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202.死ぬ為に生まれて

 何かを模倣して作られたはずなのに、その紺碧の空の向こうには完全な暗闇しかなかった。

 地上には辞書から消し忘れた言葉たちだけが残され、箱庭に刻み込まれた無数のデジャヴはいつしか憧れの心にも似て、生き物たちに地上でブラックホールを作らせたり、宇宙という無意識下の暗黒を植え付けたりした。

 銀色の月が置き去りにした夜空は、数えきれないほどの冷たい光を湛えに湛えて静かに瞬いていた。闇に沈む黒いがれきの荒野の真ん中に、ふたりのひとでなしが喪に服すでもなく存在していた。

 モノグロの少女は地面に設置した受信機の傍らにうずくまり、ディスプレイを滑ってゆく赤い光を読み上げ続けている。明日を生きるのが楽しみで眠れぬ子供のように。あるいは何も考えていないように。

 その声が聴こえるところで、悪魔の少年が右手の指を空に向け、彼らの標的を示していた。それを頼るのが何者であるのかは、彼以外には知りようもない。夜空の星たちもまた例外でなく。周辺情報から判るのは、少年が閉じた瞼の下で異常な演算を繰り返している、それだけだった。

 ――夢の中でやったことあるんだ あの時はトマトだったけど

 星たちは地上を蠢く全ての願いを聴く。星たち自身をシャットダウンすること以外ならば。願いを叶える機構はオミットされていたが、ひとりの隣人として、個人的に聴いているらしかった。

 この夜、殊更に強い願いはここに在った。

 彼らではない。戯れに口先だけで願っても、罰当たりな彼らは星の慈悲を信じてなどいない。

 それは半ブロック離れてZ=0よりも下、すり鉢状の広大なくぼみの底に横たわる、車ほどの虫の卵の内側から発されていた。

 こんなに大きな領域を割り当てられていても、命の大きさは指先ほどの虫けらと同じだった。閉ざされた闇の中で、柔らかい殻に覆われた命は電気信号のささめく声を子守歌とした。その最中、地平線の向こうから来る電波が、かれに最初の挨拶をした。

 ――ハロー、世界はおまえを受け入れない。祝福しない。生まれないで死ね。

 心が折れたように、夜空の星のひとつが傾いた。金属のフレームを空間上に固定していた力が、群がる悪意に負けて大切なものを手放した。

 されどかれは不躾な声を無視して、依然変わらず、今すぐにでも訪れる孵化の瞬間を待っていた。誰に望まれなくても、彼自身がもっとも望んでいたからだ。

 浄化もままならない、絶望した命を掴み取って、かれはここにやってきた。電波が届かないところで生まれたモノグロを追いかけるように、この箱庭には数えきれないほどの不正な命が咲いた。神様の目が届かないところで生まれたモノグロは、今も神様を恐れていたけれど、かれはそれを抱きしめたいと思っていた。

 薄い殻が、やがて大きく震えた。

 殻を食い破り、ガスとともに晒し出された存在は黒の異形だった。世界が赦しはしないので、かれはUNDEFINEDとして生まれ、UNDEFINEDとして死ぬ。かれはそれを良しとしたが、納得はしなかった。自分の定義は心の中にあると思っていたからだ。

 生まれてきてくれてありがとう。生んでくれてありがとう。かれは壊れゆく世界に、みずからを祝福する。

 そののち周囲のがれきを取り込んで、みるみるうちにビルよりも大きく膨れ上がったかれは、十六枚の黒銀の翅を美しい線対象に広げた。空中で爆発した星の欠片が三百六十方に飛び散った時、異形の虫はそれを祝砲とし、轟音と暴風をともなって飛翔した。