30.テキストタイル、IUPAC、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国、タウマタ、ロングプレイヤー
谷屋と奈津、目の前に立つ幼い少女の手のひらに浮かぶ、光に触れた
一瞬眩しく光ったそれは、二人の頭の中に向かって飛び込んでいった
(なんだ…急に俺の頭の中に……流れ込んできた…映像…? なんだ…?)
(これが…記憶…? アマテラスちゃんの記憶なの…?)
………
私の名前はアマテラス、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と呼ばれ、今では日の本の国と呼ばれている、昔の日本(にほん)という国では、信仰の対象となっていました
今、地上でこの記憶を見ている人に、少しだけ、この世界で起こっている異変を説明しましょう
かつて私達、神々が住む島は、天の遥か上にありました
あなたたちが見上げている星、月、太陽、私たちはそれ『そのもの』でした
時には声が必要となる時もありました、その時は、私達を信仰している人間の依り代(よりしろ)の姿を借り、人間と語り合うこともありました
少々残酷な言い方になってしまうかもしれませんが
あなた達人間は、私達、神によって『創られた』のです
大地を創った神、空を創った神、海を創った神、そして、人を創った神
地球は、神達の知力を尽くして創り上げた、『進化の星』なのです
『人』を創った神は、ある考えに行き着きました
今は泥人形のような人類は、知恵を身につけるだろう、そして発展し、やがて人類は、どこまで行くのだろうか
神を超える程の知恵をつけ、進化をすれば、私達の元に、そして、いずれ人類は、天へと辿り着けるのではないだろうか、と
力の弱い神は、神の力の及ばぬ災害、超常、つまり自然活動から身を護る術を教える為に、地上へ降りました
力の強い神は、天へ残り、天体を制御する為に力を尽くしました
全ては、私達の元へ、我が子が親の元へ帰るように、人々が来る事を願って…
しかし、地上にいた、動物からあらぬ方向へ進化し、魔の力を持ってしまうものもいました
これは、私達にとって、予想だにしないことでした、なにせ、動物達に知恵はないと思っていたからです
1000年ほど前、中国という、大きな大陸の中にある国に、孫悟空という名前の、猿魔(えんま)がいました
元々はただの動物、狒々(ひひ)だったのですが、長い年月を経て、知恵をつけ、そして、妖魔へと身を窶し(やつし)、己の生まれを呪いながら、悪行に身を重ねました
『どうして人に生まれなかったのか』と
しかし、三蔵法師という仏神の道を目指す一人の女性によって、孫悟空は、己の力が何かの役に立つこと、それが忌み嫌われた自分から、祝福された存在に生まれ変わることを諭(さと)され、辛く、厳しい、天竺(てんじく)への修行の旅を始めました
妖魔の力を使うことは固く禁じられておりました、人として、魔物ではなく、自分自身として、旅をするのだと、そう言われたのです
それこそが、孫悟空が待っていた『心より聞きたかった言葉』でした
天竺では、仏と神が住んでおり、そこに辿り着いたものは、真理を知ると、三蔵法師は信じておりました
そして天竺へ辿り着いた三蔵法師と、その弟子達は、長い、長い旅が終わり、真理を知りました
孫悟空は、かつて暴虐尽くした自分と決別し、和平の為に生きることを決意しました
そして、仏神に認められ、妖魔の身でありながら、斉天大聖(せいてんたいせい)という名を授かり、神の力を手にしたのです
しかし、三蔵法師は、儚く(はかなく)も、人間の身でありました
長旅と、幾つもの妖魔との戦いで、衰弱をしていたのです
沙悟浄(さごじょう)、三蔵法師の弟子であり、河童(カッパ)の姿をしたものがいました
沙悟浄は長い修行の末に、万病を治す妙薬を作り出すことができましたが、己が(おのが)師匠の身体に巣食う悪しき力を取り除くことはできませんでした
そして、悲劇の時がきました、三蔵法師は、病によって、力尽きてしまったのです
斉天大聖は、師である三蔵法師が病魔によって死してしまった時、悲しみに暮れました
そして、幾年か経ったある日、妖魔から成り上がり神となった我が身、神である事を捨て、永遠の力を求め、『命の果実』であり、『不死の果実』である桃の木に、自らの魂を宿してしまったのです
全ては…師である三蔵法師を生き返らせる為に
しかし、そんなことはできません、決してできはしないのです、蘇りはしないのです
命というものは、繋がれ、紡がれていくものなのです、しかし、斉天大聖は、それを否定しました
力があれば、ただ、それのみを求め…命の大樹になってしまいました
いずれ、その大樹から成るであろう無数の果実の中に、彼の師、三蔵法師が生まれることを信じて…
地球は歪になっていきました、世界に力がみなぎっていきました
斉天大聖がその身を落とした大樹の根は、地球の遥か奥深く、大地の中心に根を張りました
