俺が最後に出会った時、彼女はやっとガレキの下で動いてる全てのモジュールの名前を覚えたばかりの、見習い庭師だった。
あの時のことはあまり思い出せない。レコード見ても書いてない。あいつが消したんだと思う。
――。
彼女を迎えるにはしばらく時間が必要だった。最初に俺は、混沌として闇鍋みたいだった中央をちゃんとして、普通の生き物が立ち入れるようにした。彼女が彼女の姿のままでいられるように。あるいは俺が、彼女の友達のままでいられるように。それともただ単に、他人を招こうとしてから散らかしっぱなしの部屋を片付けたみたいに。
(散らかしっぱなしの部屋、誰の記憶だろう。彼女にときどき中央をまかせれるようになってきた後、俺はそれまで山積みにしてた不具合に手をつけ始めて、とっかえひっかえ適当なアクターを借りて地上を調査してた。その中に、そういうやつがいたのかもしれない)
そうして彼女を招こうとしているあいだ、俺は彼女の存在と浅慮な子供そのものみたいな言葉に抱いた当初の希望を忘れもせず、システムに手を入れることに躊躇しなかった。箱庭をより良くできるなら手直しは必要だった。きっと、俺をここに使わした奴も同じことを言ったと思う。
そうでないなら俺が俺である意味がわからない。俺が生き物である必要が無い。
だから望みがほしかった。それは虫けらの形をしていた。
――。
俺にしかできなかった全ての仕事を、彼女あるいは他の誰にでもできるようにするには、自分を抉り出さなければならなかった。テンポラリ領域に無理くり展開した自分の構造体から、マイナスドライバーで慎重に抉り出したそれは、なんでかほんとうに綺麗だった。丸くて透き通っててキラキラしてて、俺が初めて複製したそれを与えた時、彼女は虫のような目でそれをじっと見つめた。
(あるいは他の誰にでもって、みんなの世界だからって。いつかもっと他の人にも手伝ってもらえるようにって。どんなに愚かなこと言ってるのかもわかってない。それは誰にでも与えていいものじゃあないのに)
――。
彼女は灰を入れた箱の中で、レコードの読み書きを練習しながら、彼女がいなくなったあとで蝗害で滅んだ故郷の話をしていた。そういうのを見飽きていた俺は何も言わなかった。彼女は中央のコントローラ電波塔の下で、浄化される無数の命をいつも眺めてた。毎日やってるから見なくていいって言っても、彼女は炎の中でゼロとイチに戻っていくミジンコやサトウキビの命に触りたがっていた。
優しい人間だったんだと思う。エラーが検知されたあと、大量の異常データを破棄するとき、彼女は寂しそうな顔をする。ガレキの粒よりもたくさんの命が循環するさまを毎日目にしても、彼女のそれは変わらなかった。そういうのを見飽きていた俺は何も思わなかった。
俺じゃない、ちがう。
――。
彼女に仕事を教えるための仕事が増えた時間は、それほど長くなかった。想像してたよりずっと早く、彼女は電波塔にまつわる無数の入力が引き起こすデタラメな出力の理不尽な因果関係を理解し始めていた。電波塔のチューニングも、すぐに俺が教えた通りこなせるようになった。
(この箱庭は、異常データの発生を許容した上で、電波塔でそれを補正していく作りになっていた。本当はそんなの良くないはずなのに、ずっと継ぎ接ぎだらけでどこから異常データが湧いてくるかわかんないから、現実にそうなってしまっていた)
彼女が手伝ってくれるようになったから、俺は一日中すべての電波塔の調整をしなくてよくなった。おかげで俺は、横のものを縦にするだとか、AがAであることを証明する等といった、他の仕事ができるようになった。
俺じゃない。
(電波塔の調整がむずかしい一番の要因は、電波によってオペレーター自身の認識が変化する点にある。コントローラ電波塔からの距離と角度による補正だけでなく、電波によって変化した認識の上で最良の状態になるように補正しなければならないので、チューニング作業時は、オペレーターが電波の圏内に入らないといけなかった。中央から触るなら真下だ)
