「記念日って苦手だ」
目の前で戦場よろしく飛び交うロケット花火の光を見つめながら、夕間暮れの公園のベンチでジュン少年がぼやいた。コランダミーはその話をとうの昔に知っていたはずだが、今この瞬間全て忘れて、ガラス玉のような瞳でジュンと同じ場所を見た。
「疲れる」
この日二人が訪れた街では、大規模な祭りが催されていた。そこらかしこに『独立記念日』と書かれた垂れ幕・旗・こいのぼりが並んでおり、町民は皆頭のネジが壊れたように騒いでいた。そうして自分たちを押さえ付けるものから放たれたらしき過去の喜びを、今ここに蘇らせようとしているのだ。
あちらの広場では、町内の学校の小さな兵隊を選りすぐって集めたらしきエリート軍隊がコンサートを行っている。彼らの顔面に貼りつけられた無邪気な笑顔は、何も疑うことを知らないそれだ。心の底からこの日を祝う気概に満ちた、素晴らしい笑顔だった。
「好きでもないやつの……祝って、……くもないのに楽しいふり……必要以上にハシャい……嫌われるのが怖……みんなはぼくのことを、友達を大切にするだとか義理堅いだとかノリがい……ぼくはそう思ったことなんか……それって……豚野郎……兄と比べて。でもそれはあいつらが恩着せがましくて押しつけがましくて友達だなんてカケラも思ってもらえなかっただけなのに……逆恨みと……兄が死人みたいな目してんのはわざとじゃないと俺は何度も……アヒルに追い回されるわけだよ、だから」
それは確か手製の爆弾が流行っていた頃の話だ。ぶつぶつと早口に吐き出すだけ吐き出して、一呼吸おいて、自己嫌悪が充満した彼は隣に座っているコランダミーに軽く肩を当てた。記念日からどう転んだらその締めになるのかよく分からないし、途中から誰に話しかけているのかも怪しくなっていたが、本人がそれに気付いているかどうかはコランダミーにも不明だった。
この祝祭の空気の中、余所者であることを差し引いても、その少年は死人みたいな目をしていた。
「暗いよ、ジュンちゃん」
「ごめん」
カウンセラーにされかけていたコランダミーは心配げに、しかしこの人は時々こんな風になるでヤンスなあと思いながら、彼に肩をぶつけ返した。
「でも、お兄さんの話するの、めずらしいね?」
「そうかな」
「すごく前にしてた、お葬式で天狗にさらわれたやつ以来だよ」
「ああ……あれ」
また昔話か! それはジュンが本当に幼かった頃、親戚の親戚の葬式に行った時の話だ。死んだ女にはクソ馬鹿男孫がいて、そいつは顔を合わせるたび、四つ年下の内気なジュンを殴っていじめているようなゴミだったが、案の定その日も式の最中ずっとジュンの足をこっそり蹴ってきた。それは祖母をなくした少年が悲しみをごまかしているようにも見え、実際にそうであったのだが、しかしそいつの度重なるジュンへの嫌がらせに、内心うんざりしていた兄に見られてしまったのが間違いだった!
ただでさえ、元よりくだらない情も分別も通用しない無慈悲な側面のある兄である。よりによって葬式でブチ切れた兄は、容赦なくそのバカを突き飛ばした。そして倒れたバカに何度も無言で蹴りを入れた。同時に式もブチ壊しになったのは言うまでもない。
周りの大人たちには兄が突然暴れ出したようにしか見えず、ジュンが慌ててわけを言っても、『あの』『危ない』『何を考えてるかわからない』『かんぽっくりで首を吊ったことがある』『自転車のタイヤで指をなくしかけたことがある』『天狗にさらわれたことがある』『叔母さんが大量生産して押し付けてくるおいしくない手作りジャムをマズイからいらないとハッキリ言って事態を余計めんどくさくしたことがある』兄ばかりが叱られた。そんなだからかキ、兄も兄で何も言おうとしなかった。
そして兄に蹴られて鼻を骨折したバカは、後日仲間とつるんで兄の肋骨を三本折ったが、それを知ったぼくはその日のうちにバカを寺院の石段から蹴り落とした。以来、あのバカはぼくのことをいじめてこなくなった。チキン野郎が! 死んじまえバーカ!
