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街の中でもないのに、エンジンの音が近づいてくる。
16時13分。744190線沿いの第4電波塔は、制御盤の上から脳幹に工具を突き立てられ、静かにその機能を停止している。
そこから11メートル離れた地面に、キリウ少年が横たわっていた。彼の周囲には大量の乾いた血が飛び散っていたが、それとこれとの関係は徐々に薄れつつあった。88分前に彼が電波塔の天辺からここに落下した際の全身複雑骨折は、とっくに治りきっている。今では痛みも罪悪感も無く、時間以外に失ったものは全て元に戻ったはずだった。
起きろよ、早くここから離れないと死ぬぞ。
キリウの頭の中の声が言った。冗談めかしてなければ切羽詰まってもない、石のような声。けれど今のキリウは、もう少し寝てたいと思っていたので、立つことができずにいる。
願わくば永遠に。
16時38分。近づいてきたエンジンの振動とカーステレオの爆音が、凄まじい勢いでその場所を通り過ぎてゆく。
がれきの大地をそのように走ることができる機構に巻き込まれた少年は、あっという間に片腕がちぎれ飛び、胴体が破裂し、首が変な方向に曲がり、ゴミみたいに吹き飛んだ。吹き飛んだ後、がれきの上で、残りの全てはズタズタになった。
点々とした血の轍が数メートル伸びたあとで、甲高いブレーキが響いた。それはそこから更に105メートル先まで行ってから、ブオンと振り回すように急旋回して、がれきの粉を巻き上げながら戻ってきた。再びブレーキの音がして、今度こそ車は止まった。
やばっ、という叫び声。
モノグロのI.D.が、車のドアをブーツの底で蹴り開けて飛び出してくる。鳴りっぱなしのカーステレオ。ぶちまけられている人間とその中身を見て、彼女はその場に立ち尽くす。
目薬でラリっていることを含め、彼女は心の中で懺悔と言い訳をした。同時に、こんなところで寝ている奴が悪いのだと思っていた。一帯の乾きかけの血痕を見て、次に電波塔を見上げて、I.D.は、この子供は元々ここで死んでたんだろうと結論付けた。
それは正しかった。
仮にそうだったとしてもだ。
16時45分。電波塔の近くでは、他の人間がやってきて面倒なことになるかもしれないと思ったI.D.は、死体を遠くまで持って行って処理しようと考えている。彼女は車内から死体袋を引っ張り出してきて、使い捨ての手袋を着けた手で、うつ伏せのキリウの骨みたいな足首を掴む。
靴を履いていない足を見た彼女が、周囲にそれが落ちていないか見回している時だった。キリウの肢体が、死にぞこないの虫のように痙攣したのは。
驚いたI.D.は、持っていた足を取り落とした。脛にがれきが突き刺さった痛みから、キリウは潰れかけの身体をよじって呻き声を上げ、衝撃で反対を向いていたはずの首が元に戻った。
ごぼっ、とキリウの口元から水っぽい音がしていた。そこから溢れだした虹色の泡を見て、I.D.はきわめて酷いものを見た風に呟いた。
「うわっ……」
この時のI.D.は得体の知れない恐怖に駆られていた。むしろ悲惨な重傷者を前に、トドメを刺さなければと徐々に焦り始めていた。こんなに酷い状態では、生きてる方がかわいそうだし、ややこしいことになると彼女は思っていた。
16時53分。キリウのちぎれ飛んでいた腕が、肩口から飛び出した黒いものに引っ張られて元の場所にくっつく。ちょうど、メイヘムの助手席からツールバッグを掴んで戻ってきたI.D.は、キリウの全身の傷が黒いもので塞がっているのを見て、寄生虫の仲間にそういうのがいたことを思い出した。
気のせいだった。
16時55分。口から黒い有刺鉄線をはみ出させたキリウが、むくりと起き上がる。ツールバッグを抱いたまま遠巻きに見つめていたI.D.は、もはや彼が死体ではないことを理解して、謝らなければと思った。
謝った。
「ご、ごめんんん!」
物言わぬままのキリウは、さっきまで折れていた首をゆっくりと動かして、白痴のようにI.D.を見上げた。血で固まった髪から、がれきの欠片がこぼれた。この時キリウは、モノグロが人になったようなI.D.を見て内心大ハシャぎだったが、実際にはハシャげなかった。
へっぴり腰のI.D.は、目と目が合った瞬間、胸の奥まで突き抜けるような感覚に襲われて飛び退いた。彼女はその痛みを恋だと直感したが、恋ではなく、実際にはただの体調不良だった。
気が動転したI.D.は、しどろもどろになって、思ったままを言葉に出した。
「あの……えっと……そうだっ。行くよねっ!? の、乗りなよ」
キリウは断ろうとした。彼は自分の所業に他人を巻き込みたくないと思っていたからだ。しかし、頭の中の声が彼に命令した。列車がないから乗せてもらえよ、と。
17時01分。I.D.が差し出した手をとって、キリウが立ち上がる。