真昼間。がらがらの列車の広々としたコンパートメントに、孤独な少年がふたり。
「明後日、サイココスモス駅にヤコニャン来るって」
地域紙を片手に、スケッチブックに目を落として首をひねったまま、何の前触れもなく口を開いたのはジュン少年だ。その声に、向かいの席で荷物の中身を確認していたキリウ少年が反射的に顔を上げたけど、どうすればいいのか分からなくなってる。
ほとんど同じ顔をした彼らは互いにその自覚が無かったが、実際のところ、二人がまとう雰囲気はそこそこ異なっていたのだ。それはジュンの整えられた真っ白な髪と、散髪のタイミングを三回は逃したようなキリウの青い髪からしても明らかだったが、そんなことはどうでもいい。
さて、人の目が無いのをいいことに、キリウは靴を放り出してカカトを座席に乗せている。この少年は、ほとんど抱きかかえるようにした鞄の中身を入念に確認していた。何せ中身は大量の脱法鉛筆だからだ。それも、たぬきのふりをしてチルチル街の売人を誘い出し、二人がかりでくすぐり倒して奪ってきたものだからだ。
この時キリウは「サボテンって食えるの?」とテレパシーでジュンに尋ねていたが、脳の筋トレ中だったジュンはそれを受信しながらも応えることをせず、地域紙の一面をキリウに突き出しただけだった。紙面――新型有人ミサイルの名称、一般公募で『マロン』に決定。その右の枠、ヤコヤガヤ沿線イベント情報。サイココスモス街、すべり台祭りにヤコニャンがやってくる!
キリウはとぼけた顔をした猫らしきマスコットを一瞥して、虫のように笑った。そして荷物の確認に戻っていった。
――こんな餓鬼に盗られる奴がマヌケだし、こんな餓鬼から買う奴もバカだ――この罪深い子供たちを赦してくれたのは、尺八街の肉屋のオヤジだけだった。オヤジは脂肪を鼻から排出する作用のある粉を受け取るや否や、コロッケのたねに混ぜこんで十字を切った。それが夢のダイエットコロッケ誕生の顛末だ。
「お祭りでこれ売るの? 鉛筆削りに挿して、飴かけてさ」
数えっぱなしの鉛筆を片手に、キリウが勝手なことを喋っている。そんな兄を見て、弟がため息混じりに返す。
「路線内だぞ。見つかったら彫刻刀で削り殺されるよ」
ジュンは決して冗談でそう言ったのではなかった。事実、この沿線を縄張りとし、あの売人に脱法鉛筆を捌かせていたアートマフィアの構成員には、版画や彫刻を稼業にしている者も多いのだ。連中の刺青は、それはそれは見事な仕上がりだという。
チルチル街で邪悪な所業を終えた二人は、その後すぐさま列車で街を飛び出してきたものの、さすがにそろそろ連中も赤い瞳の双子を探し始めているはずだ。逃亡の時間稼ぎのために、売人の全身を緊縛して女王様ハウスに放り込んできたことも、結果的に不要なヘイトを買ったに違いない。
もう片手に握った鉛筆を見つめながら、ジュンは内心で少し後悔していた。正確には、彼らがこの商売を始めてから今までの全てを、ちょっとずつ後悔していた。
ほんの一夜の出来事だったのだ。ある街の遠い夜のこと、人気のない裏通りで露出狂に遭ってショック死した売人を見つけたジュンが、思わずその荷物を拾って逃げたことがきっかけだった。
それ自体は、当時の二人が生業としていた運び屋の発作みたいなものだったので、すぐに打ち捨てればよかったのだ。しかし人生に絶望していたジュンは、それを抱えたまま、セミをくわえた飼い犬のようにキリウの元に戻った。すると同じく人生に絶望していたキリウが、ジュンの持ち帰ったものの半分を、ドミトリーの相部屋の不良たちに売りさばいて――こう言ったのだ。「俺だけオムライスにケチャップで『死ね』って描かれるんだ」何の話だ。
たったそれだけで二人が当面の旅費を手に入れたことと、彼らが各地の売人を襲って商品を奪う行為を繰り返すようになっていったことは、無関係とは言い難い。当初に苛まれていた罪悪感も徐々に薄れてゆき、今の彼らは、伊達巻を口に突っ込んで放置した売人がどうなろうと知ったこっちゃないというところまで堕ちていた。