おそろしく力が強まり、地球は『成長』し続けました
私達は、概念だった、あなた達が信ずる、信仰、心の姿そのものだった
これではいけない、いずれ、重力という神の力の及ばぬ摂理によって、地球は内側から押し潰されて破壊されてしまう
際限なく育つ地球を見かねて、私達は天を捨て、この世に降り立ちました
天の上では何回も、何百回も会議が行われました、どうしたものか、どうすればよいのかと
そして、地球を作った二人の神が話し合いに結論を出しました
人を産み、大地を作った万物の創世の神、イザナギ
海を混ぜ、世界を作った破壊と創造の神、シヴァ
その二人の提案により、神達が力を合わせ、共に、暮らせる『町』を、作ろうということになりました
それが、私たちが住む神ヶ島、全ては、世界を守る為
ただ一つ、大きな異変が地上でおこってしまいました
桃の大樹から生まれ落ちた桃は、欲望をただ悪戯(いたずら)に詰め込まれた、生命でした、そう、命を持っていたのです
神々が住む町は、人の文化も学ぼうと、少しでも、知恵をつけた人間のような生活をするため、異教の神々を統一した文明を作りました
皆同じ言語を話し、星座の神と伝承の中の神が、肩を並べて食事をするのです
仮初めの人の身体をした、今の私たち神々は、依り代の姿を借りているために、神でありながらも、食料すら必要だったのです
神である私が言うのもおかしな事なのですが、夢のような世界でした
神々の意志は次第に一つになり行きつつある、一体感、臨場感、生きる、という感情というものを、初めて知りました
そう…人間と同じように…我が子と同じように『想い』『感じる』ことの素晴らしさを…
そして、ヘパイストスや、ヘルメス、異教の神と力を合わせ、文明を築き上げ、鍛錬を繰り返し、平和に暮らしていました、来る(きたる)決戦の時に備えて
しかし、忌避(きひ)すべき存在が生まれる前に…依り代に力を蓄えるのは、あまりにも時間が足りませんでした、
そして、力への渇望へと暴走した桃に奪われてしまったのです
東洋の神である私は察しました、不死の果実が暴走した時なにを『欲しがるだろうか』と
そして、東洋の神は、桃が私達の力を喰らう時、防壁を張りました、持てる限りの力を尽くして、老いたのです
力を吸い取られても、まだ、希望を捨てない為に、たとえ赤子になろうとも、人類を守る為に、そして、人に害をなす、命の実が成されないように
そして…そのあなた達が今見ている、幼き姿になったのです
神は今、力をなくしています、だからこそ、人間達、あなた達に、この世界の行く末を委ねます
そして、世界を、どうか、人々を守って下さい
命令ではありません、義務でもありません、忘れ去ってくださっても構いません、ただ、頼りたいのです、あなた達、『人間』に
私達は信仰の力がなければ、何の力も持たないのです
私は、おそらく少女の姿で、東京5番地に降り立つでしょう、それは、あなたが、もしくは、あなた達が、私のことを忘れずに、想っていて下さったからです
だから、どうか……どうか…救って下さい、この人類を…どうか、あの大樹を…滅ぼしてください…
信ずる力を忘れないで…そのためなら、私の力を… あなたに授けましょう…希望の光を…!
………
やがて、記憶の光は収束し、部屋の中を照らす月明かりと、外に広がる闇夜には、静寂と風の音だけが…
谷屋が空に見た光は、己の炎に包まれる幼きアマテラスが放つ光そのものだった
「合点(がてん)がいった……なんでこの俺の元へわざわざアマテラスさんが来たのか、俺が、祈ってたからだ、毎日、見上げていたんだ、あの太陽を」
「……サボっていたとばかり思っていたのだけれど、谷屋くん、見直した、勘違いしてたの私の方だった、本当にゴメンね」
奈津は、谷屋が両親を知らないことを、愛情を知らないことを知っていた
だから、荒くれているのかと思っていた
だが、実際は違ったのだ、ただ、『生きて』そしてお天道様を少しでも長く見るために、空を見ていたのだと
奈津は、それを悟った、自然に涙が溢れてきた
「ゴメン…ゴメンね谷屋くん……今までひどいことばかりさせて…」
奈津は涙を抑えることができなかった、ただ、後悔の念が、波のように押し寄せてきた
「ハハ…奈津、お前らしくねぇな….、いつも通りでいいんだよ、俺を引っ叩いてよ、それがお前らしいよ」
「そして…俺はな、嬉しくてたまらねーんだ、お天道様が目の前にいるんだからよ」
そして谷屋は、幼き少女を、抱きしめた
少女の艶やかな黒髪の側で、耳打ちをする
「約束する、今まで俺を空から見守ってくれた神様(かみさん)だろ、だから、今度は、俺が恩返しをする番だ」
白い歯を見せ、無垢に笑う青年、その笑顔は、少年のように澄み渡っていた
間違っていなかった、俺の人生は、決して無駄じゃなかった
抱きしめられたアマテラスは、ただ、その、暖かい心に、安堵を感じていた
アマテラスも、不安だったのだ、だが、間違っていなかった
そして…目の前の青年は、頬をほのかに赤らめた幼いアマテラスにとって、とても素敵なものに見えた