27.バターチキンカリーが無性に食べたい、ナンが食べたい。全部食べたい。バターチキンカリー…。

額から零れ落ちる汗が、金床の上で蒸発をしている

ヘパイストスはふいご(炉に空気を吹き込む道具)も使わず、己の吐く息で、焼けた鉄を叩いていた

何時間、そうしていただろうか、桃の中では時の感覚が無い、おそらく、神から溢るる力で時間が歪んでおり、止まっているのだろう

「……ふぅ…」

手を止め、額の汗を拭う

「出来たぞ、アラハバキよ! 見よ、この槍を、すべてあなた達、八百万の神のおかげだ!」

その槍は、先端が透き通り、内部から発せられた熱が、桃の中に充満する歪(いびつ)な空気を焼き焦がしていた

「すごいね、おじさん、やっぱり鍛冶は…楽しいね」

「ああ、そうともよ、だが凄いのはキミ、アラハバキとアマテラスだ、二人がいなければ、わたしは何も練成(でき)なかった!すべてキミ達のおかげだ、本当に…ありがとう」

深々と礼をする、異教の神に、こうべを垂れる、もはや神の威厳など意味が無い、ただ、ただ一人の神として、感謝がしたかった

「そういえば聞いていなかったけれど、その槍を一体どう使うんだい?」

「アラハバキよ、この悪夢ともいうべき神々が捕らえられた牢獄、今や地獄というべきか、俺はこの中を探索したのだ、そして、見つけた」

ヘパイストスはこれまでの経緯を話した

ギリシア最高神であるゼウスとヘラが狂ったこと、他の日本の神の力が弱まっていること、冥界の神ハーデスが死んだ瞬間、桃に異変が起き不可解なほど硬くなった桃の体内のこと、そして、その鉄壁の如き桃の壁の一部に、おそらく、穴を空けられる場所があることを

「そうだったんだね…僕はずうっとここに繋がれていたからね…アマテラスお姉ちゃんは元気にしてたかい?」

「ああ、少し…力は弱まっていたが、だが、元気だったぞ、少なくとも、希望を失いかけていた俺よりはな」

ハハハッ、ヘパイストスは自傷気味に笑ったが、その笑顔は、決して卑屈な感情から生まれたものではなかった、喜びから生まれた笑顔だ

ヘパイストスは、桃が神々の前に姿を現し、瞬く間にそれを捕らえた少し前、そう、まだ神ヶ島(ウェイストランド)がかろうじて平和だった頃、鉄を打ち据えていた

ヘパイストスの遣いであるサイクロプスが、以前起こった異神の間の諍い(いさかい)に遠征をし、その壊れてしまった武器(槌、ハンマー)を練成するためであった

工房に充満する幾万度(いくまんど)という超高熱のために、桃が全てを吸収する時、ヘパイストスがいた一室だけ、無事だったのだ

「アラハバキよ、すまぬ、この壁やこの檻は、どうやら桃というバケモノの肉体で出来ているようだ」

「おそらく、この槍は触れた途端に壊れてしまうだろう、力添え貰ったにも関わらず、俺にはアラハバキを、貴殿を助けることは出来ぬ、本当にすまない」

「ううん、いいんだよ、おじさん、さあ、もう行きなよ」

アラハバキは牢の中で、ボロ布を纏った、草臥れた(くたびれた)様子にも関わらず、ヘパイストスに使命を全うするように促した

「改めて言おう、ありがとうアラハバキ、俺は行かねばならぬ」

ヘパイストスは再び礼をした

「じゃあね、おじさん、元気でね」

歩き出したヘパイストス、目的は、あの『壁』だ、おそらくあそこだけだ、『脆く』なっている

ヘパイストスは、燃ゆる神槍を携え(たずさえ)、桃式昇降機を昇っていく

もうすぐだ、もうすぐ、光が見える

そして、辿り着いた

「ここだ、ここなのだ、恐らく、この神の槍でも、ここを崩した途端に壊れてしまうだろう」

その一瞬の為だけに、ヘパイストスは全てを賭けた

大桃(だいち)を踏みしめ、槍を構える

これが槍の使い手、クー・フーリンであったならば、容易にすべての壁を破壊できただろう、だが、ここに立つのは、ただの鍛冶屋である

それは本人も重々承知していたが、心は既に決まっている、この壁が硬質化する前に、なんとしてでもやり遂げなければいけなかった

「さて、行くぞ…桃よ、覚悟せよ!!」

渾身の力を込め、薄壁に燃ゆる槍を突き立てる、爆熱とともに、桃の壁が砕けていく

だが、だが、その瓦解(がかい)は、途中で止まってしまった

「なんということだ、これほどの小さな穴しか空けられぬとは…神々の力はこれほどまでに弱くなっていたというのか」

ヘパイストスの表情は陰る(かげる)、だが、しかし、その瞳に宿った炉の炎は、諦めてはいなかった

「この穴を通れる…女神たちがいるではないか、小さき神たちが、俺よりもはるかに小さき神たちが、力を吸い取られた神たちが!」

ヘパイストスは、再び走り出した、アマテラスの元へ向かって

その、希望の太陽(ほのお)にむかって