ここにイチゴを捨てないで!
――イトシラズ街港湾局
それの言うところが核物質であることを神がかり的に悟ったとき、キリウ少年の心はちぎれた。四つくらいになった。
海の話だ。風の便りが聞かせたその海は、今や好きな人にされても許せないくらいに埋め立てられて、別の場所になり果てていた。淀んだ水面を覆う固形化した脂に、座布団みたいなハンペンの死骸が引っかかって腐敗し、異臭を放っている……そんな海。
段々のコンクリート護岸にじっと座り込んで、ダンゴムシを噛み潰したような顔で海を眺めているキリウの目を、コランダミーが不思議そうに覗き込んだ。
「キリウちゃん、どおしたの」
これって青春っぽいな、と気づいて恥ずかしくなったキリウは砂埃を払って立ち上がった。
「船酔いってやつかな」
「むー」
もちろんここは船上ではない。ただキリウはなんとなく、生まれてから一度も本物の海を見たことがないという話をコランダミーの前でしたことがなかったのだ。
決してコンプレックスのようなものがあったわけではない。どちらかというと、清純派キャラでもないのに、わざわざ無知をひけらかして回るのは意味が無いと思っていたからだ。何より、カマトトぶっているのだとコランダミーに思われたら立ち直れなくなりそうなのも大きかった。
しかし本当のところキリウは、コランダミーがこの海についてどのような感想を抱いているのかを知りたくてしょうがなかった。なぜならキリウより見聞が広そうなコランダミーが、むしろこの惨状に何もコメントする様子が無いからだ。それならもしかすると、海というのは大抵はこのようなもので、特別に言及することが無いのかもしれない。
いや待てよ、キリウの邪悪な目にだけはこう見えているのだとしたら? もしかすると、コランダミーの底抜けの目にだけはこう見えていないのかもしれない。まさか誰の目にも、まったく違って見えているなんてことは? カメラのレンズ越しだと青くなるとか、下敷き越しだと偉大な神に見えるとかは?
もっともそんなことを言ったら、キリウが見ているコランダミーが別の人からはドラム缶や白バイ警官に見えている可能性を考慮しなければならなくなるので、難しいところではあったが。
巨大なワラジムシを追いかけているトランを追いかけて、二人は海沿いを歩いて行った。こうして広いところで観察してみると、トランは地に足を着けている限りは実にのんびりした生き物であった。どおりで散歩道に迷い込んで飼い犬にベロベロ舐められるのだろう。
そうしてしばらく進むと、護岸の上で羽にテグスが絡まった水鳥がじたばたしていた。
「おっきい鳥だね」
カマトト代表のコランダミーがぽてぽて駆け寄った。無邪気な彼女の所作は、水たまりにBB弾を見つけた子供のようだった。
丸々と太った水鳥の白い腹にはかすかに赤い汁が付着しており、怪我をして血を流しているのかと思いきや、身体の下で熟したイチゴが潰れているだけであった。太陽の色を気にしているキリウをよそに、コランダミーはナイフでその汚いテグスを切ってやった。
けれど羽を繕っている水鳥の頭を彼女が撫でようとしたとき、急に斜め上から勢いよくクレーンゲームのアームが降りてきて、彼女は摘み上げられてしまった。
「きゃー!」
見ると、クレーンはすぐそこの廃灯台から伸びているようだった。不法投棄されたクレーンゲームが放射線の影響で変異したものに違いないが、そんなことはどうでもいい。
悲鳴を聴いて反射的に跳び上がったキリウがアームにドロップキックをかましたので、コランダミーは程なく解放された。しかしそれは、二人で汚れた海にダイブすることと同義だった。
――油膜を突き破って灰色の水の中に放り出された瞬間、キリウの脳裏に激しくフラッシュバックした映像があった。幼かったころに見た、泥水をすすってる灰色のちょうちょの姿だった。その淑やかな翅の上を、けばけばしいピンクのロードローラーが踏みつぶしていった。
苦すぎる水を飲んで我に返ったキリウは、コランダミーの袖を掴んだ。海に行った経験は無くとも、大きな水槽に突き落とされた経験ならあった彼は、即座にコランダミーを抱えて水面ジャンプで岸に戻った。
「ありがとお、キリウちゃん」
コンクリートにへたりこんだキリウは、ノドに張り付いた水があまりにも苦くて、それどころではなかった。そして例によってコランダミーがそのことについて言及しないので、やはり海というのはこういうものなのかと信じかけており、さらに八つに心がちぎれてしまった。
そんなキリウの気持ちを知ってか知らずか、当のコランダミーは相変わらずの様子で汚らしい藻屑を払い落としている。また見ると、彼女が助けた水鳥はクレーンゲームに殴り殺されており、イチゴまみれになって死んでいた。その死体を、トランが脚で転がしていた。
いとしらず夢の浜(RadioEdit)
味川しおみ
作曲:酢山飯次郎
作詞:津久田仁
やすり風より痛めつけて
壊れるものならいらないわ
指でも触れない塩の花
白砂の虚無にこぼれ落ちた
核の傘の隙間から仰ぎ見る流れ星
宇宙の光に抱かれて恨みウラニウム
ああ貴方は愛知らず
ひとりで行くのでしょうね
けど私も愛知らず
いっしょに行くとは言いません