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157.こっち側

「起きて起きて」

 例によってコランダミーが頭をぽこぽこ叩いてくるので、うだうだと寝返りを打とうとしたキリウ少年は、全身を刺すような痛みに襲われて跳ね起きた。

 ああ、まただ、また彼女は何かを勘違いしてるのだ。あの時も彼女はキリウを柔らかくしようとして。いったい今度はどんなツールを持ち出してきたのかと、キリウは殺気立って見回した。しかしそれは、がれきの真ん中でへたれてるコランダミーの困り顔を捉えただけだった。

 状況を飲み込めないままのキリウの隙間という隙間から、尖ったがれきの欠片がばらばらと転げ出てくる。違和感にキリウが自分の頬を触ると、突っ伏していたがれきの跡がくっきりとついているようだった。そんな中、辺り一面に広がるがれきの白と黒が、夕暮れのオレンジ色を受けて寂しげに輝いていた。

「なんで?」

「わかんないの」

 口をついて出たキリウの困惑は、すぐさまコランダミーに打ち返された。基本的に玉虫色の彼女が即答するくらいだから、キリウが考えても無駄なのだろう。だいたいいつもそうだった。

 とはいえだ。

 砂埃を払って立ち上がったコランダミーの傍らには、横倒しになった彼女の鞄と、その影で奥ゆかしく丸まっているトランの姿とがあった。あと、なんでかマイナスドライバーと壊れたルービックキューブも。

 記憶が正しければキリウは昼前に転送局に行って、前日のうちに見つけておいた支局のアドレスに宛てて、あの鞄をなる早で送り出したはずだ。キリウが指先でポッケを探ると、やはり記憶通りの『電配』の伝票が出てきた。(その地域では転送便はそう呼ばれていた。『えーてりばり』もたぶん。)

 転送に失敗したのか、とキリウは安直に推測する。しかしにわか仕込みの知識のせいで、その想像が間違っているであろうことがなんとなく理解できてしまい、幸せにはなれなかった。細かい話は割愛するが、エーテル転送というのは空間上を実際に物体が移動するわけではないのだ。しかもにわか仕込みの知識だから、九割九分間違っていると言い切ることもできないのが、これまたモサモサする気持ちに拍車をかけた。

 ようするに、やっぱり考えても無駄なのだ。

 独学の虚しさを募らせつつ、よっこら立とうとした時、キリウは靴を片方失くしてしまっていることに気づいた。ぽかんと立ち尽くしたままのコランダミーを見上げて、キリウはぼんやり尋ねた。

「俺、鞄の外にいたの?」

「うん。あのね」

 こういう人、キャベツ畑によくいるよな。

「あのね、起きたら、中にあたししかいなかったの。そしたらね、トランちゃんが、鞄とキリウちゃんを持って飛んでたの」

 戸惑い気味に言った彼女の瞳は不安げな色を湛えていたが、同時にそれ以上に透明で純真で、他人事っぽくもあった。そんな風に見えてしまうのは、キリウがオカルトを信じていないからかもしれない。

 なんにせよ、キリウが驚き混じりに見たトランは、相変わらずつまらなさそうに自分のしっぽを引っかいているだけだった。こんなに小さな生き物がどうやって人ひとり運んだのか、キリウは訝しがったが、恐らくマイナスドライバーとルービックキューブを使ったのだろう。そうでなきゃ出てきた意味が分からない。

「トランに……」

 何があったのか聞いてみてくれないか、とコランダミーにお願いしかけたところで、キリウは言葉に詰まった。いつかの恥ずかしさと悔しさと情けなさが胸いっぱいに蘇ってきて、とても人に言えない気持ちになってしまったからだ。不思議そうに見つめ返してくるコランダミーの視線を避けて、もう少しだけ自分で考えてみようと、キリウはトランを手招きする。

 ちょうどその時だった。急にどこからか、車輪が線路を踏む特有の震動が響いてきたのは。

 思わずキリウが立ち上がって周囲を確認すると、なんということはない――数百メートルほど離れたところに線路があったのだ。虫まみれの白と黒のがれきの上では存外に判りづらいもので、核実験場の真ん中にでも放り出されたと思っていたキリウは拍子抜けした。

 ほどなくして、燃えるような地平線の彼方からやってきた列車がそのレールを右から左へと通過してゆく。黒ずんだ貨車と客車が半々で、あんまり長くない、田舎めいた路線でよくある列車。追いかけていけば人里に辿り着けるだろう。

 すげなくトランに振られたキリウは、コランダミーの鞄の中から誰かのスパイクを勝手に引っ張り出し、履き替えながら訊いた。

「どっち?」

 彼女はすでに細い指先で、まっすぐに列車の向かう先を指さしていた。