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182.レコード #3C710え6…

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 キリウ少年には色んな友達がいた。けれどそのほとんどは、キリウが一方的にそう思い込んでいただけなのかもしれなかった。

「なんで俺が?」

「だって悪魔くん、この人の友達じゃないの」

 そんなだからかキリウは、真夜中にとつぜん自分を呼び付けた飲み屋の女将にそのように言われた時、満更でもない顔になった。

 この人――というのは、そこのカウンター席の端で酔い潰れてる若い男のことだ。いや、何歳くらいまで若者って言うんだろうね。それほど若くもなかったと思う。キリウは猫だらけの床をまたいで店の中に踏み入ってゆき、そいつの隣の席に堂々と座るなり、声高に言った。

「聞いた? 俺とあんたが友達に見えるってさ」

 しかしキリウの友達かもしれないその男は、吸い殻を山と積んだ灰皿の横で突っ伏したまま、何も答えはしなかった。普段なら挨拶代わりに罵詈雑言をぶつけてくるようなキチガイなのに、それすらも無かった。

 やはり今日のこいつは少しおかしいみたいだ、とキリウは思った。いつもおかしかったが、もっとおかしいかもしれなかったのだ。その男は正確にはキリウの仕事関係の知人で、数年来の付き合いだった。今はこの街によくいるしょうもない酔っ払いの一人にしか見えないが、キリウは彼が外でこんな潰れ方をするバカではないことを知っている。

 それならバカになったのだろう。この街はバカばっかりなのだ。

「悪魔くん、何か飲むう?」

「水ちょうだい、コーキング剤いっぱい入れてね。あとアップルパイふたつ」

 キリウが女将に注文をした横で、何の前触れもなく男が顔を上げた。そのことに気づいたキリウは慌てて弁解した。

「俺が二つ食べんだよ!」

「何も言ってねえ~よ」

 のぼせて真っ赤な男が酒気とともに吐き出した声は、がらがらに枯れていた。

 彼はキリウが見たこともないほど陰鬱な表情をしていた。怒りや憎しみといった健全なエネルギーをほとんど失って、自分の攻撃性が精神の壁を殴って空けた穴から流れ出した虚しさと、それに対する恐怖でもってまだ生きているような表情だった。

 もっとも、どん底の如く真っ暗な目だけは、キリウが出会った頃から変わらず同じだった。この男は根本的に暗い人間なのだ。ただ、外ではカラ元気を振りかざして常に不遜・不穏・傲慢でいる彼のことだと思うと、キリウは少し目を背けたくなった。

 が、それとはまったく別に、キリウは邪悪な好奇心からこう尋ねてもいた。

「痴話喧嘩?」

 男は無言で首を横に振った。そいつはキリウが何も知らないと思っていたからだ。

 実際、キリウは何も知らなかった。キリウはこの街に数百年も住んでおり、他の住民たちからは半ば妖怪のように扱われ、一緒にカラオケに行ったりパスワードを解析したりしていたくせに、街の噂にはそれほど明るくなかったのだ。

 ――。

 本当のところは痴話喧嘩だった。

 男は二年前に様々な事情から、とある情報商材詐欺師の女と書類上の婚姻関係を結んでいた。それが現実に相互扶助を重ねるうち、少しずつ情が移り、去年から同じ住所で生活するようになっていた。しかし昨日、男が○○○で○○○を○していたために○○○○○から届いた郵便物を女が勝手に開封したことがきっかけで、彼の人間性のおぞましい暗部が露呈。号泣しながらけちょんけちょんに彼の人格を否定してきた女を、カッとなった彼が半キルして、全てが終わったのだった。

 ――。

 女将が水と一緒に、頼んでもないカエルの卵のゼリー寄せを出してきた。キリウはそれを足元の猫に一口あげて、半笑いで言った。

「なんだ。たぶんあんたが悪いと思ったのに」

「死ね」

「水いる? 飲んでいいよ」

「帰って死ね……」

 普段のそいつと比べれば、あまりにも気が抜けた返事だった。まるでありったけの悪意を、どこかに投げ捨ててきてしまったかのように。それでも彼はきっといつだって、その言葉を向けた先で本当に誰かが死んでほしいと思っているに違いない。

 キリウは彼が何も話してくれないことに悲しみを感じる質ではなかった。この男との間に限って言えば、弱味を共有することで何かが生まれるような関係だなんて心底吐き気がした。もし男の方から何かを打ち明けてくるようなことがあれば、キリウは街中に言いふらしてやるつもりだったし、その逆も必ず起こり得ることをキリウは確信していた。

 それからしばらくキリウがアップルパイを食べながら延々と勝手なことを喋っているうち、やがて男は完全にカウンターで寝入ってしまった。彼はもともとそれほど強くないのだ。

 キリウは女将を呼び、自分の金で男の分も含めて勘定を済ませた。勝手に彼の荷物を漁ったらどんな逆ギレをされるか分からないから、仕方なく立て替えただけだ。そして猫を避けながら席を立つと、男を椅子から引きずり下ろすようにして肩に担いだ。どこかに凶器を隠し持っているであろう男の身体は、細いくせに、わけがわからないくらい重かった。

「ありがとうね、悪魔くん」

「いいスよ。そこらに捨てて帰るだけだし」

「店の前に捨てないでね」

 女将にピースサインをして店を出たキリウは、言った通り、すぐそこの路地に男をぶん投げて帰った。こんなところでキリウに要らぬ情けをかけられるくらいなら、外で寝て身ぐるみを剥がされるか殺されるかでもした方が、そいつの自尊心にとってはだいぶマシだろうから。

 ――キリウ少年には色んな友達がいた。むしろキリウは誰もかれもを一絡げに友達扱いして、人間関係というものにまったく真摯ではなかったのかもしれなかった。時に永遠の少年である自分との接し方で周りの人が悩んでも、自分は気にしてないからと言って、相手にも同じことを押し付けていたのかもしれなかった。そしてそれに平然と適応できる人は、どこかしらズレた人が多かった。