まっくらくらやみのくろいくろい空の下、こうこうと燃える真っ白ながれきの世界で、ともすれば私は自分すらも焼き尽くしてしまいそうでした。本当はとうに燃え尽きていたのかもしれません。白痴の火の鳥がやらかした四回前の世界よりもずっと前から。
私が初めて出会った時、彼女は白い蝶々でした。この不毛な仕事も三万年目に差し掛かったある日、オートメーションされた浄化処理がつっかえて、百七年ぶりに自動制御を解除した私が、二秒だけ発狂して待ち行列から無作為に取り出した命が彼女だったのです。そのようなオペレーション自体、ゆるされることではありませんでしたが、もはやここには私を罰する者もいないのでした。そしてそれはこの世界が見捨てられたことと同義でした。
比率からいっておそらく線虫が出てくるだろうと思っていた私は、その命を描画してひらりひらりした姿を見たとき、狂喜しました。炎とがれきと電波塔以外のものを見たのは六百五十二年と百七年ぶりでした。がれきと同じ色をしたはずの彼女は、私の眼には狂花よりも色鮮やかに映りました。当時の彼女が雌雄どちらであったかは知りませんが、のちの彼女ですので、彼女としましょう。
一時領域に展開した彼女が何か囁いたので、私は即座にコンバートして出力しました。
『こんにちは かまきりさん』
おどろいたことに、その優美な虫は挨拶をしたのでした。それも、認識上の目の前の存在すなわち私に挨拶をしたのでした。私は逆のシーケンスにて、自分がカマキリではない旨を彼女に伝えました。すると彼女は文脈を理解してへんじをしました。
『かまきりさんより くろくて おおきい あなたは だあれ?』
このとき私は、何と答えればよいのか分かりませんでした。私には決まった名前が無かったからです。無いわけではなかったけれど、無いようなものだったし、それで呼ばれたくないとも思っていたからです。たとえ難産で命を落とした父親からの最後の贈り物だったとしても、私は然るべき手段でそれを変更しただろう。
迷った末に私は、自分はこの箱庭の庭師だ、と答えました。初めて名乗ったその字面は不思議と物狂おしく、恐ろしいほど自己認識にマッチして思えました。
『こんにちは にわとりさん。いまは あかるいね』
彼女の反応は虫そのものでしたが、私は非常に好ましく感じました。ここは永遠に明るい地獄の窯なのだよ、そう笑いながら私は、彼女のIDでアカシックレコードを引きました。引き狂いました。するとどうやら彼女は、カマキリに食べられて死んだようでした。また、彼女は潜在的に無神論者で、走光性があることも判明しました。
私はもう三秒だけ発狂して、彼女にメッセージを送りました。
> ちょうちょさん、私は今からあなたを浄化処理に投入して、命を初期化します。初期化された命は、また地上に昇って新しい別の生き物になります。そのときあなたは、私と話したことも覚えてはいません。
> けれど今の私の正気はもはやそれに耐えられないでしょう。とても久しい命の輝きを見た気がするし、それにあなたは優しい心を持った虫ですね。カマキリに引き裂かれている時ですら、あなたはカマキリが自転車に轢かれないようにと願っていた。
> だからあなたの優しさに甘えて、ひとつだけ、私をゆるしてほしいのです。私が、あなたという存在に望みをかけることを許可してほしいのです。
> 私は今から、あなたの命にデバッグ用のタグをつけます。これがあと65536回巡るまでに、あなたが人語を解する生き物に生まれたら、私は人間としてあなたに会いに行きたいです。そして私がこれからの長い時間を、それを希望に生きていくことを、どうかお許しください。
『いいよ そうしてね』
彼女はその翅に違わず、おそろしく淡白に答えました。私は彼女の返事を聞くが早いか、握りつぶした彼女の命を、ふたたび待ち行列の途中へと強引に突っ込んでいました。
そのようなオペレーション自体、ゆるされることではありませんでしたが、もはやここには私を罰する者もいないのだ。そしてそれはこの世界が見捨てられたことと同義だった。