デパートの屋上でまったりしていたコランダミーが、ふいに空に手を振った。UFOと交信しているのではない。その方向から、凄まじい勢いで連れのキリウ少年がとんできていたからだ。
乾いた音を立てて前のめりに着地した彼を見て、コランダミーは相変わらずの調子で尋ねた。
「キリウちゃん、楽しい?」
息が切れかけの少年は、照れ隠しをするようにきつねのハンドサインを作ってうなずいた。長い道の途中で――この比類なきメトロポリタンなポリタンに到着してしまったあと、彼はイトシラズ街中央駅を出てから今まで、ハシャいでずっと跳び回っていたのだ。
実際、ここまで大きな街はめったなことでは存在しないものだった。この街には接している路線が九つもあり、うち六つが街の真ん中を突っ切って、要所要所に要塞のような駅をいくつも構えていた。特にここら一帯は、罪人を幽閉する以外の使い道が思いつかない大きなビルが建ち並び、カトンボが吹き飛ぶほどの濃い電磁波が周波数帯を埋め尽くしていた。正四面体を積み上げて作られた屈強な電信柱に、スクラッチくじ付きのイチョウの葉に、いつまでもペンキ塗りたての郵便ポスト……枚挙を上げれば暇が無い。
太陽のしっぽを模したアドバルーン、あるいはそれが目印となっているこのデパートもまた、この街をメトロポリたらしめている宝石のひとつである。ホコリっぽいカフェテラスのはずれであんみつを食べていたコランダミーの手首には、そこらで貰った同じ形の風船が結び付けられており、彼女の手の動きに合わせてぷわぷわ揺れていた。
屋上の柵に面するこの場所は、下界を眺めるには低すぎたが、ビルの隙間を縫って周囲を確認するには充分だった。キリウは、テーブルの下でコランダミーから与えられた寒天の山を釈然としなさそうな顔でかじっているトランの頭を撫でて、ふらふら柵にしがみついた。ここからは電波塔が三本も見えた。この距離でこの大きさだと、もしかしたら一本は街の中に立っているのかもしれない。
そして林立するタワークレーンを指さしたキリウが、唐突に言い出した。
「コランダミー。クレーンが無くなる時って見たことある?」
よく分からなくてにこにこしたまま首を横に振ったコランダミーをじっと見て、キリウは勝手に続けた。
「クレーンが無くなった時の街の景色って、作ろうと思ってたものが全部出来上がって、ひと時だけの一番きれいな姿なんだよ。大きな観音様がいて良い街だったのにいつも工事中の建物が残ってて、だから俺ずっと待ってた」
その少年が今いるイトシラズ街とは関係ない街、おそらく彼がかつて生活していたであろう別の街の話を突然始めたことに、コランダミーはすぐには気づかなかった。もっともそれは、こういう時の彼に際して、ただ放っておけば良いという対処法に合致してもいた。
「だけど完成した街は、隣の街が大きくなり始めたせいで、そのあと放ったらかしになっちゃった。こっちは開発中の流行ってた頃に住み始めた人たちが、惰性で塩撒いてるだけのしょっぱい街になってた。俺も夜中にすかすかの雑居ビルを掃除しながら……天井裏から出てきた、目が無くて身体が長くて脚が十本ある動物にゆでたまごあげてた」
湿っぽい話題に反してキリウは目を輝かせながら、狭くて高い空を仰いで楽しそうに笑っていた。しかしコランダミーは薄暗いビルの廊下で化け物とじゃれあっているキリウの姿を想像して、胸が苦しくなり、うっかり反応してしまった。
「キリウちゃん、ひとりでそれやってたの?」
「いや、だから今言ったヤツが七匹と、それにトランもいたよ。なあトラン、いっぱい捕まえたよな」
やむなく黙り込んだコランダミーを意にもせず、勝手に椅子に掛けたキリウがテーブルの下のトランに呼びかけている。もちろん無視されることを織り込み済みで、次の瞬間には鞄から引っ張り出したファイルをめくり始めてもいたが。
「ちょっと思い出しただけなんだ。そんなふうに、ひとつの街で毎日屋根の上を歩くこともなくなったから。どこ行けばいいのか分かんない旅って聖地巡りの次に苦手だけど、コランダミーがいて、今は行くとこがあるからいいんだ」
何がいいのかは知らんが心底嬉しそうに言うキリウを見て、コランダミーは「ニー!」と鳴いた。耐えきれなくなった風船からぶしゅうと空気が抜けて、へろへろ落ちた。
一方で、クリップで目印をつけたファイルのページを開いていたキリウの目は、とある一枚の色褪せたポストカードに注がれていた。遠いどこかの街で、偶然送り先を間違えて届けられたこれを手に入れた日から、彼は数えきれないほどこれを眺め返していたのだ。面積に対して青色が多すぎる、奥行きに対して建造物が少なすぎる、愛しさに対して切なさが足りなすぎる、その写真のすみっこに印字されていた文字は……。
『イトシラズ海浜公園』
中央駅からモノレールで一時間半。