28.終わりなきシャトル・ラン
この小さき穴を通れる神は、多くはない
俺のような男神はみな逞しくあったが、その殆どが、今は桃の中に捉えられている、しかし、なぜだろうか
東洋の神たちだけは、吸収されることなく、幼くなるだけで、まだ力を持っている
しかし、なんの因果か、それが今、希望へと変わったのだ
F11、桃式昇降機(エレベーター)の扉が開く、3111号室、アマテラスが、住んでいる部屋だ
ヘパイストスは、胃がせり上がるような窮屈さを感じつつ、インターホンを鳴らした、どうか、どうかアマテラスよ、死なないでおくれよ、あなたが地上を照らす光になるのだから…
数十秒が経った、その時、錠のかけられたドアが開いた
寝癖がピンピンとたった黒髪の少女は、目を擦りながら、半分あくびをし、その姿は、桃色のパジャマと、可愛らしい蛇(おそらくカグツチであろう)のぬいぐるみを引きずりながら、まるで神とは思えぬ、普通の少女のようだった
「あ………おじさん…」
「急な訪問、急な申し出、無礼だとは承知しておりますが、聞いてくだされ、アマテラス殿、つい先ほどのことです、俺は、この神ヶ島全域を支配したバケモノ、桃の肉壁、その壁を破ることに成功したのです」
寝惚け眼(ねぼけまなこ)のアマテラスに、幼子でも分かるように、アラハバキにしたように、ココまでの経緯を話した、そして、『穴』についても
「アマテラス殿、全てはあなたに頂いた、太陽(ほのお)のおかげです! あなたがいなければ、俺達は、神々は、一抹(いちまつ)もの希望をも見出せなかったでしょう」
「で、でも……わ、わたしは…ほんの小さな火しかだせません、それに、こわいです…」
少女は涙ぐんだ、だが、ヘパイストスは諦めてはいない
その少女の瞳の奥に宿る太陽が、まだ煌々と燃えているのだから
「桃の壁を壊した時、外の世界が見えました、アマテラス殿、あなたが愛し、慈しんだ(いつくしんだ)太陽は、今、暗黒に染められております」
「………」
少女はあっけに取られていた
まさか、まさか、あの太陽が…
「雲は黄土色に染まり、邪(よこしま)なる力を持った光が常に、常にと地上へと降り注いでおります、地上では、何が起こっているか把握することまではできませんでした」
そして、ヘパイストスは続けた、このような天変地異が起きたことの発端は、冥界の神であるハーデスが、桃の神経の中ですり潰されて死んでしまったためであること
それにより制御不可能になった地獄では、おそらく、何者かは分からないが、統治者を失った亡者の群れが、新たなる頭役(あたまやく)の命に従い、番犬の居ぬ地獄の門へとなだれ込んだのではないかと
「わたしに、なにができるというのですか?」
「それは…わかりません、ただ、外の世界で、幾つかの信仰を感じました、絶望の中に揺蕩う(たゆたう)細く、心細い糸のような、しかしそのような状況でも、希望を諦めてはいない、黄金の糸が、見えたのです」
元々、神々は人々の信仰を力に変え、そして天から地上に住む、か弱き生き物を見守っていたのだ、だが、それが、今にも途切れようとしている
信仰とは、つまり、希望への縋り(すがり)、それすら失った人々のことを考えて、アマテラスは、たまらなく胸が痛んだ
このような小さなからだになってしまい、力も弱まり、半ば全てを諦めかけていた
しかし、状況は一変した、ヘパイストスが穿った(うがった)、その穴によって
「ヘパイストスおじさん…わたし、ゆくことにきめました、お外にでて、わたしのことを信仰して下さっている方のもとへ、ゆきます」
なんという美しく気高き姿だろうか、少女の背後には、日輪が浮かんで見える、幻であろうか、いや、それはアマテラスの心の中に炎陽(えんよう)、照りつける夏日のように眩しいものがあるからなのだ