――そんな天井知らずにどうしようもない思い出話を、ジュンがこの少女に聞かせたことがあったというのか? しかしこんな何もかもがいけない惨劇を嫌な顔ひとつせずに聞いてくれるのは、道徳教育の教材会社を除けば、コランダミーくらいのものであるのも事実だ……。
これまでミーちゃんに話したことを全てまとめたら、ぼくと兄の人生の半分くらいが補完できるのではなかろうか。そう頭によぎったところで、ジュンはなんだか魂が抜けてコランダミーの肩に倒れ込んだ。困ったコランダミーが焼き○○(規制)串の入った袋を差し出すと、彼は操り人形のようにぎこちなく一本貰ってかじって固まった。変態的な味だった。
そうこうしてるうちに、この公園で若者たちが飛ばしている無数のロケット花火のうちの一本が、ベンチでくだをまいている二人の隣へ着弾する。驚いたコランダミーが立ち上がったので、彼女にもたれかかっていたジュンはそのままベンチに崩れ落ちた。串を咥えていたら頬に穴が開いていたところであったが、そんなことはどうでもいい。解き放たれたコランダミーはそこらじゅうに吊るされた提灯の下を上機嫌に走り回り、酒の水たまりへ頭をつっこんで文字通り酒浸りになっている女を軽く蹴飛ばした。そいつはうめき声ひとつ上げなかった。
この土地にいかなる歴史があろうとコランダミーにとってはどうでもいいし興味もないが、その点に関して同様のはずの連れとは違い、彼女は祭りを楽しんでいた。
コランダミーはにぎやかな場所が好きである。もちろん祭りというやつも大好きで、ポケットに小銭が入っていたらそれはそれは最高であるーッ。買い食いに効率や合理性を求める不純な気持ちもない。純粋に雰囲気を食らうことができる才能にあふれている。
誰彼かまわず酒をすすめる赤ら顔のババア、道に面した家の庭にゴミを投げ入れる子供、鉄板でよくわからないものを焼いてる屋台の犬! タキシードの男とウェディングドレスの女がオープンカーでやってきて、面識があるかどうかもわからぬ周囲の人々に板ガムを投げつけられ、祝福される光景。
不思議な世界に胸躍らせながら、ふとコランダミーは公園の裏のゴミ捨て場に目を留める。回収日の直前であるためか、くだらないゴミ(回収日:奇数日『くだるゴミ』、十の倍数日『くだらないゴミ』)の詰まった袋がうず高く積まれていたが、それはここから見える住民らの醜態からは想像もつかないほど整然としていた。もしかしたらこちらが彼らの本来の姿なのかもしれない。
そんなゴミ捨て場をしばらく見つめたのち、彼女は向こうのベンチで鬱々としたままでいるジュンを振り返った。彼に手を振って、反応があることを確認して、まずい焼き○○の袋はゴミ箱へ。
そして自分は十日分のくだらないゴミの山へ身を投げた。
数十秒後、ジュンがやってきて、ゴミ袋に埋まった小さな身体を掘り出した。
「何してるのミーちゃん」
祭りの喧噪と暖かい光を背に彼がつぶやく。その色々な感情が入り混じったような、しかし何も考えてないようにも見える灰色の表情に向かって、コランダミーはゴミの山からはみ出した手をひらひらさせる。
「ゴミだよ。ジュンちゃん」
「ぼくも、それやった方がいいのか?」
「ふむ……ふむ……おきゃくさん! 捨てるのが苦手なようですね」
その手を握ったジュンの腕を掴み返してわざとらしく手相を眺めながら、コランダミーが嘘か本当か分からないことを言い出したので、当の少年は思わず口元が緩んだ。そして諦めたような顔して、彼女を抱えてゴミ捨て場から引っ張り出したのであった。
はたから見てるととても正気とは思えぬやりとりである。しかし、何もコランダミーは理由もなくゴミになっていたわけではない。このプレイには二人の出会いを繰り返すという意味があった。ジュンが己に見切りをつけて漫才師をやめたあの夜、劇場裏の路地のゴミ箱に突っ込まれていた呪い人形、それがこのコランダミーなのである。
あれはドラッグストアがドラッグを売って摘発されていた頃の話だ。なぜ彼女が今ここでその儀式を行ったかは分からない。それにしてもゴミ箱を開けたらどうしようもない過去が飛び出してきて、最後に残ったのはどうしようもない今だったみたいな、人生てやつはそういうとこがあるけどそうしたくなかったよな。昔話ばっかしてるとおもうけどさ。
ゴミをやめたコランダミーはジュンの手を取り、ぴょんぴょん飛び跳ねながら祭りの賑わいの中へと戻ってゆく。白髪の少年は横から飛んできたロケット花火を素手で叩き落として、それを撃った若者に空いた手でピースを作って見せると、隣の少女と同じように笑った。
彼らには怖いものなどなかった。