ケラケラした妖精の声がする。僕らはみんな彼のことが大好きだった。
『ブタにとっての薬が、トカゲにとっての毒だったりする。逆ももちろんだし、それは男と死体の間かもしれない。ガキと大人かもしれないし、単にオレと目ん玉の問題でもあったりする』
壊れかけの電波塔の足元を走り抜けてゆく、メイヘムは夢を見る。がれきが潰れる、じゃりじゃりした音を立てながら走る。街の舗装をぶっ壊しそうに大きな四つのタイヤに力をこめて、見えない命を踏みつけて回る回る。
ぞっとするほど冷たい空の上で、星がきらきら輝いていた。メイヘムは乾いた灰色の泥がこびりついたボディを凍り付きそうな夜風に晒して、腹の中をもそうしていた。窓食い虫にやられて全ての窓ガラスをなくした箱の内側で、ふたりのひとでなしが気でも違えたように笑っている。モノグロの少女の束ねた長いアンテナと、片目を負傷した悪魔の少年の空色の髪とが、風圧に踊り狂っている。
『で、話を戻すとだな。自分が隠す側だと思ってるタカビーな神ほど、自分の靴が隠された時にはみっともなく泣き喚くもんだぜ。あとはまあ、即物的な解決方法としては、思春期のモヤモヤには金属イオンだ。バタフライナイフとかベロベロ舐めてみろ』
『オ……オレとEちゃんのあいだに問題があるの?』
黒く冷たいがれきの世界のど真ん中で、理性的なことばを話しているのはD688/44放送回のアーカイブ。I.D.が古い音源の底から見つけたふりをして、滑り込ませた記憶。
僕らはみんな彼のことが大好きだった。彼に嗤われるために諸手を上げて叫んでいた。彼が両手に抱えた愛が欲しくてたまらなくて、黒い川の水面で口をぱくぱくさせて血眼だったけれど、朝が来る前には眠ることができた。
『無いと言えばウソになるな。なるかもしんないけど。例えばここに、謎の超物質αがあるとするだろ』
『こないだ闇市で買ったエルフの乳歯だぜ』
『お前以外のこの世の全員、オレとメカニックも含めたこの世の全員がだ。泣いて喚いてコレを指さして、キモい・無理・嫌な気持ちになる人もいる・存在自体がゆるされないとか非難しまくったとしてもだ。お前にとってだけは、運命の出会いかもしれねーだろ』
『えー。オレもむりだぜ』
『例えだっての。つまるところ、オレはその出会いを奪いたくねーんだ。選択肢はいつも全部目の前にあって、誰がか勝手に隠していいものじゃねーだろ。たとえその糸の先に繋がっているのが爆弾だとしてもだ』
『爆弾! ぼんばー!』
『そうだな。だからオレは、誰かが口に入れようとしているのがトリカブトだったとしても、絶対にそれを止めたりはしない。止めるもんか。やってみなきゃ――』
「I.D.、とめて!」
メイヘムのありったけの暴力がとある路線の脇にさしかかった時、窓の外を見て叫んだのはキリウ少年だった。
それはナポリタンの赤さをも醒ます声だった。彼は勝手にカーオーディオの一時停止ボタンを叩くと慌ただしく席を立ち、フロントガラスのあった場所からすり抜けるようにして外に出る。直後、ボンネットを軽く叩く音がして、彼は一瞬のうちに姿を消した。
「は、はあ~~~~ん!?」
気の抜けた声を上げながら、I.D.は勢いよくブレーキを踏み込んだ。たくさんのがれきの長い長い断末魔のあと、星明りの闇と静寂の中で、彼女はキリウが前方以外のどこかに向かって跳んだことを理解した。理解したなら右へ左へと、情緒不安定な犬のように窓枠に張り付いて周囲を見回す。
I.D.のピーコックグリーンの瞳は、遠目は効かないけど夜目は効いた。果たしてキリウは、右斜め後方側ですぐに見つかった。
風で乱れた髪が自由を体現していた。彼はその腕に人間の子供を抱えて、メイヘムの制動距離を大した勢いで駆けてきた。何かと思ってI.D.が身を乗り出すと、肩に担がれたそれは、虚ろな顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにした小さな男の子だった。
拳ほどもある瞳孔をガン開きにしたI.D.の眼が、キリウとそれとを交互にじろじろ見る。彼女はさほど興味が無さそうな声でキリウに尋ねる。
「なーにーそのコドモー?」
「神隠しっぽい。ここらへん、電波が薄いからだと思う。街まで乗っけてってもいい?」
「ふうん。キリウ君の頼みだから、聞いてあげるよ」
「ありがと、I.D.」
電波が薄いことと神隠しとの関係は知らないが、キリウに礼を言われたI.D.は、少し気を良くした風に助手席のドアを開けて手招きした。そして荷室に山ほど積んでいたダクトテープのひとつを彼に手渡した。よくわからない人間の子供が、メイヘムの中で暴れないようにしてほしいからだ。
『――わかんねーだろ。できればいつなん時でも、オレは与える側でありたいんだ。とはいえ今んところは奪う方が楽しいし、畑を荒らす奴を耳からファックしてしまうかもだけどな』
愛なんていらないと嘯いても、いざ目の前に愛をぶら下げられれば恥も外聞もなく飛び付いてしまう。嘘でもいいから愛が欲しいと思ってしまう。彼はこれといって痛みを伴う愛情を好みはしなかったが、実際のところ、彼が乗っているならメイヘムに轢かれても愛だと言える奴は何人もいた。キリウ少年もそうだった。