(彼女が電波塔の調整をオートメーション化しようと頑張ってた時期もあったけど、自分でやるのと変わらないくらい手間がかかることに気づいたのか、そこそこであきらめていた。せめて現地にいる生き物に補正値の確認をしてもらえたらと言ってたが、そんなん中央に伝える手段が無い)
――。
彼女がきてくれたから、俺はもう、かわいそうなテストじゃなかった。
俺じゃない、ちがう。
俺は、
――。
ふたりでやってて気づいたことがあった。俺はずっとひとりだったから、ろくにメモも書き残してなかった。でも、他人と一緒に作業するのに、それだと行き違いが出てきてこまることがあった。
その日も俺は、まだどこにも書き留めてなかったバグっぽいものの調査のために、地上に上がっていた。電波塔から落ちたものが、たまに地下に突き抜けるというやつだ。実害は無いけど、ここまで落っこちてくると彼女が見に行ってしまって気が散るので、バグなら直したかった。
実際、この箱庭にバグっぽいものは数えきれないほどあった。観測条件次第で、太陽のフチからしっぽのようなものが生えて見えるだとか。特定のエラーのあるアクターが、描画できずに真っ黒になるだとか。定義に無い一つ目の奇怪な生き物が湧いてるだとか、星が爆発せずに落ちてくることがあるだとか、虹の色がずれるだとか。いろいろあったけど、電波塔の調整よりも大切なことなんてほとんど無かった。
その頃の俺は人間のすがたで地上に出ることにも抵抗が無くなってて、彼女に中央を任せて、借りたアクターでガレキの上を歩いてた。地上の電波塔の下に居た。その日も俺は、俺じゃない。俺は、
『#%@※』
――。
あの時のことはあまり思い出せない。レコード見ても書いてない。たぶん、あいつが消したんだと思う。
あいつって?
次に自分を認識したとき、俺は壁の中にいた。
そして何も無かった。指一本動かせない、と思ったら指が無かった。目も無い。何もない。
――。
(俺がアクターを操作する時は、電波が届かなくて中央からのデータが受け取れないところでも活動できるように、自分に必要なものを全て固定化して持ってた。ほかのアクターを借りてる時でも、中央にいる時みたいに魔法を使えるようになったのは、彼女のために、魔法を付け外しできるようにしたからだ)
なのにその時の俺は何も持ってなかった。全部失くしてた。レコードを消されてたから、何を持ってたのかもわからないのに、ただ何かを失くしたことだけが解った。あまりにも空いた穴が大きくて、恐ろしかったから。
何も無いまま数百時間が経った後、やっと気付いた。俺、読み取りの権限だけ持ってたの。誰にでも与えていいものじゃないなら、読み書きの権限を分けて必要な人にだけ与えられればって彼女が言ってたから、こっそり試作して自分で設定してみて忘れてたやつ。
座標を確認すると、自分は地上のX=0付近の、何の心当たりも無い、何かあるはずもない場所に放り出されていた。近くを飛んでたスカイフィッシュにコンテキストを切り替えてみたら、外から見た俺のアクターは、白くて捻じれた不気味な岩のような姿になってぽつんとガレキの上に生えていた。俺はどうしてこうなってて、なんでこんなところにいるんだろうって、なんで
――。
そのまま二万年くらい、そこにいた。
そのあいだ俺は、レコードをずっと読んで自分を探してた。たまに俺に接触してくるものがいたら、自分以下の権限を他人に付与できる機能を使って、手当たり次第にバラまいて糸口を掴もうともしたけど、今となってはそんなことはどうでもいい。
俺を壊して中身を持って行った奴は、あんまりてきとうな奴で、全てを根こそぎ消したわけではなかった。俺が渡り歩いたたくさんのアクターのレコードに、消えずに残っていたものも少しずつ散らばってた。だからほんとは、いま俺が知ってることが、元の俺のどれくらいなのかは分からない。彼女のことだって、中央での出来事は正規のレコードに書かれてないから、地上で俺が考えてたことから読み取るしかない。
俺は、
俺じゃない。
ちがう俺じゃない、俺じゃない、俺じゃない、
俺は、俺じゃない、彼女は、
ああーーーーっ、もう