逆立ちしても手に入らないものは後方宙返りしようと手に入らないのは自明である。
ちりんちりん、誰にも向けないベルが鳴る。あるいは、寄せては返す波の音に向けて。
進み続けるチャリを潮風がそっと押している。キリウ少年はニケツのニ側で目を伏せて、死んだふりをしている。けれどキリウ少年はここにいるのだと、自分はキリウ少年であると、無言のままに主張してもいる。
何もいらない……か?
指が動いて腕が動く。いつか動かなくなることを知っているのに、でもまだ動く。
遠くでロッカーキーの束が落ちる。キリウ少年は床に散らばったそれを拾い集めている。
Q.なんで動くの?
A.死んでないから。生きていて、動かせて、動かそうとしてるから。
Q.なんで動かそうとするの?
A.そこにある背中を抱きしめたいから。
Q.なんで抱きしめたいの?
A.寒いから。ここは寒くて、
嘘つけ。
A.何かを掴んでないと、チャリがゆれて、俺が落ちるから。
そうだ。
Q.なんで落ちたくないの?
A.痛いから。
Q.なんで痛いのが嫌なの?
A.死ぬから。死ななくても苦しいから。
Q.なんで死んだり苦しんだりするのが嫌なの?
A.痛い……から?
Q.痛くなければ死んでもいいの?
A.まだ死にたくない。
Q.なんで死にたくないの?
A.やりたいことができなくなるから。
Q.やりたいことって?
A.決まってなきゃダメなのか?
Q.決まってもないことをどうしてやりたいの?
A.ただ何かしたいだけなんだ。
Q.なんでしたいの?
A.そうしなきゃ俺がここにいること誰も知らないから。
Q.なんで誰かに知ってほしいの?
A.最終的に、自分がここにいるって思えるから。
Q.なんでそう思えるの?
A.ここに虫がいたら見るでしょ。それと同じさ。
指が動いて腕が動く。腕が動いてそこにある背中を抱きしめる。自分が存在することを確かめるために。そうだとしても、誰のものとも知れない背中はあたたかくて心地よかった。
やがてその背中がもぞもぞと蠢き、真っ二つに割れて、内側から白い虫の群れが出てきた。おびただしい数の虫に埋もれながら、キリウ少年は腕の中の身体がぺしゃんこになっていくのを感じていた。きっと最初から、その中には虫しか入っていなかったのだろうと思った。
漕ぐものがいなくなったチャリが倒れる。ちりん、外から叩かれてベルが鳴る。たくさんの翅を撒き散らしながらキリウ少年も投げ出される。
キリウ少年はコンクリートに死んだように横たわって、あたたかくも冷たくもない虫が身体の上を這うのを許している。
ちりん、誰がでもなくベルは鳴る。誰が……目を開く。
そこには彼以外の誰もいなかった。夕焼けのあたたかさと、潮風と、オレンジ色の差した青い海だけがあった。