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1.未経験者歓迎

 借金取りから足を洗ったはずのキリウ少年がついに結婚詐欺に手を染めだした頃、彼はとある中年男と出会い、強引にカラオケボックスに連れ込まれていた。

 その手口ときたら犯罪級であったものの、男の自己申告により彼が犯罪者ではないことを知ったキリウは、おとなしく彼とのきな臭いカラオケに興じることにした。もっとも、男が人身売買や絵画のセールスなどに関わっていないという確信は持てなかったため、合いの手は入れても警戒心を隠そうとはしなかった。

 やがて紆余曲折を経て、互いの仕事の話になった頃には、両者ともノドが枯れ始めていた。それでもマイクを手放さずにいたのは、彼らが内気だったからだ。本当は、世間話くらいはマイクを介さなくともできるはずだった。二人ともそれを知っていたし、本当の声をぶつけあうべきだと心の底では思っていた。

 若さってなんだろう。

 しばらく間が空いたのち、十四歳のいでたちで結婚詐欺をするのは辛かろう、とテーブルの上に立ったままの男はキリウを諭した。彼の純粋な善意から出た忠告だ。それでもキリウはかたくなに、息子を嫁にとられた姑を口説き落とすのがクールだ、とボイスチェンジャーをいじってニヒルに遊びながら譲らなかった。

 確かにな。しかし仮にそうだとしても男は、目の前の生っちろい少年が中年女に言い寄って、甘酸っぱい文通をするところまで想像して、いたたまれなくなった。そしてマイクを真っ二つに折り捨てて提案した。

「もうちょっと割のいいバイトしない?」

 ――それを聞いたキリウは、うさんくさそうだけどすごい気になりますという風な顔をして、手元のグラスに残っていた液体を一口飲んだ。香料くささにむせそうになりながら、彼は「いい加減この男はテーブルから降りないのかな」とも思っていた。しかしキリウは他人の挙動にいちいち口を出す性格をしていなかったので、それは胸の内にとどめておいた。

 世の中には言っちゃいけないことがあった。このジュースの底に沈んでるゴキブリのこととか、特に。

「カルト宗教絡みのバイトはもう嫌だ」

 キリウが床にグラスを叩きつけて、その残骸をめちゃくちゃに踏みつぶしたせいで息を切らしながらそうぼやくと、男は首を横に振って新たに曲の予約を入れた。

 そして彼はたっぷり三曲分もマイク無しで持ち前の声量を誇示した。それから、冷めっぱなしのキリウにしびれを切らして、ようやく説明を始めた。合の手すら入れてもらえなくなったからだ。

「電波塔の監視をすんだよ」

「え、あれ、動くんですか」

 動くものか、と寂しげに男は笑った。ふとキリウはその一瞬の挙動で、男がロリコンであることに気づいて戦慄した。ロリコンは犯罪だと思うが、これはつまりどういうことだろうか。走馬灯並みのクロック速度を発揮して、キリウの脳みそがひっくり返る。

 ……頭が痛い。ロリコンのせいで頭が割れるように痛い。

「なんと、七日ごとに点検をするだけで、生活に困らないくらいの金が貰えるんだって聞いたら、本気にするかい?」

 金がなんだよ黙れロリコン!! 息が臭いから喋るな!! お前なんかな、社会が本気出したらリンス一本食わせて銭湯の壁に埋めてやれんだよ……!!

「良い話だと思わないか。よかったらどうだ、明後日の昼過ぎにでもあの電波塔の下に来てくれたら、詳しいことは教えるよ」

 そうしてロリコン男が指先で示した窓枠の中には、斜め上から切り取った夜の街並みがあった。さらにその遠景、街をはみ出した外側の、白いがれきの地平線の端っこに、確かに彼の言う電波塔があった。それは夜の闇を切り裂くようにそびえ立ち、このがれきで埋もれた世界と同じく真っ白い色をしていた。月明かりを反射してひときわ眩しく輝くようだった。

 その光景は普段なら、どうにもこうにもキリウをノスタルジックでセンチメンタルで、ロマンティックでドリーミーな心持ちにさせてやまない。だけど今夜はロリコンのせいで気が気じゃなかったので、何も言えずにキリウは一人分の料金をテーブルに置いた。そして窓をマイクでブチ破ると、そのままカラオケ屋の五階から飛び降りて、ダッシュで逃げた。

 何かから逃げるように走り続けて、街外れの路地裏を抜けた先には、彼がつい数分前に見下ろしていた白いがれきの世界が広がっていた。立ちつくして、息をはずませながら、少年は赤い瞳で空を見上げた。