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162.ここにいない子供たちへ

 出入りの弁当屋がしょっぱい感じのところに代わっていた。所長のコネらしいが、勘弁してほしい。

 よくよく考えてみるとなぜ御神体にIDがあるのか、と飛鳥に聞いたら、ライスフィールド君を紹介された。ライスフィールド君のことは名前しか知らなかったが、喋ってみるとクレイジーで、御神体のIDでアカシックレコードを掘り続けている恐れ知らずだった。

 彼の話では、御神体は生き物なのだそうだ。そりゃそうだ、IDがあるのだから。しかし今もあの姿で生き続けていて、特に、かつては人間だった痕跡があるのだというのは初耳だった。ただ、アレがここに現れた前後の記録は歯抜け・異常値・反復横跳びだらけで、未だに決定的な瞬間は掴めていないらしい。

 皆が言っているように、やはり御神体は意思を持っていて、相手を選んで知恵と権限を与えているのかもしれない。何のために?

 ――D556年 某月 某日

 

 

 ああ……結局こうなるのか。生まれてきたことをも後悔するくらいに。

 自分がそう思ったことすら分からなくなったキリウ少年の視界の向こう側で、ランプの光が微かに揺れた。それを持つ人形が揺れたからだ。その通りだ。この部屋にだけでも六体もいる無機的な人形たちの幼い身体は、全員の同期が取れていることを確認するかのように、時折一斉に揺れるのだ。

 だからこの時、キリウの全身に取り付いていたその子たちもまた、顔を上げて微かに揺れたのだった。それは分かりやすく機械的だったが、どこか主人の機嫌を伺う犬のようないじらしさを漂わせてもいた。

 主人、そう、主はその子らをそのように作られた。そのほうがかわいいからだ。

 かわいい子供部屋のかわいいベッドの上で、かわいい人形たちにキリウは押さえつけられている。もっとも、それはある種の保険かもしれなかった。そもそも今のキリウは、頭に撃ち込まれた金属製のプレートとそこから流し込まれる毒信号によって、ほとんど身体のコントロールを奪われていたからだ。

 誰に? 彼の主人ではない者に。キリウの焦点の合っていない目を、血走った赤い目を、覆いかぶさるように乗り上げたミシマリがじっと覗き込んでいる。

 ミシマリの背後には二人の人形が立っていた。どちらも時折揺れる以外では天使の彫像のように微動だにせず、一人は両手でランプを抱えていた。もう一人は、ただ右手を掲げたままでいた。その少女の手の甲はすべすべとして、指先はささくれひとつ無くて、しかしぱかっと開いた中指の爪の下の空洞の闇の奥から、あまりにも無骨なケーブルが飛び出していた。

 垂れ下がったケーブルの先端は、キリウの頭に刺さったプレートに繋がっている。色つきの被膜に覆われたそのケーブルのアトモスフィアを、キリウの無意識は確かに覚えていた。ありふれたケーブルなのに、あんなに可憐な女の子なのに、くっついてみると醜怪な気がして……。

 目を逸らしたくなったんだ。

「ん~~。ID=552171000、001?」

 ミシマリは誰に言うでもなく呟くと、キリウの頬から手を放して身体を引いた。不潔なものにでも触れるみたいな、薄手のビニールの手袋をはめた彼女の手。その下からでも、キリウのまぶたを引き裂きそうに長い爪。彼女は勝手に合点がいった風な素振りをして、首を捻りながら立ち上がり、ぶつくさと独りで呟いている。

「あぁ~……そっか。そうだよねぇ。それはそうだろうけど……でも……ううん」

 そのままひとりで、広くない部屋の中を行ったり来たりしながら、彼女は何やら頭を巡らせていた。ふさふさのスリッパの毛足が、床に積もりっぱなしの薄い埃を拭うのも厭わずに。

 ――ここは人形のための子供部屋だった。あの倉庫の別の一角には大きな箱が二・三段重ねで並べられた区画があり、それら一つ一つがこのような部屋となっていた。本来ならば『教育中』の人形が独りで眠る練習をしたり、心の中に自分だけの秘密を育むために使う部屋らしいが、どうしてキリウはここに居るんだろう。

 ミシマリが再びキリウの顔の前にやってくる。彼女はキリウの目をまたじっと見て、真夜中だというのに口紅で美しく彩られたままの唇を開いた。

「質問を変えようか。おまえさ、いつ・どこで・どうやって、コランダミーと出会ったの?」

 すると、虚ろだったキリウの脳に急に玉虫色の光が宿った。宿るなり、キリウは捕まえられたままの身体を跳ね上げて、壊れたクラリネットのように叫び出した。

「うううううれしいです!! もっとリサイクルしてくださいささ、おれはおれでありがた迷惑がデノミにはかどる都会の空中庭えっ」

 よくない。キリウの裏返りに裏返った声は、びっくりしたミシマリが思わず膝でケーブルを踏みつけたことで中断された。

 引っぱられてプレートが曲がったところから、キリウの身体中におぞましい感覚が広がってゆく。赤いものが青くなるような、舌がどんどん肥大化していくような、勝手に他人の心臓を持ってきて今の心臓に併設されたような感覚。視神経に流れ込んだ毒信号が緑色の星空を見せ、ちぎれた血管でキリウの左目はじんわりと赤く染まっていった。

