作成日:

非実在電波ゾンビ

 目が覚めるとキリウ君は、とんでもなく長い死者の行列の真ん中に立っていた。

 あまりにも長い行列だ。世界の果てまで行って、折り返してきて、また世界の果てまで行って、折り返してきて、蛇のようにのたうって、それを何度か繰り返していた。しかも、一歩進むのに数分もかかるようだ。世界中の一週間ぶんくらいの死者が、ここに並ばされているに違いない。

 周囲の様子は、陰鬱な人波でごった返していること以外は分からなかったが、空と地面は真っ黒だった。きっと行列の外も真っ黒なのだろう。人の姿だけが見えているのが不思議なほどに真っ黒で、靴の裏に感覚が無かった。目をつぶってみると、地面を踏んでいることすら忘れてしまいそうになる。

 そうなったら……落っこちてしまうかもしれない。

 怖くなってきたキリウ君は、いいかんじの人に話しかけてみることにした。

 するとちょうど右手側の斜め前、地平線の向こうから折り返してきている列の真ん中に、ぱりっとした顔立ちの女の子が立っていた。彼女は退屈極まりない様子だったが、キリウ君に腕をつつかれてびっくりしたようだ。

「な、なに?」

 しかし、キリウ君は何の話をすればいいのかわからなかった。無意識のうちに口をついて出たのは、次の質問だった。

「おねえさん、どっちいくの?」

 彼女は少し考えて、すぐに合点がいったらしい。キリウ君自身にも意味が解らない質問に、首を傾げつつも答えてくれた。

「私は地獄だと思うよ。いっぱい人を殴ったし、学校もさぼったから」

 そう言って彼女がキリウ君の方に差し出した右手には、絆創膏がたくさん貼ってあった。

「そっか……。怖くない?」

「怖いっていうか、鬼がやだ。見た目が苦手」

「わかる。鳥っぽいよね」

「うん。あなたはどっち?」

 口を開こうとしたキリウ君は、耳と脳の間が痒くなって目をこすった。目を開いたとき、キリウ君と話していた少女は、ギタギタに壊された血みどろの死体になって地面に転がっていた。キリウ君は死体に向かって喋った。

「俺、頭をどうかして死んだみたいで、ここに来るまでのこと覚えてないの」

「そうなんだ。良いようになるといいね」

 どこからか降ってきた彼女の声は幻のようだった。やがて列が進み、彼女の上を数人の死者が、存在しないものの如く踏みつけていった。キリウ君は彼女がそうなってしまったことを残念に思った。

 靴に染み込んでいた彼女の血が乾きはじめ、真っ黒の地面に粘っこい血が擦れる感覚が失われてくると、キリウ君はまた不安になってきた。もとよりじっと落ち着いてこのような行列に並んでいることは、伝言ゲームの次に不得手なのだ。

 すると今度は行列の折り返し地点で、さらに全く別の方向からやってきている列の真ん中に、ものすごく暗い目をした男が立っているのを見つけた。彼は完全にスイッチが切れているように見えたが、真横から注ぐキリウ君の視線に気づくと、どん底の目で見つめ返してきた。

「おにいさん、どっちいくの?」

「は?」

 彼はわざとそのような態度をとったようだ。けれどキリウ君の質問の意味は解ったのか、嫌そうな顔をしながら答えてくれた。

「オレは地獄だろうな。人とか殺しまくったし。あと、たばこ吸っちゃいけないところで吸ったし」

「そうなんだ……。天国に行きたかった?」

「どこにも行きたくないわ。面倒くさい」

「わかる。エンドロールの後に」

「だいたい、なんだこの行列は。いまどき一日にどれだけの人数が死ぬと思ってやがる。時代に即してねえんだよ」

 今度は、彼はわざとキリウ君の話を遮ったようだ。キリウ君が何も言わないことを確認してから、彼もまたこう尋ねてきた。

「おまえはどっちだ?」

 キリウ君は先ほどと同じ返事をしようとしたが、

「ここに来るまでの記憶が」

「地獄だろうな」

 耳元で弾けた笑い混じりの声に、やはり話を遮られた。そしてキリウ君の足元には、グチャグチャに引き裂かれた血みどろの男の死体がぶちまけられていた。

 違和感を覚えたキリウ君が自分の頭を触ると、指にべっとりと誰のものか判らぬ赤黒い血が付着した。男の死体もまた、死者たちに影のように踏みつけられていくのであろう光景を、キリウ君は見たくなかった。