相手も犯罪者だということが、それに拍車をかけたのかもしれなかった。売人ならどこにでもいるし、商品は軽くて小さくて持ち運びやすく、手段を選ばなければそこそこの値で売れる。今日のこれだって、沿線じゅうの絵描きが血眼だと噂の品物の、しかも新型だ。
自分がおのれの理性を確かめるために後悔していることに気づいたジュンは、後悔することをやめた。とはいえ、彼はスケッチブックを見つめながら、首をひねることはやめなかった。そんなジュンの様子が気になったのか、今度はキリウが向かいから身を乗り出して、その手元を軽く覗き込みながら尋ねていた。
「どう?」
「…………」
ジュンがためらい気味にスケッチブックの上下をひっくり返して、キリウに見せる。
そこに描かれているのは、地域紙の一面に載っているのとよく似たヤコニャンの絵だ。写真の中の着ぐるみを描き写したはずのそれには、しかし実在しない巨大な蝶々と、しらたきとしか言いようのないものがくっついている。
もっともそれは、ジュンが脚色を入れて描いたのではなく、彼は本当に見たままを描いたのだ。キリウもそのことを理解しており、ついでにジュンが初等部の頃に教師から「とても上手に描けていると思いますが、これは写生大会ですから、見たままを描きましょうね。あと、先生は君の顔が嫌いです」と言われて以来の強烈な人間不信を患っていることを聞いていたので、不用意にそれに触れることを避けた。
「もともと上手だから分かんない」お世辞ではない。
「バカ。何も変わってないよ」
ぺしっ、とジュンが鉛筆――脱法鉛筆をスケッチブックに押し付ける。
「偽物~~?」
一気に疲れたようにシートにもたれ込んで、今のはジュン。
「まさかっ。ちゃんとアートマフィアから卸してる奴、探したのに。不良品とか……削り方が悪いとか? 挨拶しなきゃダメとか。上下逆さまなのかも」
一方で、にわかに殺気立ったキリウが、鉛筆削りを握りしめて、ジュンの手から鉛筆とスケッチブックをもぎ取る。
普段のポンコツぶりに反して、こういった悪事に際してはどちらかというとキリウの方が執念深く、仮に偽物を掴まされたのなら、今から戻って売人にビンタするくらいのバイタリティを持っているものだった。もちろんそれで身を滅ぼすこともあったが、悪巧みが思い通りに運ばないとポンコツになりがちなジュンとでは、バランスが取れていたのだろう。
するとキリウが手を動かし始めてすぐ、戸惑った声が上がった。
「あれ? ジュン、これって」
キリウが取り落としそうな手つきで広げたスケッチブックを見て、ジュンは危うく発狂しかけた。そこに書き殴られていたキリウの字が、あまりにも綺麗だったからだ――キリウはいつも、ぞっとするほど汚くて判読不能な文字を書くのにだ。
驚いたジュンがキリウから鉛筆を奪い返して、同様にスケッチブックに一筆すると、やはり美しい文字が並んだ。そこそこ雰囲気が異なって見えるのは、元の書き味はそのままに、その上で教科書のように形が整っているからだろう。
つまるところ、この新型の脱法鉛筆は、書き文字専用だったのだ。
「……学校の前で売る? ノートきれいに書けるし。ふでばこ汚れるから、キャップおまけしてあげたいよな」
キリウがまた勝手なことを喋り始めるも、今度のジュンは「最高」とだけ答えて、シートに沈んでしまった。無理もない。昨晩にチルチル街で売人を襲ってから今まで、ろくに休むこともできなかったからだ。
「ほら、さ。前にダンゴムシの佃煮を掴まされた時も、なんとかなったしさ。大丈夫だよ」
残されたキリウは、スケッチブックを畳むとほとんど独り言のようにつぶやいて、窓の外を見やる。真っ白ながれきの地平線が、その充血した目を灼いていた。