年の瀬の冷たい空気は洗剤のようなものだ。この一年で都会にこびりついた汚れを浮かび上がらせ、あるいは浮き足立たせる。聖夜を越えたあたりから噴き出す容赦のなさは水のようなものだ。プカった汚れを田舎へ流し去る。
そうしてジパングは、四角い座敷を丸く掃いたみたいになった。
「あんたは帰らないのか?」
キリウ君が小さなビルのエントランスで街ゆく人々を眺めながら、まだけっこう汚れてるけどなとか思っていたところ、誰かにそんなことを言われた。寒いので彼は相手を確認せずに答える。
「どこに帰れっていうんだ?」
口に出してから、キリウ君は恐らくそれが自問自答であったことに気付いた。都会の奴が見ず知らずの人間に声などかけるわけがない。でもキリウ君は人間ではないが、しかし田舎の奴だって人間かどうか怪しいもの(たぬき以外)に声などかけるわけがない。
声をかけるのはいつだって自分なのである。もっとも、それはキリウ君に限ることではなく、にわとりを屠殺した経験がない全ての人間に当てはまる可能性があったが。
キリウ君は意味もなくビルに入ると、非常階段でまっすぐ上へ向かった。鍵のかかった扉を破壊して屋上に出た。
そこには授業をサボって寝ている男子高校生がいたが、ここは学校ではない。キリウ君はそいつを玉じゃくしですくって柵の向こうへそっと落とした。
隣には富士を鷹って寝ている茄子もいたが、初夢にはまだ早い。キリウ君はそいつを縁起と一緒に担いで柵の向こうへブン投げた。
さらに隣にはヘリウムを吸ってパピョってる風船屋もいたが、年末年始をディズニーランドで過ごす余裕はない。キリウ君はそいつを柵の向こうへパピョった後、自分もヘリウムでパピョった。
さらにさらに隣には壊れたビニール傘も脚を広げていたが、今日は雨が降る様子ではない。キリウ君はそいつを……。
そいつの柄に手をかける寸前、彼はどこからか駆けてきたもう一人のキリウ君に突き飛ばされた。突き飛ばされた方のキリウ君は、師走の勢いも手伝って、いとも容易く柵を越えて落ちていった。
突き飛ばした方のキリウ君は、軽く息を切らしながらニヤリと笑って呟いたのである。
「堅苦しく考えんなよ」
彼が壊れたビニール傘を開き、屋上からパラソル落下傘してエントランスに降り立ったところ、ひっそりと夜明けを待つ門松に突き飛ばされた方のキリウ君が刺さっていた。そいつがヘリウムでパピョったままの声で力なく何かを訴えるのを却下して、突き飛ばした方のキリウ君は左手でピースを作った。それを見た突き飛ばされた方のキリウ君はノドに虫の息を詰まらせて死んだ。
一年間ご苦労だった! 来年のことはぜんぶ俺に任せてくれ、帰るとこのない俺よ。