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22.青旗の学び舎

 どういうわけか、生まれた時からそこにいたわりには、誰も彼もやや感覚がずれているようだった。街の外れから向こうを見渡せば無限に広がる白い世界に、脇腹が引きつるような不安を覚えずにはいられなかった。

 けれどみんなそれを忘れている。

 そんな薄ぼんやりしたアレとかソレより、がれきの大地における作物生産事情は面倒くさい。土木工事のたぐいも例外なく手間暇と予算がかさむが、とにかくがれきの上では何をするにも面倒くさい。しかしそれが当たり前なので誰も疑わず、いったい最初の人間はどうしていたのかという疑問を持つこともない。がれきの下に何があるのか気にしないし、宇宙にロマンもそう簡単には抱かない。

 ところでこの或田という男は現在、天涯孤独の変態農学者だが、元は一般的な農業従事者だった。一般的とはいえ、独学で狂的な実地的見地による専門的知識を身につけ、果物と野菜の派手な品種改良を得意とし、味は差し置いても独創的な外見の植物を作り出すことに長けた的技術を持っていた。なので、もっぱら食用よりは愛玩用とか観賞用の作物を開発する方向へ偏っていた。

 若い頃から彼は知る人ぞ知る売れっ子農家として、気難しい人間性も手伝って、むしろ芸術家のような扱いを受けがちだった。そして初老にさしかかった現在は、大学で教授として教鞭を執っている。

 そんな『抽象的作物育種学』の講義を受け持つ彼が発表した最新作は、銀色の表皮をしたリンゴだった。パチンコ玉にも似た貴金属のような輝きは、高額納税者から多重債務者までこぞって賛美したという。

 そいつが持つ、外見以上に殊更派手な生理的特性が、今や彼の悩みの種となっていた。

「えー、『鏡心』、感情を持つリンゴです。それはそれは愛しいものだとお思いでしょうが、そのせいで人権屋だの動物愛護屋だのにあーだこーだ言われたいとは、これっぱかりも望んじゃいませんでした。えー……仕えるものを間違えた思想ヤクザのブタどもが……」

 研究室の机で或田教授が果物ナイフを振り回すのを、キリウ少年は椅子の上で膝を抱えて見ていた。教授が自分は夜型だと言って、ずいぶんと遅い時間に面会を約束させたので、すでに窓の外は日が落ちて真っ暗になっていた。夜型だからか部屋の中も薄暗かった。

「食うかねキミ」

 そうしてカットされた銀色のリンゴが乗った皿をため息混じりに差し出され、キリウは恐縮しながら内心ピエーと鳴いた。リンゴは切り口から滲み出す黒い果汁で汚れていた。教授の手に握られたままの果物ナイフもまた同様に。

 電気スタンドだけがこうこうとしている研究室は、よく日焼けした或田氏の肌とは不釣り合いであった。氏はフィールドワーク派だ。

「このリンゴはストレスをかけると甘くなるだとか、そういう次元を超越しているんです。扱う者の態度を刺激として受け取り、瞬間的に果汁の色を変化させることで感情として示す。検証実験は充分であるため、根拠はこちらにあるゆえ、外から文句を言われるには身から出たサビというかなんとも歯がゆく……ていうかウチは青旗だしね……敵は多いのだ、ウム」

「借金取りより多いですか」

「まあそんなヤクザな商売は知らんが互角以上に戦う自信はあります。私は親族を、対立候補とか仮想敵国とか恋敵とかにことごとく攫われて殺されたから天涯孤独なのでね、好きでそーなったわけではないのです。学のためなら多少の犠牲はいたしかたないところがあるので、悩みどころだ……」

 キリウは内心ピエーと鳴いた。

 ここは青旗連合枯山水大学、通称青枯大の抽象的作物育種学研究室である。どうやら盗品であるらしき銀色のリンゴを、手元に置いておくリスクに耐えられなくなって、キリウは自腹を切ってここへやって来たのだ。

「別にだね、こんなものは盗まれよーがなんだろーが、予算の範囲内でなら簡単に生産できるので、知ったことではない側面がありまして。大マスコミが、よほどネタに困っているのか、ギャーピーギャーギャーギューギャー騒ぎ立てているだけです。そもそも盗まれたこと自体がずいぶん前の話で、たまたま今になってウッカリ記事にされただけのような……ていうかたとえ君が本当にアレを盗んだのだとして、罪があるとすれば、ハイエナどもにエサを与えたという点につきる」

「でも本当に知らないです……うちにいきなり……」

「御託はよいから食べなさい。そう、感情を持つリンゴは倫理に反するだなんて話も、最近になっていきなり騒がれ始めて……」

「……」

 しかし当の教授はこのような調子だった。だいたい、のっけから、キリウが抱えてきた段ボール箱はさておき、どちらかというとお詫びの菓子折りを先に開封するなり中身を確認していた。それでもって、まあいいかみたいな顔をしてキリウを椅子に座らせたのだ。そしてリンゴを切ってくれ始めてこうなった。

 罪もないのにお詫びの品を持って行くのはまるで罪を認めたようだが、結局どうなるのだろう。或田氏が菓子を食いながら、なおリンゴをすすめるので、キリウは内心ピエーと鳴いた。

 決して広くない部屋の端っこで、白ネズミが回し車をカラカラやる音が微かにこだましていた。

「あの、感情ということは、汁が黒いのはどういう意味ですか……?」

「見ての通り、ドス黒い感情です。……それで、もしかしたら本来植物は感情を備えていて、我々がそれに気づいていなかっただけという可能性を思想ヤクザどもが言い出し、農業は植物に対する虐待行為であると……神の真意がそこに……思想的には産業革命以前の……メンタルヘルスに支障を……マインドコントロール的側面……キンピラむちむちプライオリティ墓場……」

 ピエーは内心キリウと鳴きながら、教授の話に辟易してついにリンゴに手を出したのだった。視界の片隅に、事務机の上に置かれた青と黄色のマーブル模様をした観賞用トウガラシの鉢を入れながら。

 するとキリウがそれをかじった瞬間、教授は少し身を乗り出して意味深な顔をして言った。

「ときに少年、そのリンゴの味をどう思いますか?」

「……おいしくないです……」

「ふむ……」

  そのどうしようもないやりとりを、一匹の白ネズミが棚から見下ろすように眺めていた。ここでは三つのケージに二匹ずつ、合計六匹の白ネズミが飼育されている。ケージは壁際に立ち並ぶ棚の中の適当なスペースに置かれており、場所がバラバラな各々が回し車を熱心に稼働させているため、騒音が不細工なユニゾンをサラウンドスピーカーみたく奏でている。

「あの、ここって動物実験するんですか」

「何を見てそう思ったんだ」

「白ネズミ」

「ん? そうか……」

 この人病気なんじゃねぇかなとキリウは思った。窓の向こうの闇の中から、コーラス同好会の居残り練習が響いてきた。

 

   青旗連合枯山水大学 校歌
 
    徹頭徹尾のマジパン主義に
    輝けるは青旗の群
    ロックの心を忘れはしない
    さんさん照る照る内閣府
 
    あさましき冠婚葬祭
    果てしなき俗物根性
 
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    愛玩ドラドに人権を
 
    変態 変態 変態
 
    ああ 我らの青旗連合枯山水大学