「こうしてはおれませぬ、私がアマテラス殿を背負って連れてまいります、急を要しておりますので、全力で走ります、決して落ちないでください」
何千メートルもある廊下を、走る、桃式昇降機のもとへ、あと、三人…三人だ…
「そういえば…地下にアラハバキ殿がおられました、アマテラス殿を心配しておられましたよ」
「そうですか…アラハバキも…つかまってしまったのですね…」
幼少の時からアラハバキとは仲が良かった、アマテラスが持つ『三種の神器』と呼ばれるものは、アラハバキからの贈り物であった
「ヘパイストスおじさん…わたし、外に….出ます、せかいをあかるい陽でともして、まっくろなたいようを、まっしろにして、えーと、えーと……アラハバキと、わたしの弟ツクヨミを、助けます!」
フフフ…ヘパイストスは笑顔がこぼれた、全く…日本の神々は…どんな状況でも、決して諦めぬ…
この高潔な魂を、神ヶ島で欲の限りを尽くし、欲に溺れ、今や下賤(げせん)になり下がったゼウス、そして、我がギリシアの神々がそれを持ったらどうなるのであろうか
ヘパイストスは、決意をした
狂った神話の世界を、『造り直して』『やり直そう』
今ならできる気がする、この幼き娘の心の内が、瞳の奥が、赤く輝き続ける限り
桃式昇降機は、4Fに止まった、目的は、ツクヨミである
しかし、ツクヨミがいるはずの部屋の前に、なんだかもどかしく身をよじる女がいた
「もしや……アテーナー…か?」
「え……えっ、えっアッ、ハイ、私こそがアテーナー! 全知の神、ゼウスの娘!」
名乗りを、上げたが、それはただただ虚しく、その静寂は、ヘパイストスと、アテーナーの胸に突き刺さった
「ツクヨミ殿に用があるのだが…」
そっと、ドアの隙間から、中を覗き見る
耽美(たんび)というにはあまりにもおぞましい、少年と魔性のまぐわいが、そこにあった
「これはダメだ…ヘラ様が相手ではどうしようもない…」
そしてまた、アテーナーに説明をする、アラハバキと同じように、アマテラスと同じように
「それなら、私! スタイルには自信がありましてよ!」
肌が透けんばかりの薄布に覆われた身体を、クルリと回した
「アテーナー、貴女ならば、通れるかもしれない…一度ついてきてほしい、そこの部屋のことは…しばらく忘れよう」
(これが、この耽美に耽る(ふける)女神が、わたしが昔愛した女神だというのか……)
ヘパイストスは、心底落胆した
あと二人、かろうじて見つけた、生き残っている神
この広大なフロアーにはまだ、力の残っている神がいるかもしれない、だが、それを待つ猶予はない
「おっ、おーいヘパイストス!」
急に声をかけられた、どこかで聞いたことがある声だ
まさかと思い、振り返り、視線を下に落とす
そこにいたのは、首だけの姿となったヘルメスであった
ヘパイストスの焦りを見て、ヘルメスは、何やら感づいたようだった
「戦(いくさ)、かい?」
「まあ…そのようなものだ」
ヘルメスは身体が侵食される間際に、自らが持つ鎌『ハルペー』で、己の首を胴体から切り落として、なんとか、生き永らえたのだ
「この、天を駆け巡る郵便屋の俺が、こんな情けない姿になっちまってよ、チクショウ…」
ヘルメスは、悔しさのあまり、唇を噛んだ
「ヘルメス…お前こそ俺が探していた神なのだよ、その聡明で、智恵な頭脳を持ったお前ならば! この力だけが取り柄な俺とは違って、この異質なる世界を、変えられるかもしれない、それと、身体の事は心配するな、おそらくなんとかなる(全く根拠はない)」
あと一人…あと一人だ
ヘパイストスは奔走する、どこだ、どこにいる、どこにいる
『フランスの女神』よ!!