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201.電波天体

 モノグロに似た白い花が咲いた。植木鉢の中で静かに俯いているそれは、同じものが十本も密集して互いの足元を見つめ合っており、モノグロの野次馬的行動(※)を思わせた。

 ※群れのモノグロは仲間が向いている方向を一緒に見るが、これは群れの行動というよりは種としての傾向である。実際のところ、群れに属さないモノグロも周囲の生き物と同じ方向を見ていることが多い。この時、モノグロは近眼のために対象がよく見えるところまで近づいていくので、特に群れの個体はしばしば野次馬的行動を取ると形容される。(パロ・パロクシル著『うしろの骨精霊』より)

 それにしたって、よくもひとつの果実から次々とこれだけ生えてきたものだ。一度は諦めたその花を咲かせるために、キリウ少年はアストラル界だかアカシックレコードだかアトランチスだかにアクセスしたのだそうだ。いわく、この植物はヤコブメコブ菌の仲間がいる土壌でなければ、成長することができないのだと。

 そんな与太話を聞いたせいだろうか。I.D.がおかしな勘繰りをしてしまったのは。

 がれきを食わされて、抽出器がゴウゴウと唸っていた。この夜、異様に目をギラギラさせて月明かりだけで古本をめくっていたI.D.は、『大解剖はらぺこあおむし』の表紙を持ち上げて声を上げた。

「ねえっキリウ君、これの十二章のとこだけどー」

 しかし彼女が振り返った先には、つい先程までそこにいたはずの少年は居なかった。

 代わりにその少年は、二十メートルも離れた交差点の真ん中で、錆びたハサミを片手にひとりぢょきんばちんと髪を切っていた。そこらじゅうに転がっている、ハラグロオオアビヂャの変異体に中身を吸い尽くされて干物になった子供たちの髪を。

「なんでそんな離れたとこにいるのさー!?」

 I.D.の叫びは虚しく、キリウはそのまましばらく彼の仕事に没頭していた。やがて他人の髪を切り飽きたのか、彼は自分の髪にもぢょきんばちんとハサミを数回入れて、ちょっとだけすっきりした頭になって戻ってきた。

 戻ってきたはいいが、明後日の方を向いてハサミの刃と内緒話をしているキリウを見て、I.D.はため息交じりに言った。

「キミはレーズンか何かか」やるせない気持ちがそう表現されただけで何ら意味はない。

「なに?」

「大声出したら自己解決しちゃったよ。こっちおいでよ」

 呼ばれると、キリウは無言でI.D.の元までやってきた。彼はI.D.の周囲に散らかった古本の山を避けて突っ立っていたが、I.D.が手招きしたので、もう少し近くに来て腰を下ろした。

 I.D.はキリウの後ろ髪の先に指を当ててみた。ぱさぱさした作り物のような髪束は、錆びた刃に千切られた先端を尖らせて、I.D.の指の上で突っ張っていた。

「キリウ君の量が減った」

「I.D.、元気?」

「また勝手にいなくなっちゃったかと思ったよ」

「……やりたいことがあるんだけど」

 キリウがこう言い出すのは、新しい遊びを思いついた時だ。当初、キリウに新しい遊びを考えるよう無茶振りをしたのはI.D.だったが、やらせてる感が嫌だったI.D.は、徐々にキリウからそう言うように仕向けていった。結果的にI.D.は、何一つ差し出さずに暇つぶしのアイデアを手に入れられるようになった。

 I.D.がキリウの思いつきに文句を言ったためしは無い。それは元々I.D.がどちらかといえば群れ気質のモノグロであったために、自己の概念が希薄であった経験に起因している。彼女は人間のくせに意志薄弱なキリウに同情していた。

「言ってみて」

 残酷さを帯びた楽しい声でI.D.が促すと、キリウは即答した。

「流れ星ごっこ」

「もう一回言って」

「流れ星ごっこ」

 あんまり響きが良いので、I.D.はそれをキリウに復唱させた。

 一方でキリウはなぜか、この街に来てからしきりに周囲を確認していた。誰かに話し声を聴かれるとでも思っているのか、しかし今この街に残っているのは、ふたりの他にはハラグロオオアビヂャの蛹に寄生する出目金だけだった。仮に誰か居たとしても、機械音がうるさくて聴こえないだろう。けれど彼は声を潜めてI.D.に囁いた。

