ここは白と黒のがれきの浅瀬。街と街とを繋ぐ線路の脇に敷かれた点検用の通路。社会の隙間であり、外側でもある場所。
殺風景……しかも殺す側の。こんなところをうろついてる子供は、チャーハンと一緒に炒められてしまっても誰も気づかないだろう。今しがた通り過ぎた列車に乗っていた客たちさえも。
「キリウちゃん、見て見て」
傍らをぽてぽて歩くコランダミーに服を引っ張られて、キリウ少年は言われるままに彼女が指さした方を見た。彼女の白い指の先には、夕焼け空の低いところをこちらに向かって飛んでくる無数の黒い影があった。
まっすぐ広げられた羽と長い身体を持つその影が骨精霊のものであることを、キリウもすぐに理解した。あれは骨精霊の群れなのだ。トンボにしては透き通ってないし、ムカデにしては大きすぎる。同種のトランを見慣れていなければ、羽ばたきもせずに浮かんでるそれを見て発狂していたに違いない。
「モノグロって、群れを作るような生き物だったんだ」
キリウはぼんやり気味につぶやいて、コランダミーの鞄から首を出してるトランをちらと見た。実際、骨精霊は個体数が少ないし、彼らがこのがれきの荒野のどこで暮らしてるのかも定かではないのだ。
のんびり歩いてると、やがてその群れはキリウたちの元までやってきた。誰が呼んだか骨精霊――大きな赤い一つ目と、猫の耳のような三角形のアンテナを持つ頭。助骨が飛び出した背骨を連想させる灰白色の身体。その背中には、キリウの首を刎ねられるほどに硬くて分厚い四枚の羽。
彼らは音もなく宙を滑ってきて、そのまま霧のように通り過ぎるかと思いきや、ふいに数体が羽を下ろしてこの場にとどまった。彼らはトランの存在に気づいたようだ。それを察したらしきコランダミーも、トランを鞄から引っ張り出して彼らにお披露目した。
「トランちゃん、おともだちだよ~」
コランダミーに掲げられてだらんと身体を垂れ下げているトランは、こうして見比べてみると、やはり殊更小さな個体だった。群れをなしていた骨精霊たちは皆、全長がコランダミーの背丈よりも大きいのだ。片手で掴めないほどの眼球がぎょろぎょろ動くのも、近くで見るとまた、巨大な牛の舌を見た時のような独特の薄気味悪さがあった。もしキリウがトランと同じ感覚で彼らに引っ掻かれたりしたら、完全に持っていかれてしまうだろう。
キリウはトランがほかの個体にいじめられたりやしないかと、内心ドキドキしながら目の前の光景を観察していた。キリウが知っているトランは、カラスにつつかれるわカマキリにどつかれるわタクシーに轢かれるわで、眼球を破裂させてばかりいたからだ。
けれどすぐに彼らのひとりとトランが頭をこすり合わせたのを見て、それが杞憂だったことを悟った。トランはもそもそとコランダミーの腕から抜け出し、身振り目振りで彼らと何やらコミュニケーションをとっている。もうしばらくすると再び彼らは移動を始め、トランも彼らに混ざって一緒に飛んでいた。
キリウは彼らの後ろをコランダミーと歩きながら、無数の影に混ざっていくトランの姿を仰いでいた。小さな羽でふらふら飛び回るトランは、群れの中に居るとまるで別種の生き物が迷い込んだみたいだった。
仲良くできてよかったな、なんてキリウが自分のことのように思ったのも束の間。
「……え、トラン? あれ、どこいくの?」
群れとともに少しずつ線路から離れていくトランの尻尾を見て、キリウは自然と戸惑った声を上げていた。すると突然コランダミーに手を握られたので、びっくりして向き直ると、彼女は感慨深げな目をしてしみじみ言うのだった。
「トランちゃん、行っちゃうんだねぇ」
がれきの上に踏み出しかけていたキリウは、それを聞いて脚がもつれた。
「これってそういう雰囲気かよ!? ちょっと待って……」
