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196.メモリー・オブ・ミッチェル君

 悪魔が囁いてんのか? 慈悲深いのか? 辛いものが苦手なのか? オーダーストップが150分前やり? ばんぱん望んで生まれてきたら理不尽を感じないということはなく? あるいは自分が作り出したもの以外に思い出がないのか? イクラ工場で尋問されんれて精神的カジキに堕したる清潔感がないのか? 先達うざいよやめやめろやめけんやめ? 焼死される?

 意味をなさない疑問ばかりが浮かんでは消えていく。キリウ少年は、がらんとした倉庫の真ん中で概念上の月末を過ごしている。倉庫の真ん中にぽつんと置かれた白いガーデンテーブル。その席に着いて、バカみたいなぼんやり顔をしながら、目の前の光景を眺めている。

 小人だ。テーブルの上にマグカップくらいの小人がいて、何やらモソモソ動いていた。

 少年だ。どこかで見たような、薄汚い恰好をした少年の小人だった。白い皿の縁に座ったかれは、両手で抱えた真っ赤なチェリーに顔を埋めて、虫のように一途に齧りついていた。

 チェリーは皮が壊れるたびに甘酸っぱい汁をあふれさせ、少年の顔面から腹までをぐしゃぐしゃにしていた。かれの足元には、すでに三つほどのチェリーの種と軸が散らばっていた。皿の上にはまだ丸のままのチェリーがたくさん乗っているが、あれはキリウの薬指だ。キリウの薬指の先がぷくうと膨れて、真っ赤になって痛くなってかゆくなってちぎれ落ちたとき、ああいう形になる。

 小人の暗い眼窩には、両目が嵌ってない。キリウは知っていた。かれの目ん玉は、かれが赤ん坊の頃、周囲の同情を引く目的で母親に潰されたんだってこと。

 三十五人目の卵を抱いた簡素な雷神? キリウはあの日のかれしか知らない。

 かれは単に笑えないジョークを言う質だったのかもしれない。先天的に無かったものを、キリウに金をせびるため出鱈目を言ったのかもしれない。それともかれは、何か本当に非道いことをしたから、見合うほどの理由で視力を取り上げられた大罪人なのかもしれない。

 けれどキリウは、レコードを見てかれの瞳の色を知っていた。

 キリウは『テスト』の権能でレコードを読むことができた。

 少なくとも、かれの目にまつわる話は全て事実だった。全部レコードに書いてある通りだから、正しいんだろう。仲間たちと持ちつ持たれつの路上暮らしをしていく中で、唯一母親から教わった生き方を実践することに戸惑いは無く、何者をもさほど憎みはしなかった。危険な治験のバイトで手に入れた機械の目玉で、最初に見た光のあたたかい記憶。

 ミッチェル君は何も悪くないのに。ただ生まれてきただけなのに。

 レコードを見なければ、キリウはかれの名前を思い出せなかった。忘れっぽいのは元々だし、忘れてしまうなら逆らうつもりはなかった。

 それでもあの時、ミッチェル君がくれた思い出の端っこはまだキリウの中に残っていた。たとえ長い時間の中で、キリウの手のひらよりも小さくなって、潰れた眼球の下から這い出てくるようになってしまっていたとしても、それはキリウのものだし他人に触られるのは嫌だった。

 解った気がした。そのことを解っていたから、キリウをキリウでなくするために壊された。

 いまレコードを読んで内容だけ知っても、最初に抱いた感情はどこにも無かった。黒の中に白があり、その白の中に黒がある。無くなったことだけが痛いほど解る。

 文字化け寸前のメタルコランダミー? 皿の上のドーナツを指さして、誰が真ん中を食ったんだとブチ切れている奴も、キリウは見たことがある。

 ふと、目はどこにやったんだとキリウは思った。かれは首に目玉をぶら下げてない。

 少し上から首の後ろを覗き込むと、紐をしぼったフードに半分隠れて黒い口を開けている端子が見えた。そこに繋がるべきものは、どうやら三歩離れたところにビニール袋に入れて安置されていた。かれは目玉にチェリーの汁がついて壊れるのを恐れていたからだ。

 きれいになった四つ目のチェリーの種を足元に転がして、ミッチェル君は慎重に辺りを爪先で探り始める。キリウは駅前で貰ったポケットティッシュを引っ張り出して、予告なしにミッチェル君の顔を拭う。ミッチェル君は自分に近づいてきたものの気配を敏感に察知していたにもかかわらず、大げさに驚いたような仕草をした。かれは無い両目でキリウを見上げると、嬉しそうにニヤッと笑った。

 ミッチェル君は大人になれただろうか。キリウはレコードを見てかれの瞳の色を知っていた。そしてそれを見るのをやめることができなかった。