ』
キリウは、電波地獄の宿舎にあった娯楽本の内容を思い出して頷いた。優しい人間が、助けたキツネに家族がいるのを見て、家族のもとへ帰してあげたという話だった。つい直前のシフトで、生前にわざと傷つけた動物を飼って同情を集めていたという亡者をアンテナにしたばかりだったキリウは、その物語にいたく感心したものだった。願わくばこの鬼たちも、そんな慈悲の心を持っていればいいのだが。
それからキリウは、もうひとつ疑問に思っていたことを思い出した。身体の大きさが異なる生き物に化けることは、キリウのように魂がはみ出すリスクと隣り合わせのはずだった。しかし今日、基地嶋にはそれらしい現象や兆候が現れなかった。手際の良さを見るに、やはり普段から時々ネズミに化けているのだろうか? あるいは……。
『きちじまぁ。お前の正体、ねずみだったか』
『なんの話だ!? ひとだよ』
キリウは声もなく笑うと、少しの間のあと、大口を開けてあくびした。まだ少し、下に着くまでは時間があるようだった。キリウは状況を割り切って、ゆらゆら揺れる布の中で眠ることにした。
ちなみにこの日の出来事は、後に『ネズミしか乗っていないエレベーターが動いていた話』として、地獄に無数に存在する与太話の一つとなった。