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2.ロリコンのくせに

 いっそ地獄を見せてやるよ、この世の全てにな……。

 風が、そう言っているようだった。今日はことさら強い。白いがれきが埋め尽くす地平線を眺めながら、空色の髪のキリウ少年は、何百年も姿を見ていない彼の弟のことを考えていた。彼の双子の弟は旅が好きで、放っておけば列車に乗ってどこまでも遠くへ行ってしまうような、そんな人間だった。しかしあまり見た目が似ていないので、彼らは互いが双子であるという事実をよく忘れていた。

 現に今もキリウは忘れている。

「ほんとに来てくれたんだね……切羽詰ってるんだね……」

 声をかけられたキリウが振り向くと、そこには身軽な格好をした先日のロリコン男が立っていた。直感的にキリウは彼のファッションセンスに光るものを感じたが、それを言うと男を調子に乗らせると思い口をつぐんだので、挨拶ができなかった。

 しかしキリウが挨拶ひとつ返さないのに、男は上機嫌そうに電波塔を見上げ、彼を手招きした。その隅々までがつくづくロリコン臭い仕草だ、とキリウは思った。

 ――電波塔というのは、少し大げさなくらいの高さがある、細い三角錐だ。三角錐としか言えない形をしていた。その内側に、へべれけクモの巣の如く、太さも長さもまちまちな白い金属の骨が乱雑に張り巡らされている。そして頂上付近には、柵に囲まれた申し訳程度の足場があるのだが、ハシゴや階段のひとつも見あたらないのに、誰がどうしてそんなところへ登るのだろう。

 この世界のあちこちに同じものが存在するということだけなら、誰もが知っている事実だった。

「とりあえず上まで」

 案の定そういう話になったので、男が言い終わる前に、キリウはひょいと跳び上がって電波塔の下から四半分ほどの位置に立った。まるで、将来はバカか煙を志せと何かに脅迫されているかのように軽々と。そのまま、引きつり顔の男が追いつくのを待ってはまた跳び上がるというのを繰り返して、簡単に天辺まで来た。

 その間、彼らは接触するたび、お互い少なからず相手を(人生のどん底に)突き落とそうとふざけあっていたため、頂上まで来る頃には空気が殺伐としていた。

 男は、息を切らせながらも殺意をみなぎらせたまま、身に覚えのない引っ越し屋からの二十件目の電話をブチ切った。そしてポケットから小さな鍵を取り出した。下から見えていた小さな足場の中央には、電波塔の制御盤らしき機械が設置されていたのだ。その鍵で男が制御盤の端っこにある錠をはずすのを、キリウはニヤニヤしながら眺めていた。男の電話番号で勝手に引っ越し代金の一括見積もりサービスに申し込んだのは、彼だったからだ。

 制御盤の蓋が開かれると、透明な板の下にはめ込まれた計器の群れが現れた。その整然としたさまが妙にグロテスクな代物だが、ただ蓋を開けただけでは計器の動作が確認できるだけで、ノブやボタンには触れられないようになっている。シンセサイザーの代わりにはならないなとキリウは思った。

「こうやって、メーター類の針が印からずれていたら、その値を報告するの」

 そう言って制御盤に搭載された通信機から、淡々と数値のメッセージを送信する男を見て、ふとキリウは口を開いた。

「単位は?」

 数値について言ったのだ。男はきょとんとしながら答えた。

「ゎヵんなぃ……」

 それを聞いて、さよですか、とだけキリウはつぶやいた。

 引き続き、気持ち悪い数値を送信しながら、今度は男が言った。

「実は、引き継ぎを探してて君に声をかけたんだよ。君、やらない?」

「やめるの?」

「やめたいな……」

 ロリコンのくせに?

 ごく自然な流れで、少年の口からぽろっとこぼれた言葉に、男は何かを想起した。ふと、今まで消費してきた児童ポルノの少女達を想った。みんな大人になる……そんなのはこの世に生まれた時から知っていた。そういう意味では、地獄はいつ何時も彼の中に存在していた、今もなお。

 そして彼は奇声を発して、勢いよく柵を乗り越え、すごい角度で風の渦に飛び込んでいった。そのまま白いがれきに赤い染みを作って、死んでしまった。

 うっかりしていたキリウは、やっぱりかと心の中で唱えた。見よう見まねで報告の続きを終えると、彼はしばし遠くの方から聴こえる列車の音に耳をすませた。下界にも増して強い風の中、遥か下から、二十一件目の引っ越し業者からの着信音が昇ってきた。