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63.マジカル病巣

 あのねえー きみはね
 ちょっと……目を気にしてるところがあるね
 近目とかかな あと縫い目 縁の切れ目とか
 例えばわたしってコンセントに似てるんだけど
 きみはコンセントに似てないでしょ
 ほらね 生きていけるんですよ 人間は
 コンセントにね 似てないんですから
 はい 除草剤一か月分出しておきますね
 お大事にー
 ――D55D 電気街の町医者

 

 あれから……キリウの中で『何か』に触れてからというものの、ジュン少年はずっと体調がすぐれなかった。何も知らないキリウは心配してきたが、思い切って以前埋めた地雷について相談してみたところ、無言で鉄パイプを渡された。金属を食べると落ち着くのだそうだ。

 ジュンは兄の頭が心配になった。

 そんな折、ジュンが日陰者の街を数百年ぶりに歩いて気付いた事実がひとつある。それは、この街からはあの白い電波塔が見えないということだった。周囲に遮蔽物が無ければ世界のどこからでも見えるものだし、そうであるはずだとずっと思っていたが、違ったのだ。

  電波塔 ああ電波塔 電波塔
  砂糖スパイス 素敵な何か
  ――詠み人知らず

 電波塔は夏の季語だ。夏ってなんだ。季語ってどういう意味だ。余裕のないジュンは、よく分からない言霊をそのまま破棄した。

 なぜ、電波塔が世界のどこからでも見えるはずだと言えたのか。それはジュンが法則を知っていたからだ。電波塔が近い街ほど発展する法則というのは、デタラメや経験則ではない。電波の袂で生きる時、人間は秩序立ったコミュニティを形成して、一定の節度の中で安定した街を作るものだ。

 なぜ、彼はその法則を知り得たのか。それは彼が魔法使いだからだ。ある日彼はムシャクシャした勢いで、つい問うてしまった。

 あの白い電波塔って、結局何なのですか? 誰か優しい人おしえて。

 ――困るんだよね、口に入れた瞬間に溶けてなくなる淡雪のような質問は。

 呆れたように毒づいたのは彼自身なのかもしれない。そして彼の魂に宿るロマンチックで最悪な魔法は、質問に対する正確な答えと、周辺の適当な雑学をかき集めて返してきた。

『白い電波塔は、ぼくを含むこの世界の全てのオブジェクトにパラメータを与えてコントロールしている。詳しくはこちら』

 マジで!?

『あとな、この世界に果てなんてない』

 それは教えてくれなくていいよ!

 おかげで、ジュンが趣味で集めてきた電波塔に関する全ての情報はゴミになった。まったく同じだな……開きもせずに捨ててきた本と。

 ついでに彼の旅のおぼろげな行く末、どこまでも続く街を辿って世界の果てを探す、という目的も失われた。ジュンは、自分が旅をする意味が分からなくなった。

 果てなんてない。ありもしない世界の果てをぼくは探せない。

 以来、もはやジュンは電波塔に何のポジティブな興味も持たなかった。なんでか電波塔を見るとムカつくのだが、しかしどこにいても見えるので忘れることもできず、日に日に暗い気持ちになってきた。パラメータでコントロールって、この気持ちすら? 自分たちをリモコンしてるとかいうヤツに見下ろされているのだから、永遠の思春期を生きる心が、反発しないわけがない。

 知ってしまったが最後、彼は自分の一挙一動が操られてるような妄想にとりつかれた。それから、明日を生きる気力みたいなものが八割方腐った頃から、魔法であらゆる無茶をするようになった。

 隣に兄がいたら絶対にやらなかったようなことも全てやった。ペド野郎を塩と一緒にミキサーにかけたり、空を緑色にして月を増やしたり、さりげなくモテたり、世界共通の敵を創造することで世界平和を実現したり、数えきれないくらい色々なことをやった。あまりに色々なことをやりすぎて、ときどき自分の発想の醜さに耐えられなくて泣きそうになるのも魔法で抑え込んでたら、ノドに何かつっかえでもしなきゃ泣かなくなった。

 そして徐々に無茶の規模が大きくなって、しまいには世界を三百回くらい壊した。電波塔なんか、根こそぎ引っこ抜いてやろうと思ったのだ。しかし複雑に入り組んだシステムを破壊しようと何度も試みているうちに、世界を元に戻せなくなることへの恐怖と、この世界への漠然とした恐怖とが、反抗心よりも膨らんできた。

 やがてC4植物のひとつに無理矢理転生して急場を凌いだ日、彼は自分が、あの夜出会った悪魔に呪われたのだということを理解した。真っ赤な星空の下で風に吹かれて揺れながら、このままキントルピー(当時の地上で一番文化的に発達していた生物)にメナポリ製糖(ザラメができる)されて死んでしまおうと思った。でも、壊した世界を元に戻さなければならないので、死ねなかった。

 何事もなかったかのように、バックアップから全てを元に戻した――次も元に戻せる保証などない――世界の片隅で、気が付くとジュンは笑っていた。泣けなかっただけで、本当は泣き笑いだったのかもしれない。虚しくて悲しくて苦しくて、誰かの笑顔が見たくなった。

 そうだ漫才をやろう。昔からやりたかった漫才を。世界の果てなんかどうでもいい。どうにもならない電波塔なんか無視くれてやるし、ぼくは世界をどうもしない。今日からぼくは、誰かの笑顔に出会うために旅をするんだ。

 危険な魔法を使いかねない欲を全て魔法で抑え込んで、ジュンは忘れた愛を思い出そうと再び歩き出した。

 

 だというのになぜ、なぜなんだキリウ。おととい、どっか行くというのでどこへ行くのかと聞いたら、電波塔の監視だとかほざきやがった。

 電波塔を管理している何者かが存在することは、ジュンも知っていた。その何者かが、地上の人間を利用して電波塔のメンテナンスを行っていることも知っていた。だけどキリウがそれをさせられていただなんて、知りたくなかった。

 全てぶちまけてそんなことはやめさせたい、とジュンは爪を噛む。しかしそれを教えてどうなる、キチガイ扱いされたら嫌だし、何より自分はずっとそれでのっぴきならない気持ちを抱いていたのに、キリウにまで同じことを押し付けてどうするというんだ? 知ったところで、何もできなかったじゃないか。そう思うと黙るしかなくなって(まてよ、このへんのくだりは、何かがおかしい気がする……)、本当に鉄パイプでもかじりたい気分になって、キリウがよこしたそれを見つめた。

 なんて綺麗なのだろう。あのバカはわざわざ新品を弟にくれたんだ。