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70.脳みそパープリン

 少年ーんんん! 待って!
 はあ はあ やっと 振り向いてくれたね
 実は俺には脳みその半分が足りないんだ
 だからね 脳みそを移植する金が必要なんだ
 キミのセンスに俺の脳みその半分を賭けたい
 そして咲き乱れたい
 わかってくれるかな
 わかってほしいんだ
 そのために生きてるんだろう 違うかい?
 ――D670 相方を探す男

 

「なにこれ?」

 となりで遊んでいるにも関わらず、ジュン少年はキリウに尋ねられるまで、いつの間にか兄がぼろぼろのノートをめくっていたことに気付かなかった。兄が改造したバグまみれのゲームを無心でプレイしていたからだ。狂った星のもとに生まれ、この世のバグたる悪魔をやっていると、バグという存在に共感する心が生まれるものだ。

「キリウ、やっぱりここから先、絶対ムリだって」

「いけるって! 壁キックして、この真ん中らへんに無理矢理ひっかかるの」

 手を出してこようとするキリウを押しのけて、言われた通りにジュンが操作すると、確かにそれはどうにかなった。グリッチするの画面の中で、いささか納得いかない挙動を見せつけながら。

 そのステージをクリアするまでに、あと五回くらいは同じような過程が繰り返された。それからようやくジュンは、キリウの手からノートを取り上げて答えた。

「電波塔に恋してる奴の日記さ。壊れた街で拾った。そうとう最近のものだよ」

「なんで取るの」

「他人のものに勝手に触んなよな」

「ごめん。俺のかと思ったんだ」

 普段兄がどんなノートを使っているのか、ジュンは不安になったが、申し訳なさそうにしていたので許してやった。ジュンが何の気なしに見返したノートは、かつて浸かっていたと思われる水分でたわんだ紙の上に、誰かのフェティシズムがやたら強く書きつけられているという、おぞましい代物だった。

「中身読んだんだろ。キリウは電波塔のぼってて大丈夫なの?」

 などとジュンは気遣ってみたものの、もともと電子レンジにかけられて沸騰したような脳みそだけど、と本当は思っていた。だがキリウは、心配されたことが嬉しかったのか(さみしい奴だ)、妙に得意げにゲームのカセットをいじっていた。

「べつに……今はなんともないよ。最初は俺も貧血だったけど。てっぺんから落っこちたこともあるけど、俺はそんな変態じゃないし……」

 落っこちた。

 そんなジュンの目の前のバカは、しかし今ここに傷一つなく生きている。電波塔は、これまで旅人が見てきたどの街のどの建造物よりも高く、それこそ偶然などあり得ないだろう。その事実は、ジュンを貧血っぽくした。

 らちが明かねえ、とジュンは立ち上がった。自分の頬をつねってキリウを睨んだ。

「なんなのさ」

「なに」

「やっぱりおかしいだろ。キリウ」

「だって永遠の少年でしょ。変なのはおまえだよ。ガムシロップ全部使いやがって」

「ぼくは変じゃない。キリウが変だ!」

 そして弟は、ごちゃごちゃ言う兄の頭を、魔法で出現させたコンクリートのブロックで、思い切りストライクした!

 声にならない悲鳴が上がったが、そんなことはどうでもいい。凶器のカドが、キリウの空くて青くて春い頭を壊した瞬間、傷口とその周辺から少量の血とともに、真っ黒い木の根を思わせるいびつな形の何かが噴出した。それは一瞬液体のようにも見えたが、すぐに硬く形成されてコンクリートの塊に食い付き、持ち上げ、ジュンの腕まできつく捻り上げていった。

 手の甲に突き刺さったそれをジュンは観察する――いつか海で見た触手を持つ生き物と、タイヤにする前のゴムと、ヒトの腕を混ぜこぜにして、悪意で固めましたみたいな――なんだか全くわからない。

 しかしジュンがハッとして足元を確認すると、傷口から生えた黒い物体によってキリウが吊り下げられた形になっていた。そんなことはどうでもいい! 逃がすか! ジュンは白目をむいているキリウの首を掴むと、彼の意識が完全に飛ぶ前に、魔法で無理矢理神経系を叩き起こした。

 そうしてキリウは数秒ののち、その怪現象を恐らく初めて正気で確認することになったのだ。

「なにすんだバカ!」

「なんだよこれ!」

 走りすぎるくらいに目を血走らせてキリウがキレているが、ジュンは頑張って無視してこれを問い詰める。するとキリウはびっくりしたみたいに固まって、めちゃくちゃになってる自分の頭と、血混じりの黒い何かにべっとりと覆われている顔の半分くらいを、ぺたぺた触った。

「知らないよ……」

 困り切った顔で膝をついた彼は、本当に何も知らないというよりは、どこか身に覚えがありそうな様子だった。

 キリウの指が触れたところから、黒い何かは急速に縮んでいき、絡め取られていたジュンの腕も同時に解放される。有刺鉄線を巻いたかのように傷だらけになっている弟の手を見て、キリウが何か言おうとするのをジュンは制した。

「ずっとこうだったよ。キリウは昔からポンコツで、何度も殺されかけてるくせに、いっつもこれで死ななかっただろ。でもキリウはぜんぜん覚えてない……だからこれも、ぼくにしか見えてないのかもしれないって」

 このキリウのおかしな体質は、ジュンの知るところではあった。ただ、キリウ自身には確認する方法が無かっただけなのかもしれない。そう思い当たって、そこまででジュンは口をつぐんだのだが。

 が。

「俺をおまえの幻覚にするなーッ!! いつもジュンはひとりで幻覚ばっか見てやがッて、俺のことバカだと思ってるんだろ!? 気付かれてねーとでも思ってるのかよ、なんで何も話してくれないんだ! 俺を見て喋れッ! コンクリートで殴るなクソ野郎!」

「うるせーッ!! キリウまでぼくのセカイを幻覚呼ばわりかよ!? キリウが脳みそパープリンなせいで、ぼくがどんだけ悩んできたと思ってんだッ、俺が俺がって自己中め、そんなだからあの娘もさらってきたんだろ!? あとさき考えねーボケ野郎!」

 互いに腐った床を踏み抜いたらしく、爆発したみたいに口汚く罵り合う羽目になった。

 しかし上下左右の隣人に壁を殴られまくって、右隣には窓の外から水風船も投げ込まれて、二人とも一気に黙り込んだ。そして、果たして昔はどうやって喋っていたのか思い出せずにいた。

 水をかぶったゲームのカセットを握り締めて、キリウが吐き捨てる。

「おまえ、何か隠してる」

 でもジュンは、水風船の死骸をびよーんてして、何も答えなかった。

 しばらくして、陽が傾いてきて、お互いにさっきのことを謝ろうと思い始めた頃、ジュンはなぜか先に別のことを口に出してしまった。

「ぼく……またこの街から出るつもり」

 決してケンカしたからではなく、前々から決めていたことだけど、今言うことじゃなかった。

 それを聞いたキリウは微動だにせずにいたが。

 しかしやがて頭を抱えて、目を伏せたまま呟いた。

「また、おみやげください」

「……」

 ジュンはやっぱり何も答えられず、曖昧に首を振ることしかできなかった。

 ジュンがバカだアホだと心配していた兄は、おみやげの伝票の文字を書いていたのがジュン一人だけではないことに気付いていたけれど、特に何も言わなかったので、ジュンも結局それを知ることはなかった。