作成日:

150.キリウ少年とジュン少年 その5

 星たちは地上を蠢く全ての罪を見て、全ての歌声を聴く。一介の星がそれをするのは、かつて彼らが願い事を聴いていた頃の名残だと言われている。

 ともかく、双子の話をしよう。神を信じない二人の少年の話を。

 今日も彼らはほとんど無言のまま、駅から駅へと向かう線路の横を歩いていた。時折遠くの電波塔を指さしてキレ散らかすだとか、一昨年にコウノトリが赤ん坊を食ってるのを見た時の振り返りを二言三言交わすだとかしたが、それ以外は至って静かなものだった。彼らは元来無口な気質なのだ。たまたま、よく喋っているところを目撃されることが多いというだけで。

 ちょうどそんな時分だった。ぼんやりとしたオレンジ色の夕焼け空を、大きな明るい流れ星が音もなく横切っていったのは。

 星が落ちること自体は、上から見れば茶飯事であった。最初からこの空の星たちは、寿命を終えれば自ずと下に落ちて燃え尽きるように作られていた。勘違いされがちだが、星というのは黒い紙に開けられたパンチ穴ではない。ヒトやウサギが見る星々は、Y=14900000000の付近にランダムに配置された幻想駆動の球形装置群にすぎない。それは透明なフィルムに色も大きさもとりどりのビーズを散らして箱の上からかぶせたように、世界を縦に切ったら星が放つ光が層になって現れるほどにだ。

 仮に上から見ればそうだとしても、下から見れば事件だった。その場のノリでオーメンともアーメンとも言われれば、ところによっては星が落ちたら豚肉を食いまくるとか、次第によっては人死にが出るだとか、愛にも憎にも容易に転ぶのだった。それは無反省にも数百年を生きている彼ら双子にとっても同様で、二人は大はしゃぎで立ち止まり、ひまわりよろしく光の尾を仰ぐのだった。

 やがて大きすぎる星は燃え尽きることなく地平線の向こうに落ち、地面を重く叩き揺らした。同時に膨大な星の力が弾け、放たれたアストラルなパルスが光よりも速く吹き抜けてゆく。

「キリウ、キリウ、行くなよ。また天狗にさらわれるぞ」

 光よりも速い風に煽られてくしゃくしゃになった、砂埃混じりの虚数的な香りがまとわりついた白い髪に指を入れながら、弟が言った。いつまでも星が落ちた方角を見ている兄の、虫のような横顔に向かって。

 天狗、それは彼らの数少ない共通の記憶だった。それも、健忘症の兄の脳みそに残っている最後の幼少期の思い出だった。

 街から少しだけ離れたところに落ちた星を、小さな双子だけで見物に行った時の話だ。どちらが言い出したのか、どうしてそんなことをしようと思ったのかは、もはや彼らには分からない。がれきの地面には裂け目か溝とでも呼ぶべき深い深い大穴が穿たれ、周囲が歪にめくれ上がっていた。ただ、倒壊した電波塔の傍で弟のジュンがふと気づいた時には、兄のキリウがどこにもいなくなっていたのだ。そして何事も無かったかのように一週間が過ぎ、ふらりと戻ってきた兄は、完全に正気を失ってニワトリのように鳴きながら暴れていた。

 エクソシストは二日間も暴れ続けるキリウをシャーマニックにしばき倒して、こう言った。

「彼は天狗に連れて行かれて、頭の中にカラスの羽を入れられたようです」

 その言葉に田舎街はちょっとした騒ぎになった。双子のほかの八人のきょうだい達は一様に膨らんで全身をチクチクさせ、両親は羽を取り出す術式の同意書にサインをするか決めかねていた。その混乱は三日目の夜にキリウがひとりでに正気を取り戻すまで続いた。

 ――というのが、二人の記憶の中の出来事だ。ただし、基本的にはジュンが話してキリウが追いかけた記憶だった。実際のところ、その外側にはキリウが誰にも話し忘れていた出来事や、そのまま永遠に忘れてしまった出来事もあったのだ。そもそもキリウには天狗にさらわれた覚えなど無いのに、ジュンや周りの皆がそう言うからそうなのだと思い込んできたという根本的な問題もあった。

 ともかく、本当の話をしよう。星たちだけが覚えている話を。

 ――どちらかと言えば兄が言い出したのだ。街の他の子供たちは誰も行きたがらないのに、電波か何かを受信したキリウだけが興味本位でそこに行きたがり、心配したジュンがついていった。

 キリウは星のかけらを探して、ひとりで穴の中へと降りて行った。その穴は星が突っ込んできた角度のままに出来上がったのか、垂直よりはいくらか斜めになった壁面が衝撃で削られて熱で固まっていた。壊れた電波塔の骨や飛び出した大きながれきを渡って、狐火で足元を照らしながら、キリウは夢中で穴の底に向かって行った。上から降ってきたジュンの声にも返事をせずに、おそらく子供の力では上に戻れないであろうことも、いま壁が崩れて埋まったら死ぬであろうことも考えずに。

 どれだけ降りただろうか、やがて辿り着いた穴の底からキリウが見上げた空は丸くて遠くて青かった。キリウは地の深くからごうごうと何かが吹き荒れるような蠢めくような低い音を聴いていた。

 穴の真ん中には更に『穴』があった。白いがれきの底に開いた真っ暗な『穴』の中には、水が溜まっていた。それが墨汁やタールではなく、暗い空間に溜まった透明な液体であることが判ったのは、彼がそれに触れたからだ。けれど同時に最後でもあった。跪いてそれに指を浸したとき、キリウは剥けたささくれの傷から入り込んだゼロとイチに手を引かれて『穴』に落ち、この世界からいなくなった。

 そこから先で何が起きたのかは星たちにすら分からない。次に星たちがキリウのことを思い出したのは、やはり一週間後のこと。それまでにキリウの存在をほとんど忘れてしまっていた世界が、夢から覚めたように全てを思い出したのと同じくして。後の出来事はだいたい二人の記憶、もといジュンの記憶の通りだった。ハイテンションにぴょこぴょこがれきの上を歩いてきたキリウは、駅員に名前を尋ねられると同時に発狂した。

 そうして今日も世界は何事も無かったかのように流れ続けていた。目に見える唯一の痕跡があったとすれば、キリウが戻ってきたあの日から、彼の白かったはずの髪が空のような青色に変わっていたこと。たとえ地上の誰もそれを変化として認識することができなかったとしてもだ。そんなのはログをひっくり返せばダンゴムシのように出てくるこの世界の膨大な矛盾と破綻のひとつに過ぎなかったが、永遠の辻褄合わせをし続ける箱庭の風にあてられて、いつの間にか周囲の人々はこの双子を一卵性のものではないと思い込み始めていた。それは彼ら自身も例外ではなく、今でも彼らは同じ顔の互いを似ていないと信じ続け、違って見えるように振る舞い続けている。

 ジュンにどつかれる前に、キリウは地平線の向こうに取り憑かれるのをやめた。そして同い年の弟のおでこを見て、ぽつりと呟いた。

「俺、がれきの下に何があるのか見たかったんだ」

 そう言うキリウがよく分からない笑みを浮かべていたので、ジュンもよく分からないまま笑い返した。この時のキリウの空色の髪は、夕焼けに照らされてほのかに輝いていた。

 紺碧に染まり始めた空の端から、また星がひとつ転げ落ちた。金色に燃え上がるそれは十二時の方角へと向かってゆき、彼らの次の街の真上で爆散して、大変なことになった。