「あぁ~~もう! おっかしいなぁ、接触が悪いのかなぁ」

 などとぼやきながら、ミシマリはキリウの頭に慎重に指をかけ、きこきことプレートの刺さり具合を調節し始めた。神経をかき回されて二度三度とキリウの手足が攣るも、状態が安定してきたと見ると、ミシマリは当然のように尋問を再開した。

「ほら、もっかい。おまえは。いつ・どこで・どうやって、コランダミーと出会ったの?」

「んうう、う……、おぼえて……ない……」

「それね~。大胆だよねぇ~。で、おまえ、どこまで関係あるの?」

「しらない、し、俺、なにも」

「あたしが気にしてるのは、おまえがコランダミーの『持ち主』じゃなかった、ってとこじゃないんだよね。どっちかというと本質は、コランダミーの本当の『持ち主』が――」

「知らない!! しらっ、ほんとに、枠外に魚がぁ……、わかんないよおお。や、やめてそれまじ魚みたい、魚」

 先程までに比べれば確かにいくらかキリウの意識は鮮明になっていたが、まだ神経の繋がり方がおかしく、呂律も回っていなかった。

「あ~~。あ~~~~。なんかかわいそう。疑ってないよ、これ使ってるんだから、嘘つけないでしょ。だからね、早く答えてくれればいいだけなんだよ~」

 呆れながら憐れみながら、ケーブルを指しながらミシマリは、どうしようもない加減になってしまったキリウを見下ろして言う。

 ふいにまた伸びてきた彼女の手に、キリウは口から魚を吐きそうになった。しかし彼女は、なだめすかすようにキリウの側頭部をさすっただけだった。その優しい手つきから、こんなんでも彼女の憐れみの気持ちが意外と本心からのものであることをキリウは理解した。同時に、ビニールのこすれる感触から来る拒否感に当てられて、ごちゃまぜになって、結局吐いた。キリウは。白い虫を。

「んで、コランダミーの本当の『持ち主』が。なんでか、おまえの死んだ双子の兄のままになってた、ってとこなんだけど」

 そんなものは……。

「あのね~。あたしは、死んだ人間が『持ち主』から解除されるように人形を作ったんだよ。でも、なんかその通りになってないみたいだから、調べたいだけなんだよ~。それで、その件におまえは関わり合いがあるのかな~、って。一応。何かこう、例えばきみが。兄貴のコランダミーがかわいくって魅力的すぎて、羨ましくって、自分のものにしたくなっちゃって、兄貴をよっぽど変な方法で謀殺したとか。なんかの抜け穴を突いてしまうくらい、ほんっとうに変な方法で。うん。無いかなぁ。無いよねぇ。あたしも無いと思うよ。あ~もう」

 ……実在しないのに。

 キリウは口の端を白い鱗粉まみれにしながら咳き込んで、ぱりぱりする虫の欠片を吐き出していた。飛び散った灰白色の体液でキリウの襟首が汚れ、その一部が正面にいたミシマリの服にも付着したのに、彼女はまったく意に介さないようだった。

 当たり前だ。そんなものは実在しないからだ。先程からミシマリが何やらフいている、キリウの双子の兄なんてものについても然りだ。そんな世界でやっとキリウは実在しているのに、実在し続けるために頑張っているのに、どうしてこうなるんだろう。どうして布団の上だと眠れないような奴になってしまったんだろう。

 それを後悔するならきっと、キリウの方向性は間違っていたのだ。

「まいったなぁ~、本当に何も知らないのかぁ。やっぱりコランダミーのバグなのかな? あたしもそんな気がしてんだよね。やっぱりド頭から全部、ちゃんと調べるしかないのかなぁ。まあ~~、あたしは暇だからいいんだけどさ~~。うん」

 ミシマリは声高なのにまるで人に聞かせる気が無い口調で言うと、わざとらしく首を捻った。本当に本当に大仰な態度だった。冷たいような冷たくないような声の奥にある彼女の感情が、キリウにはまったく解らなかった。

 そうだ。最初、キリウは彼女が怒ってるんだと思ってた。怒ってもいない人が、寝入り端のキリウを叩き起こして忍者をけしかけて来るだなんて、考えられなかったからだ。それも、空いてる部屋があるから泊まっていくでござると執拗にキリウを引き留めたくせにだ。しかし今のキリウは、近くて遠い意識の中で、そうではないような気がしていた。キリウを見つめる彼女の瞳はひんやりとしていて、でも不思議とどこか輝いているようでもあって。

 そんな彼女は一呼吸置くと、今度は急に声を潜めて呟いた。

「とりあえず井戸に放り込んどこ」

 すると主人の命に応えるように、キリウを捕まえていた人形たちが一斉に顔を上げた。その子たちはエプロンドレスのポッケから思い思いの拘束具(養生テープ、ミサンガ、リコリス菓子など)を取り出すと、わたわたとキリウを縛り上げにかかった。

