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120.ネコ

 この街があんまりにも退屈すぎるせいでケセランパサランの爆弾を作り始めたキリウ少年を、大天使コランダミーが散歩に引っぱり出した。そういう感じで傾き始めた太陽が、傾きすぎて困ってしまった。

 半額で買った花を抱えて歩くキリウの空色の髪の毛は、夕焼けの下でほのかに輝いて見える時と影になじんで見える時とがあったが、それにキリウ自身が気づくことは無かった。そのことに気づいてくれる誰かも居なかった。仮に居たとして、おそらく彼が永遠に失ってしまったもののひとつだった。

 もちろんコランダミーも気づかなかったが、それはそれでいいのだ。そんなのはコランダミーの役目ではないからだ。どちらかというと彼女の役目は、ミツバチに見境なく媚びを売るとか、そういうところにあった。それをするとしないとでは、末代まで滅びた後の未来で大きな差が生まれてくるに違いない。

 さて、塀の上でねこと一緒にいるトランを再認識したコランダミーは、びっくりしてキリウに報告した。

「トランちゃんがねこちゃんと喋ってる」

 ねこがにゃーにゃー鳴いているからそう思ったのだ。思わず天使の羽を撒き散らしながら忍び寄ろうとしたコランダミーを、愛想なくキリウが制した。

「たまにやってんだ。ジャマしちゃ悪いよ」

 しかしコランダミーが鞄から書籍『瓦解するように分かる!ねこ語』を取り出して見せると、キリウも明らかに目の色を変えた。今日は黄色だ。

 そうして色めき立って、付録のプログラムを外付けメモリに展開して神経に接続すれば準備完了。ターゲットの斜め後ろの遮蔽物に身を潜め、友達のことをもっと知るために、二人はねこ語のリスニングの実践を開始した。

 

 * * *

 

 なんといいますかね、この街のネズミは臭いんですよね。ハラワタが。

 アナタもそう思うでしょ? しっぽもブヨブヨだし。叩くとブルンブルンするし。毒を啜って生きているようですよ、そしてそれを食べている我々もね。

 私も本当なら、今すぐにでもアナタのように無闇やたらと空を飛んで、哲学に励みたい。妻と子供がいなければっ、それこそ永遠という名の風になりたい。妻も子供もいませんがね、ただ私は未来の話をしているんですよ。彼女と私は同盟を結び、事あるごとに核兵器を撃ち込み合う……見えない光に満ちた未来を見据えてるんですよ。

 もちろん積極的に公言したくはないんですけど、古いサルの脳みそは、あの……その……えぇ。学童保育で食べさせられた粘土の味がするんです。この話をすると面倒くさい人みたいに扱われるから、言いたくないんですけどね。あー言いたくないー。しんどいー。

 失礼、強要するつもりは無いのです。武器の持ち合わせがないので。

 だいたいっ、我々は他者に関心を持ちすぎる。でも私はアナタが返事をしてくれるからアナタに興味を持っているだけですし、アナタもそうですよね。反応があるならデンデンムシやダンゴムシでもいいわけですしねっ。それでいて実際にはデンデンムシがマイマイカブリにハラスメントされようが知ったこっちゃないんですよねっ。

 何より、こうして生温かい風を浴びているとねっ、布団で簀巻きにされた時のことを思い出すんですわ。我々は周りの雰囲気ひとつでどこまでも残酷になれることも、ね。おかげさまで背が伸びるわ足が伸びるわテモテモになるわでえらいこっちゃ。

 ああ、だからですね、私は未来の話をしているんですよ。あるいはいつかの過去の。アナタもね、簀巻きにされたくないでしょ。伊達巻き好きじゃないでしょ。暑いんですよ。悲しいんですよ。切ないんですよ。布団以外の誰も私を抱きしめてはくれないんですよ。ねこなのに。ねこなのに!!! フギャアア!!?

 しかもですよ!? こんな繊細な毎日を過ごしているせいで、夢を見てしまうんですよ。その夢では、私のパンパンに膨れ上がったハラワタが腹からとび出ているんですけどね、臭すぎて妻が笑っているんですよ。私もねっ、笑いたいんですけどね、口から亡国の売国奴にハラスメントされつつあってのっぴきならないんですよ。

 無邪気な息子が私の肥大化したしっぽを叩いて遊んでいて、ブルンブルン揺れてっ、酔ってしまうんですよ。私が何より酔わされたかったのは彼女の純真なぬくもり、ピクピクする腹筋の左半分、そうでもなけりゃn対nの対戦型コミュニケーションゲームを経て限りなく横暴になったドーナッツ状の自我にハラスメントするんですよ。

 ああ、だからね、私は未来の話をしているんですよ。楽しみでしょ、未来。セメント食ってる未来。光り輝く金のない未来!!

 

 * * *

 

 話の終わりを待たずによちよち歩いていってしまったトランを引き止めもせず、ねこは虚空に向かってひとりで喋り続けていた。

 コランダミーは外付けメモリを引っこ抜いて、キリウの腕を引っ張った。

「キリウちゃん、あのねこちゃん変だよう」

 けれどキリウはねこの話に聞き入っており、目をギラギラさせたまま神妙そうに頷くだけだった。