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83.血の底

「あの子がこの街の人間になるかどうかは、お前が決めることじゃねえよ、キリウ。いつかあの子が自分で決めることだ」

 オヤっさん?

 看護師に促されてその扉に手をかけた時、近いような遠いような壁の向こうのようなところで、聴き慣れた声がした。けれど順番なので、立ち止まっているわけにはいかなかった。

 扉の向こうには、真っ赤でドクドク脈打つ気持ち悪い壁をした部屋があった。その真ん中に置かれた机の向こう側から、うさんくさい老医者が、椅子に座れと指示してきた。

 

 ――まず、あなたの家族構成を教えてください。

 ……。

 ――家族の仲は良好ですか?

 ……。

 ――記憶にある中で、最初に関わった血はどんなものでしたか? あなたが流したものでも、流させたものでもかまいません。

 ……。

 ――顔色が悪いですね。眠れてますか? 食欲ありますか?

 ……。

 ――泡吹いてますか?

 え?

 ――学校は好きですか? 友達はいますか?

 …………。……好き。何人か、友達でいてくれる子もいる。

 ――本は読む方ですか? 最後に読んだ本は?

 ……あんまり……疲れちゃうから。最後に読んだのは、半年くらい前に、パロ・パロクシルの『いかにして骨精霊は目玉をひとつにしたか』。

 ――この街に来たのはいつですか? 当初の思い出とかありますか?

 六歳の頃。駅で、女の人がすみっこに寝てて……変な感じがした。

 ――キャンディーは好きですか?

 ……ふつう。

 ――お茶に角砂糖をいくつ入れますか?

 当分は見たくないです。

 ――なぜ?

 ……。

 ――マリムーにとらわれていますか?

 わからない。

 ――なぜ上は男子の制服を?

 服が汚れるのイヤだし、夜は寒いから。

 ――トランの話をしてください。

 骨精霊です。奇形で、脚が八本あって、羽がちいさい。後天的なものかもしれないけど、左のアンテナがやぶけてる。口は大顎型。

 ――いえ、あの、出会った時のことなど、彼とあなたの関わりについて詳しくお願いします。

 性別わからないよ。

 ……えっと、この街に来て半年くらいの頃、近くのゴミ捨て場に気持ち悪いネコが住んでるって聞いて。中学生たちがエアガンで撃ったり、ゴキブリを殺す薬を食わせようとしてて、かわいそうだった。ほっといたら死んじゃう気がして、すごく怖かったです。そしたらある日偶然、目が潰れて引っくり返ってたから、つれて帰ったの。

 どういう生き物なのかぜんぜんわかんなくて、さいしょはキリウに聞いてたけど、キリウすごく忙しいのに、私が聞いたこと答えられないと、本で調べて教えてくれた。だから私、自分で本読めるようになりたくて、でも、字も教えてもらわなきゃいけなくて……あ、トランの話じゃないね。

 トランは友達。よくペットだっていわれるけど、飼ってるわけじゃなくて……お互い勝手にやってるもの。トランがどう思ってるかはしらないけど。

 ――あなたは同情だけで生かされてる犬猫同然の拾われ物ですか?

 !!

 ――なぜ?

 …………。

 ――悩みとかありますか?

 人並みにある。

 ――何のために生きてるんですか?

 ……。

 ――何を見てますか?

 ……。

 ――何を

 いきなし帰ってきたと思ったら勝手に死んでキリウをめちゃくちゃに傷つけてった。キリウがどんなにあいつのことを大切に思ってようと、私はあいつが許せないし、口にねずみ花火放り込んでガムテープで塞ぎたいくらい許せない。

 ――誰のことですか?

 ほんとはずっと羨ましかった。離れてたってキリウの中に、私の何百倍も思い出が残ってるあいつが羨ましかった。キリウはいつでもあいつのこと気にしてた。

 だからよけい、口に目玉クリップつめこんでほっぺブン殴りたいくらい許せなくなった。

 みにくい嫉妬だ。

 ――あなたたちは一瞬の思い出にすぎないですか?

 黙れ!

 ――マリムーにとらわれていますか?

 とらわれてない人なんかいない。

 ――何を見てますか?

 何も見たくないよ。

 ――えっと、最後に……お金貸してくれませんか?

 え!?

 

 困り切った顔をした老医者を残して、ユコは席を立ち、扉を開けて出ていった。