 仮に身体が動く状態だったとしても、小さい女の子ばかりでは殴り飛ばすこともできず、どちらにせよキリウにはどうしようもなかっただろう。神経を毒信号で汚染されて、人形たちにもみくちゃにされて、キリウはバネ状になった自我で喜んでるんだか悲しんでるんだか分からなくなっていた。

「やめ、やめて……わあ~かわい……」

「だいじょーぶ! あたしがお天道様に、本当のところを訊いてきてあげるからさ~。でも、後で訊きたいことがもっともっと出てくると思うから、ちょっとしばらく待っててね。あ~あ。けっきょく、何百時間かかってもそれが一番正確なんだねぇ。けど今回ばっかりは、いったいいつの出来事かも全然手がかりが無いのを引っぱろうってんだから、実際どれくらいかかるか分かんないけどさぁ。気の毒だなぁ」

 ミシマリはまた勝手なことを並べ立てて、容赦なくキリウを遮ってくる。彼女は手際の悪い(かわいい)人形たちを助けてやるかのように、がたがたするキリウの身体を上から押さえつけていた。胸の上に置かれた手から雑に力をかけられているキリウは、言葉が通じない生き物に心臓を鷲掴みにされている気分だった。

 いよいよミシマリの言うことはキリウにはまったく意味不明になっていた。そのくせ、このままではくすぐり殺されるであろうことだけはゾクゾクするほどに感じるのだから、たまらない。いや、これまでキリウが地獄に落としてきた奴らも、同じような気持ちだったのかもしれない。そうだとしたら……。

 しかしその時だった。突然、ミシマリが噴き出したのは。

 何がそんなにおかしいのか、彼女は異様にニタニタとした表情を浮かべて、再三にキリウの顔を覗き込んできた。パーソナルスペースを焼け野原にされたキリウはまた白い虫を吐きそうになったが、それよりも早く彼女が声を張り上げていた。

「でもさ~。いや~~。な~んか変だと思ってたんだよねぇ~~~! すっきりしたよ~。おまえさ~。持ち主にしては、何も知らなさすぎんだよ」

 言葉の後半に行くにつれ、ミシマリの声はおぞましいほどの笑い混じりになっていった。キリウがその異常な気配に気づいた時、いつの間にか人形たちも主人の異変にか手を止め、ぴたっと固まって彼女を注視していた。

 そんな辺りの様子に一切構わず、彼女はおのれの髪に乱暴に指を入れ、ひぇらひぇらと笑いだす。そのまま部屋の隅の盛り塩に向かって、ひととおり友好的なジェスチャーをした。それからキリウに向き直って、ミシマリはまた大声で囀り始めた。

「あのさぁ~。いくら旧型だからって、ご主人様に何も説明せずに『あっち』に行くよぉなぽんこつちゃんだと思う? ちゅんちゅん! 明るい方に歩いてっちゃう虫じゃないんだよ~! いくらなんでも、こんなにまでも、訊かれなきゃ何も答えない子になると思う? きみはコランダミーを、そんな足りない子だと思ってたのかなぁ~。でもね~。まぁね~! 持ち主以外には積極的に情報を開示しない、ってルールをあんなに強く設定してたことは、正直あたしも忘れてたんだよねぇ~! あの子、おまえのこと、『おともだち』って言うんだよう。かわいいよねぇ~~!! あたしにすら、訊かれなきゃ本当の持ち主のこと言わなかったんだよ~。秘密が好きな女の子って神秘的だよねぇ~~!! さすがあたしのかわいいかわい――」

 そこで独演会は終わっていた。

 あうっ、と叫んでミシマリが吹っ飛んだ。キリウが彼女の顔面をぶん殴ったからだ。

 軋む身体をようやっと起こしたキリウの頭から、火傷しそうに熱を持った金属製のプレートが滑り落ちる。ちょうど、髪の隙間から這い出てきた白い虫に引っかかって、プレートが抜けたのだ。キリウは足首を縛り付けていたリコリス菓子を引きちぎって、ふと、右手の甲にべったりとミシマリの厚化粧が付着していることに気づいた。

 倒れ込んだ先で机の脚に叩きつけられたミシマリは、鼻から黒い汁を垂らしながら呆然としていた。暗がりで血がそう見えただけかもしれないが、彼女の白いブラウスに飛び散ったそれは、やはり墨汁のような黒だった。

 やがて彼女はぱっと顔を上げて、ひっくり返った声で叫んだ。

「なんでぶったの!?」

 訊きたいのはキリウの方だ。

 するとその直後、こんこんとドアがノックされ、外からコランダミーの能天気な声が響いてきた。

「おねーさん、もう寝ていいー?」

 この場の誰もがそれを聴いたのだ。

「あぁ~~!! コランダミー、ごめんね! うん、続きは明日やるから、今日はもう寝ようね! あたらしいパジャマがあるから……うん!」

 真っ先に叫んだミシマリは、「ちょっと待ってて」と言い残すや否や、大慌てで子供部屋を飛び出していってしまった。そして結局、戻ってこなかった。キリウも残された人形たちに囲まれたまま、いつの間にか寝てしまった。人形たちも、とっくに立ったまま寝てた。