「星を落っことして、願い事する」

 流れ星ごっこの説明をしてくれたのだ。久々にグッと来たI.D.は、もったいつけて頷いた。

「いいねえ。うん、いいねっ、おもしろそう。それやろう」

「……」

「で、どういう作戦なの? ワタシはミサイル作ればいい?」

「そんな恐れ多い。ただ、星の座標を教えてくれれば」

 ミサイルだろうとタイムマシンだろうと、キリウが作れと言うならベストを尽くそうと思っていたI.D.は拍子抜けした。

 星の座標なんて言うなら。

 かつてI.D.がひとりで遊んでいた頃、世界の広さを調べるために星を利用しようと考えたことがあった。きっかけは彼女が当時にネットのコミュニティで見かけた、『空の星は人工物であり電波で相互に通信している』という言説だった。暇にあかせてそれを独自に調査し事実であることを確かめたI.D.は、ひとりで放送していた違法ラジオ局用の送信機とテスト用の受信機を使って、星と外部との接続口を探り当てた。そしてそこから、通信を介して自己増殖するプログラムを送り込んだのだ。結果、大増殖したそれは今も動き続けている。

 星が人工物であること自体はI.D.にとってはどうでもいいことだった。肝心の世界の広さについては、肝心のプログラムや方式自体の設計の不備で、一定距離以上離れた地点のデータはほとんど収集できず、I.D.の思い付きは失敗に終わった。しかし副次的な効果としてI.D.は、ゾンビ化した星から地上に向けて一方的にデータを送信する手段を手に入れた。星と星とのネットワークを利用して、世界中に無意味なラジオ番組を送り付けることさえも。

 そんな事情だから、路傍の星でよければ座標くらいなら毎秒でも取得できるのだ。I.D.がギラギラした一つ目で凝視していると、キリウは今日も虫のように見つめ返してきた。

「落とすのは俺が……やりたいけど、遠すぎて狙いがつけれない」

「へえー。まあ、アレけっこう動くもんね」

「手伝ってくれる?」

「水臭いなー。キリウ君の頼みだったらなんでも特別に聞いてあげても――」

 言いかけて、I.D.はぎょっとした。

 咄嗟に彼女はキリウに向き直って叫んだ。

「どうしてワタシに空の星の座標が分かると思うのさー!?!?」

 目の前で大声を出されたキリウは、いつか見たような顔をして身を引いていたが、そんなことはどうでもいい。

 いまさらI.D.は、キリウが突然星の座標だとか言い出しても驚きはしなかった。そもそも『星の座標』なんて概念が存在すること自体、I.D.にとっては意味不明なのだが、実際問題I.D.が受信した星の内部データにはそうとしか思えない値が記録されていた。だったら世界の秘密に詳しそうなキリウならば、何か知っていてもおかしくない。

 しかしそのような相談事をI.D.に吹っ掛けてくるのは全く不可解だった。I.D.は前述の話をキリウにしたことなど無かった。偶然以外でこんなことがあるとすれば、それはキリウがI.D.の秘密――もしかするとラジオ局の顛末をも含む、重大な秘密を知っているということだった。

 取り乱しているI.D.とは対照的に、キリウは虫のような目をしたままだった。I.D.はその赤い瞳が紫色の光のように自分を見透かしているような気がして、思わずアンテナ(器官)が逆立った。

「分からないの?」

「分かるよっ? 摩天楼のようなプライドにかけて分かるよっ!? 分かるけどーっ、キリウ君ーっ、キミはまさか――」

「I.D.、あの機械で星をモニターしてたんじゃないの」

 モニ!?

 という音を立ててI.D.の神経が詰まる。キリウが指さした『機械』は、がれきを分解している抽出器ではなく、開け放たれたメイヘムの荷室に積まれていたコンソールの方だった。

 ここで言うコンソールは汎用のコンソールであり、I.D.が自分で組んだ数々のモノに対する単なる入出力装置だ。しかし確かにI.D.は、ときどき受信機にそれを繋いで星からの応答を確認していた。キリウがそれを見ていたならば、こんなこともあるのだろうか。

「いいいい意外とキミはよく見てたんだねぇー!? 心臓止まるかと思ったっっ」

「心臓無いだろ」

 あるのか? こんなことが? いくらなんでも察しが良すぎる?

「I.D.、何だと思ったの?」

 疑念は残っていたが、キリウが気の抜けたように笑ったのを見ると、I.D.は一先ずどうでもよくなってしまった。どうせ段々おかしくなっていってしまう世界なら、少しでも長く友達と一緒に笑っていられたらいいと思ったからだ。

「なんでもないよっ。なんでもないってば」

 その時、抽出器がガタンと乱暴に揺れて止まった。赤いランプを点滅させてピーピー鳴き始めたそれを見て、I.D.は小走りに駆け寄ってゆき、投入口を開いて中身を改めた。白い欠片の中に紛れ込んでいたものを見て、再三I.D.は叫んだ。

「出目金はいってるーー!」

 抽出し直さなければならない。また古本を読んで待っていても良いかもしれない。こんなところに置いていかれて、もう誰にも読まれることのない本たちを。