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203.管理用レコード

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 黒12.68105%
 思っていたより増えるペースが速い

 黒いのは、中央の処理能力が落ち始めたのと同じころから出てきた。二万年目くらいから異常データが増えはじめて、戻ってきた命を分解したら、ごみのようなものが出てくるようになった。ガレキがそれを吸収すると、焼けたように黒くなる。

 黒くなったガレキは、ノイズが多くて変換しにくい。まわりのものを形成する時に、資源が足りなくなるかもしれない。

 

 

 流れ星、と彼女は思った。

 全てが始まって以来の闇を、ゆらめく炎だけが照らし出す場所で、それは眩しいほどに赤く輝いて見えた。

 エーテルの摩擦に燃え尽きないまま、ついにガレキの上に叩きつけられて飛び散った無数の欠片が放つ光もまた赤かった。炎を纏って落ちてきたそれが、おそらく地上の生物の残骸であることを彼女が認識したのは、調査の目的でその着地点まで来てからのことだった。

 いったいどのようにして、ここまで落ちてきたのだろう。

 地上を覆うガレキの下は、不安定に流転するゼロとイチで満ちた空間だ。正確には、箱庭のために設定している領域の外は全てそうだ。それは箱庭の内側からは透き通った水のように見え、結び付けて安定させればガレキになるが、直に触れたりすれば、境界を失ってゼロとイチに還元される。

 この場所は、地上から見てZ軸のマイナス方向に位置していた。ならば、特定条件下で高所から落ちて、勢い余ってここまで突き抜けてきた? あるいは、地上にガレキの層を貫通するほどの穴があいた?

 電波塔が正常に動いていれば、生き物が意図して大地に大穴を開けるのはありえなかった。元はと言えば、そのようなことをさせないための電波塔なのだ。箱庭を壊すようなことを考えたり、過去の記録から学習された危険思想・危険行為――日照権を主張するとかナタデココ生産の効率化を図るとかいった予兆があれば、その場で電波が打ち消してしまうはずだ。

(それだけのために、どうして地上の生き物を、電波がなければ生きることもできないようにしたのだ。箱庭の中ですら、電波の届かなくなった命は、自壊してゼロとイチに戻るように作られていた。)

(それならこの世界をつくりし神様は、命が命であることが気に食わなかったのだ。)

 どちらにせよ、ゼロとイチの海に落ちて消滅してしまわなかったこと自体、よほど珍しい事象と言えた。

 いまだ赤い光は消えていなかった。異臭と黒煙を上げて潰れているそれを揺らすと、焼け焦げた毛だらけの表面が裂けて、紫色と灰色とピンク色の中身がどろりと流れ出た。液状のそれには赤黒いブヨブヨした塊がいくつも浮いており、赤い血の通った生き物を思わせたが、分解された際にこのような色合いに変化しただけかもしれない。

 その真ん中で、ひとりでに動いたものがあった。

 最初、彼女は見間違いだと思った。実際のところ何も動いてはいなかった。ただ、その場所で、ごく微弱な信号が発生していたのだ。――

 

 ID=552171000001
 IDがみえる  これはまだ、生きてる?

 

 彼女は常に、解決するべき問題とそうでないものとを分類しなければならなかった。優先順位に従って行動しなければ、ひとりきりでこの箱庭を、一秒でも長く生き永らえさせることなどできなかった。

 彼女はいま、この箱庭でもっとも強い権限を持っていた。そこにシステムの一部ではない彼女の人格を見出すとしたら、それはいつまでも、初めてここに来たときのぼんくらな少女のままだった。

 少女はそれを修復することを選んだ。無意味な仮定の話をするならば、彼女はそれがダンゴムシでもフナムシでも同じ望みを抱いただろう。それが彼女の箱庭の住人でさえあれば、全く同じ感情に駆られただろう。

 それは原形を失いながらまだ生きていたが、命と身体が分離しないように応急処置を施すと、激しい電磁波を発した。壊れた身体の中で悪夢を見ているに違いない。それを少しでも和らげるために、彼女は手の表面の温度を人肌に調整した。――彼女の身体は人間だった頃の姿を投射しているだけで、実体は中央の環境に適応した全くの別物だった。手足が短いと使いにくいので、少し大人の姿に変えていたりするが、そんなことはどうでもいい。