自分の靴紐を踏んで転んだキリウをコランダミーが不思議そうな顔で見つめていたが、そんなことはどうでもいい。ただただキリウは、トランが自然に帰るだなんて考えたこともなかったし、仮にあったとして、こうまでもあっさりとそれが執り行われるだなんて思いもしなかったのだ。
こんなこと許されないよ、どこまででも追いかけて連れ戻してやんよ、俺から逃げられると思ってんなよ。脳裏で次々に叫びだす借金取りを飲み込んで、しかしキリウは立ち上がったまま動けずにいた。キリウにはトランを捕まえることなど容易いが、夕日を浴びたトランたちの背を見たとき、とっくに自分にその権利が無いことに気づいていたからだ。
「そ……っか。トランは、その方が……いいだろな」
とは言うけども、急にめちゃくちゃ弱気になったキリウを見て、コランダミーがその作り物のような表情をわずかに変えたこともまた事実なのだ。
少しの間があって、彼女はキリウの横からがれきの上に数歩飛び出した。そして口元に手を当てて――。
『#%@※』
叫んだ。
らしかった。けれど実際にその口から発されたのは、何かをぶちぶち千切ったり歪めたり巻き戻したような、とても彼女の声とは似つかぬ不気味な異音だった。
そんなコランダミーを見て凍り付いたキリウとともに、骨精霊の群れも止まっていた。今度は数体だけでなく、少なくとも彼女の声が聴こえたであろう全ての骨精霊が、飛ぶのをやめてこちらに顔を向けていたのだ。
その中からただひとり、慌てたふうに舞い戻ってきたトランがいる。かれはひんやりした瞳でキリウが見たこともない表情を浮かべていた。コランダミーが小声で続けた『異音』に耳を傾けているときも、かれはずっと同じ顔をしていた。やがてコランダミーが喋り終わると、かれはキリウのところまでふよふよ飛んできて……じっとキリウを見つめるのだ。
トランの背中の向こう側では骨精霊たちがまた羽を広げて、彼らの進路に戻り始めていた。トランは振り返らず、彼らも振り返ることなく、でもコランダミーだけが雰囲気で彼らに手を振っている。
そうしてそれは霧のように過ぎて行った。
「……コランダミー、モノグロの言葉、しゃべった?」
固まりっぱなしのキリウがポンコツになって尋ねると、コランダミーはトランの尻尾にじゃれつきながら、何事も無かったかのように答えた。
「はじめてだけどうまくいったよ! しゅうはすうが合ってないけどね、手で変換器を持って、通してたからだいじょうぶだよ。今まで聴いたトランちゃんの言葉をサンプルにして、辞書を生成したの」
「なんかすごいな。トラン、なんて目で俺を見てんだよ。なに言われたんだよ。なあ」
自分と同じ色をしたトランの瞳に耐えられなくなって、キリウはついに顔を背けた。そんなキリウはかれの目にどう映ったのか、トランはキリウの頭を脚でちょいちょいつつくのだ。
キリウがどんなに謝っても許してくれなかったトランが? キリウが近寄ることすら難しくなっていたトランが!
「こんなん責任取れないよ。俺、あいつらよりトランを幸せにできないよ」
「キリウちゃん、いっしょに居たいなら言わなきゃだめだよ」
そう言って、なぜか照れくさそうに顔に両手を当てたコランダミーを見た瞬間、キリウの中で何かが砕け散った。
気が付くと、その場に立ち尽くしたままのキリウの目からは、ぼろぼろ涙がこぼれていた。悔しさやら悲しさやら、情けなさやら嬉しさやら至らなさやら、いろんなものが入り混じってどうしようもない涙だった。
ずっと突っ張っていた心のどこかが外れてしまったような感覚に襲われて、気が付くとキリウは吐きそうになりながら泣いていた。そんな自分が恥ずかしくて、もっと涙があふれだした。がれきの上に崩れ落ちたキリウの頭を、コランダミーがよしよししている。彼女の背中から天使の羽が舞い散り、がれきの白と黒が覆われてゆく。
遠くで列車の急ブレーキが響いていた。