 そんな調子で、数日間もゆっくりゆっくり進む列に運ばれていただろうか。

 すっかり鬱になった頃、ようやく見えた列の先頭にあったのは、豆腐のように白くて四角い建物だった。入り口は鉄格子つきの二重扉になっており、死者は一人ずつ順番に内部へと通されるらしい。それと一緒に、鳥のような鬼と虫のような天使が一匹ずつ、死者の後ろから連なって入るのだ。

 やがてキリウ君の順番がきた。他の死者と同様に建物の中に通されたキリウ君は、床にビニールテープで目印をつけたところに立たされた。前方の二メートルほど離れたところに、何かの資料をプリントアウトしたものが山のように積み上げられた長机と、その向こうに座る一人の女がいた。

 黒いドレスを着た彼女は美しかったが、わけのわからない帽子をかぶっていた。彼女はキリウ君を一瞥して話し始めた。

「あなたの名前は非実在電波少年キリウ君ですね」

「はい」

「死因は『自分が犯した罪の重さがわからなくなったから、天国と地獄のどちらに行くかを確認する』ために、部屋の中で飛び上がり自殺」

「はい」

 きょろきょろするキリウ君を意にもせず、彼女は疲れたふうな目で素早く手元の資料を追っていた。その端っこに大きなハンコを突いて続けた。

「あなたは地獄行きです」

「そうなんですか……。なんでですか?」

「自殺したからです。自殺者は必ず地獄に行くので」

 機械的に告げられたキリウ君は、近寄ってきた鬼を手で制して声を上げた。

「俺、バカなの?」

「鬼さん、この子を連れていって」

「やだ!」

 キリウ君は自分を捕まえようとする鬼をどついて倒し、ぷらぷら飛んでいた天使も上段回し蹴りで叩き落とした。そして入ってきた扉が開かなくなっていたので、勝手口から外に出た。

「あなたは死んでから五日も経ってます。今から戻っても、おそらく帰る場所は……」

 後ろから女の声が追ってきたが、キリウ君は振り返らなかった。死者の列すら見えない、真っ黒な道をいつまでも走り続けた。落っこちるまで走り続けた。

 落っこちながらキリウ君はふと、あの行列に並んでいた人たちはもともと全員、地獄行きだったのではないかと思った。

 

 

「それで、ゾンビになっちゃったと?」

「そう。誰も俺が死んでたことに気づいてなかったから、部屋に死体がそのまま残ってて、帰れたの」

 終電間際の駅の敷地内で、半壊した頭の痕を大きめのキャップで隠したキリウ君が、若いネットカフェ難民の男と駄弁っていた。

 ゾンビになったせいで、キリウ君の髪の毛はくすんだ緑色に変色してしまっていた。目も濁って橙色を帯びていた。何より身体が腐っていたので、このように出歩けるようになるまでには、血で汚れた天井を含む部屋の清掃に始まり、多くの手間を要したものだった。

「兄ちゃん、バカだなぁ。でも今の話は、本当かわからないけど、面白かったな」

「ありがとお」

「写真撮ってネットに上げていい?」

「かっこよく撮ってね」

 男はその写真とエピソードをSNSにアップロードしたものの、「死体で遊んでる」「ゾンビをバカにしてる」「生き返れなかった人もいるのに無神経だ」「あの世に迷惑をかけたくせに美談にするな」など様々な方面から厳しい意見が殺到したため、難しい決断をしなければならなくなった。一方で、フィルター加工されて綺麗になった自分の姿を見たキリウ君は、わりと喜んだらしい。