 作り直す? 身体を除去して、発生時のパラメータと全ての成長時のパラメータを最初からもういちど同じ命に流し込めば、確実に直前の状態まで戻せるけど――だめだ。この生き物は虫よりも大きくて複雑だから、たぶん身体を除去する工程に耐えられない。

 少しずつ分解して、レコードのほうで保持している、あるべき形に合わせて組み直す。こちらの方が幾分かマシなはず。

 彼女は辺りに散らかった欠片を集めて、ガレキの隙間から奈落に落ちていってしまわないよう、ひとまとめにくっつけた。修復のためにどろどろした内側に手を突っ込むと、崩れかけの命と身体のかたまりは、体温に反応して弱弱しいシグナルを発した。

 それを受信したときだったか。無意識のうちに、彼女の頭から何かがあふれたのは。

『』

 目からだった。見慣れないものを見てエラーを起こしたために、仮初めの身体を構成していたゼロとイチが欠け落ちたのだ。

『し』

 そのことを認識して対処するまでの僅かな時間に、彼女の目から零れたものは、目下の生き物の身体にぼたぼたと降り注いでいた。壊れた身体は遊離したゼロとイチをあっという間に吸収し、むしろそれを欲しているかのようだった。

『し――』

 ああそうか。落ちてくるまでに減ってしまった分は、外から足して補う必要がある。そのことにようやく気づいた彼女は、辺りのガレキから白いものだけを集めて

『しなないで しんじゃだめ わたしがなおすから』

 声?

 わたしの口から?

 

 

 地上の時間で150時間ほどを費やして、それは終わった。終わらなければならなかった。

 他の全ての仕事を放り出して、彼女は狂ったようにその作業に没頭した。それくらいの時間ならば世界はぎりぎり大丈夫、あるいはダメでも手動で対処できる範囲内だと計算していた。

 ほんとうに元に戻ったかは判らなかった。オレンジ色の炎で焼け付いた彼女の目では、色合いや見た目が少し変になったかもしれなかった。手作業だから、神経や管のつながり方もおかしくなってしまったかもしれなかった。そうだとしても、これが今の彼女にできる最善の対処だった。

 固まったばかりの小さな手は、赤い血が透けてみずみずしかった。彼女はその赤色を美しいと思い、失くしたはずの心の底から愛しさのようなものを感じた。こんな命が生きていけるのなら、いつまででもこの箱庭を守りたいと思った。

 それは庭師に最も不要な性質だったのかもしれない。

 彼女はその生き物を、地上の近隣で平坦なところに転送した。この場所での出来事は正規のレコードには残らない。目を覚ました時、『彼』は彼女の顔も声も覚えてはいないだろう。それは正しいし、そうあるべきだった。

 見れば地上には大穴が開いていた。そこは百年ほど前に一悶着あった土地で、地上のリソースを補填するためにガレキが消費され、層が薄くなったまま回復していない区画だった。穴の底は境界外まで達しており、それを作ったであろう何かの痕跡は、おそらくゼロとイチの向こうに消えていた。

 何が起きたのかは、後からでもレコードを読めばわかるだろう。それよりも、穴の近くにあった電波塔が倒壊しているのが問題だった。修復が終わるまでは、近隣の電波塔の出力を上げてカバーしなければならない。

 放ったらかしにしていた他の作業も……。

 それから……。

 ……。

 

(けれど実際には、『彼』の内部領域に一時的に記憶されていたものが、地上に戻ったあとで何処かのレコードに書き込まれてしまった。)

(それは『彼』の見た悪夢となって、『彼』とともに地上を彷徨うことになった。その脆い身体に混ざり込んだ、かつて彼女の一部であったものと、呪いにも似た望みとともに。独り歩きしたそれは、『彼』が壊れることすら許さなかった。)

(もっとも不幸だったのは、『彼』が永遠の少年だったこと。浄化しきれなかった命を持って生まれ、正しい寿命で死ぬことができない、排除されるべきエラーデータだったこと。)