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124.ロッカールームにて

 与太者が集まる殺伐としたゲストハウスの床に、ふと様式の異なる二枚の地図を並べてみたキリウ少年は、その四半分ずつを重ねると綺麗に地形が繋がることに気づいた。乗ってきた海上列車の線路が海峡の端から端まで伸びていたことよりも、今の彼の心を打ったのはその発見だった。

 それにしてもキリウはたびたび地図を手に入れてきたはずなのに、こんなことをしたのも、こんなことをしたくなったのも初めてなのはなぜだろう。

 思うに、この世にはハイクオリティな地図を作れる人が少ないのだ。空撮の技術とやる気の両方を有している者は貴重だし、ましてや退屈な街じゅうを歩き回ってまで地図を書こうとする狂人はもっと稀であった。何より外は白い(黒い)がれきの海。路線の網を越えて列車がどこから来てどこへ向かうのか、ほとんどの人は考えるだけで眠くなってしまうという。

 そのような絶望に負けずにこんな精巧な地図を、しかも同じ縮尺で作った海の両側の人は、哲学者に違いないとキリウは思った。あるとかないとか、分かるとか分からないとか、そういうことを年がら年中考えてるような人でしか、正気を保ってできる作業ではないと考えていたからだ。

 もしくは……変電所の地図記号を飲み込んでもノドにひっかからない人だ。

 帰ってきた酔っ払いに地図の角を踏まれたが、感動冷めやらぬキリウは、貴重品袋を引っ掴んで煙突から夜の街に飛び出した。そしてロッカールームに向かった。

 ロッカールームとは、預かり物の保管と転送を行うロッカー業者の営業所の通称である。正確には数年前まで存在した同種のサービスの商標であったが、そんな文学性の違いで四散した会社のことはどうでもいい。キリウはただ、今まで買った地図が残っていないかなと、少年のような瞳で駆け込んだだけだ。

 しかし自動引き出し機の前でカードケースを開いたキリウは、ロッカーキーのカードが数十枚も出てきたのを見て化け猫になりかけた。引き出し対象のアドレスを指定したあと、適当に何枚か通して使い回しのパスワードを入力してみるも、どれも期限切れで別途本人確認が必要な状態であった。だいたい、キリウは滅多にロッカーを使わないのに、がれきに栗を埋めて忘れるタヌキのようにいつも違うカードを作ってしまうのが悪いのだ。

 とはいえ、登録時に持っていたモバイル端末などとっくに食べてしまっているだろうし。証明できる身分なんかもちろん無いし。

 そうなると残りの手段は、カードを作った時に厚かましくも登録したパーソナルな質問に答えるというものになるが……。

 

Q.最初のペットの名前は?
A.チョコ

Q.7番目のペットの名前は?
A.カカオ

Q.明日の天気は?
A.ヘリコプターの羽

Q.女性がサボテンを育てることについて抱いていた偏見は?
A.カーテンのひだの幅にうるさそう

Q.死刑。どうして?
A.空がとっても高いから

Q.カレーに隠し味、何を入れた?
A.ニワトリの頭の絞り汁

Q.親戚で集まった時の遊びと言えば?
A.州の字になって寝る

Q.学生時代に好きだったミュージシャンは?
A.杉田玄白

Q.学生時代に呼ばれて一番嫌だったニックネームは?
A.水死体

Q.学生時代に滅ぼしたかった巨悪は?
A.押し紙、ねずみ講、リベンジポルノ

Q.バンドを組む。何やる?
A.トンカチ

Q.58番目のペットの名前は?
A.チョコ大福

Q.死体を隠すなら家の中?
A.ベッドの下

 

 案の定一個も当たんないですし。

 そして最後のロッカーキーを通した時のことだった。

 

Q.今一番欲しいものは?
A.LOVE

 

 キリウは反射的にそう入力した。

 が、よくよく考えて、タイプし直した。

 

A.何もいらない

 

 するとディスプレイに『転送中』と表示され、機械の内側が振動し始めた。どうやら通ったのだ。

 何かが欲しくて開けるはずのロッカーのキーにこんな質問を入れるなんて、自分はブチ切れてたに違いない。キリウは珍しく自分のことを可哀そうだと思った。それからものが落ちる音がしたので、ロッカーの扉を開けて荷物を引っ張り出し、後ろに並んでいた血管ぶちきれそうな男に順番を譲った。

 さて、ロッカーから出てきたのは古びたプラスチック製の道具箱だった。戻るに待てないキリウが入口の階段に座り込んで、くっつきかけていた蓋を無理やり剥がそうとすると、フチから薄く剥がれて割れてしまった。今では考えられないが、昔のロッカーは保管時の転送で熱を持ってしまい、このようになることがあったという。

 永遠の夏炉冬扇を極めるゴミ箱を掘り返し、ようやくキリウは地図らしき紙束を見つけた。それは開いた瞬間に折り目から破れ落ちて、とっさに掴んだところからパリパリに砕けて、瞬く間に夜の風になってしまった。

 何もいらない……ね。

 けれどキリウは何かを手に入れたように感じていた。やはりトランは友達だから、チョコらしい名前をしてないのだと思った。彼はコランダミーのカウンセリングのおかげで、最近は昔のことを少しだけ思い出せるようになった気がしていたのだ。後にまったくの勘違いであったと気づくことになるのだが。

 ガラスの音楽ディスクと豚の貯金箱だけを抜いて、残りはカードと一緒にゴミ捨て場に出して、キリウはただ帰った。少なくとも今日だけは帰れる場所へと。