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111.ハナノハラ線にて その2

 ――この夕顔街から『あっち』にまっすぐ進むことはできなかった。コランダミーが言うところの『あっち』方面に向かう路線・ハナノハラ線は数年前に無くなってしまったとかで、今では他の路線を経由して迂回する必要があるようだった。

 もっとも、地図で確認するとハナノハラ線は本当に短い路線だ。チャリで頑張れば、次の乗換駅までぶっちぎることもできそうだった。今は放棄されていたとしても、かつて線路のメンテナンス用に併設されていた道路が残っているはずである。普通の人間は線路には立ち入らないし、少なくとも街から離れてしまえば、当時のままになっている可能性は高い。

 キリウ少年はそのつもりだったが、しかしそれを拒んだのは他ならぬコランダミーだった。

 体力的な問題ではなかった。キリウも、その少女には身体に見合わぬガッツがあることを知っていて提案した。彼女ときたら、一週間寝ずに粘土をこねていてもケロリとしているふしがある。仮にチャリに乗れないのだとしても、補助輪をつければいい。ただ、彼女はこの時だけはキリウの腕をひっぱって、しきりに「こわいよ」「やめようよ」と訴えたのだ。

 それ以上のことは無い。そんな少女とともに、今のキリウは図書館にいる。

「あったよ、キリウちゃん。神隠しの記事」

「ありがと」

 コランダミーがまとめて差し出した新聞の束を持って、キリウはコピーをとりに行った。複写機に白い虫が嫌というほど巻き込まれて見えたが、もちろん出来上がりには影も形も写ってはいない。『……方面での行方不明者が相次いでおり、警察では、必要が無い限り徒歩で街の外に出ないよう注意を呼びかけている』。

 ハナノハラ線が廃線となった理由は、地元の人間でも把握していないようだ。チャリに乗りたいキリウが誰に尋ねても個人の感想以上の答えが得られず、まともな文書も残っておらず。しかも、なんとなく黒歴史化されつつあるということだけが、住民らの渋い反応からひしひし伝わってきた。

 そんな中、キリウが鉄道オタクの男にクレープを奢って聞き出した情報だけは少し面白かった。その男の見立てでは、何らかの『事故』があったのではないかとのことだ。彼はキリウに(まんざらでもない様子で)在りし日のハナノハラ線の車両の写真を見せた。そこに写っている列車がある日突然戻ってこなくなり、それからしばらくして大規模な通信障害が発生した最中に、どさくさに紛れて廃線の報が出たのだという。

 さらに彼の言を信じると、ちょうどその頃から街の様子がおかしくなり始めたのだそうだ。それは単なる治安の悪化と言うには不可解で、例えばガムのポイ捨てが激増したとか。これと言った理由もなく踊り出して発狂する事件や、明け方に失恋して暴れる事件、一輪車のパンク、ハナノハラ線方面での神隠しの頻発。さらには独身者が集団で卵アレルギーを発症するといった、アニマルライツな現象も続き……。

 何より……それらのことを真面目に取り合っている人が、あんまりいないらしい。

 キリウが戻ってくると、机の上にコランダミーがチェックし終えたファイルの束がまた増えていた。キリウは少し手伝ってもらうつもりで頼んだだけなのに、彼女はキリウから見てもすさまじい速度で新聞に目を通し、人間離れしたパフォーマンスを発揮していた。キリウは横から彼女に声をかけた。

「コランダミー、読むの早いね」

 ぽやんと向き直った彼女は、いつも通りのすっとぼけたコランダミーだった。

「そお?」

「うん。産業スパイの訓練とか受けてた?」

 しかしキリウがそう言って首をかしげたのを見て、彼女はぴたりと固まった。彼女には、よく分からないタイミングで考え込む癖があるようだった。

「どしたの」

「んー。キリウちゃん、神隠し好きなの?」

「好きって?」

「されたいの?」

「えっ……され……たくないけど……」

 おそろしくデリカシーの無い質問だなあと思いつつ、キリウは溜まったコピーをぱらぱらめくって答えた。

「なんか、かわいそうじゃん」

 コランダミーはそれ以上突っ込んでこず、「へー」とつぶやいて即座に寝てしまった。キリウは置いてけぼりをくらった気持ちになった。

 それにしても、ずいぶんと神隠しの記事が集まったものだ。子供ばかりがこんなに行方不明になっているのに、どの記事も妙に淡白で、誰一人見つかったという続報も無い。よく見ると行方不明者の家族のコメントもテキトーというか、他人事のようなものばかりで気持ち悪い。

 彼はこの街の薄汚さに居心地の良さを感じていたが、不思議と神隠しの件だけは心がざわついていた。キリウ自身にはその感情の理由が分からなかったが、マリムーだけは覚えているかもしれない。キリウも小さい頃に神隠しに遭い、誰も探してくれないまま、ひとりで帰ってきたことがあるのだという事実を。