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プラズマ色の空

 戦前の最後のあの子のクレヒスのように真っ黒な空は前時代の廃ガスに覆われて星の光を通さず、しかしそれを照らしうる地上の灯りすら最早無かったのな。

 そのことに気づいたキリウ君は、いてもたってもいられなくなった。そして火に焼べなかった全てのファイルの山の中から、鍵っ子時代にスクラップしたはずの『星を作る方法』の記事を探した。しかし実際に見つかったのは、当時に寝ぼけながら書いた『星をくすぐる方法』のメモだけだった。

 そこには記されていた内容は次の通り。

 1.メンソールタバコを買う。
 2.泉の女神から貰った金の斧で第四の壁を破り、その足で警視庁本部にかちこむ。
 3.泉の女神に持ち去られた鉄の斧の遺失届を出す。
 4.泉の女神から貰った銀の斧で包囲網を突破し、家に帰る。
 5.枕の下にメンソールタバコを置いて寝る。
 6.目がさめると月にいる。

 そのさらに下、メモは『あとは現地で!』という乱筆を残して終わっていた。

 ちょうど全てのバイト先が変異体(※この話には出てこない)に占拠されて暇を持て余していたキリウ君は、この儀式を実行することにした。

 どうにかこうにか実行した。

 ――。

 ――。

 ゆえに見慣れない土地で目覚めたキリウ君は、全身が痛んでいた。変なところで寝ていたせいだろう。

 辺りは暗く、抜けるような美しい星空以外にはほとんど何も見えなかったので、キリウ君は歩くことにした。しかし砂だらけの地面に足をとられているうち、キリウ君は、運動靴を履いて砂浜を走り回った日の煩わしさを思い出すことになった。

 そうして氷のように冷たい砂の溜まったキックスを三度ひっくり返したとき、ふいにキリウ君に語りかけるものが現れた。

『踏もうとするからそうなるのさ』

 もっとも、キリウ君は電界を用いて、ここに来てからずっとその存在と形状を捉えてはいたのだ。ノータイムで振り返ると、やはりそれが二足歩行する三つ目のウサギの姿をしていたことが分かった。実際のところ、『かれ』はテレパシーでキリウ君に意思を投げかけており、それがキリウ君の中で言葉として認識されているようだった。

『きみはもっと身体が軽いでしょう』

 少し悩んだあと、キリウ君はその場で何度か軽くジャンプした。するとキリウ君は砂の上に乗れるようになった。やってみると当たり前のことだ。

 そのままウサギは三つの目でキリウ君をじっと見つめてきたが、他に何をする様子でもなかった。キリウ君がふたたび歩き始めると、かれは後をついてきた。キリウ君はウサギの前を歩き続けた。

 数十分が経った頃だろうか。

『@の$☆?*く%%の÷』

 ウサギが何かを言ったが、今度のテレパシーはうまく読み取れなかった。キリウ君が聞き返すと、かれはもう一度繰り返した。

『その格好で寒くないの?』

 主星の照り返しのおかげで少しだけ辺りの闇が薄まってきていたので見てみると、ウサギはその長身にモッズコートを羽織り、底の厚い靴を履いていた。良いセンスだがここはそんなに寒い場所なのかな、とキリウ君は不思議に思った。

 首を横に振ろうとして、しかし立ち止まった。三歩先から地面が深く抉れており、長い下り坂になっていることに気づいたからだ。キリウ君はウサギの腕を掴んで二歩下がると、五歩勢いをつけて地面を蹴った。

 ふたりは数時間かけて約50キロメートルを飛んだ。 その間、ウサギはまたキリウ君にいくつか質問をし、キリウ君は身振り手振りでそれに答えたり答えなかったりした。それはトマトのヘタのことだったり、返してない図書館の本のことだったり、誰にも言えない罪のことだったり……。

 クレーターの反対側に着地する頃には、キリウ君はウサギのテレパシーにそれなりの返事ができるようになっていた。

 そういう感じで、やはりキリウ君とウサギはずっと歩いていた。

 100時間くらい歩いただろうか。

 やがて地平線の向こうに光が差したのを見て、ウサギが歩みを緩めて言った。

『きみは夜明けに向かってる』

 止まろうとしないキリウ君の腕を、今度はウサギが引っ張った。その仕草はどこかおっかなびっくりだったが、力の加減の仕方が分からない生き物のようで、キリウ君は腕がもげそうになった。

『灼かれるよ』

 灼かれたいんだよバカヤロウ、とキリウ君は片言気味のテレパシーで答えた。ウサギは振り払われた手のやり場をなくしていたが、キリウ君が進んでしまうので、躊躇いながらもそのままついてきた。

 どこまでも続くかのようだった闇が、影へと変わっていくさまを見ていた。

 太陽から吹く光の風の気配に顔を撫でられて、ふと上着のポッケに入れたキリウ君の指に当たったのは、メンソールタバコの箱だった。キリウ君はそれを引っ張り出し、第三の目をきょろきょろさせているウサギに渡した。

『ありがとう』

 ウサギは礼を言うと、火もつけずにメンソールタバコを食べ始めた。(ここで火をつければ、煙でくすぐったくなった月がくしゃみをし、この衛星が周る主星のどこかで潮力が乱れ、一部地域でシャコが地上に進出するはずだったのだが。)

 口をもしゃもしゃ動かしているウサギに向かってキリウ君は、月面に他のウサギはいないのかと尋ねた。

『さあ? いるのかもしれないけど……』

 こいつは身体が固そうだな、とキリウ君は思ったが、テレパシーには出さなかった。代わりに、また会いに来るよと言った。

『きみは知り合いじゃないヤツに夢の中で何度か会えたことがあるかい』

 ――。

 このときキリウ君には、まるで表情の無かったウサギが少しだけ顔を歪めたように見えた。

 静寂の彼方にキリウ君は春の嵐の音を聴いた。実際に聴こえたわけではないが、そう思ったのだ。キリウ君はついに立ち止まったウサギをその場に残し、境界線に向かって歩き続けた。どちらともなく発した別れの言葉は、ちょうど擦れ合ったあたりで、吹き荒んできた強い電磁波にかき消された。

 キリウ君は、ウサギがもと来た道を時速20キロメートル超で走り去る気配をとらえていた。自分は数秒後には時速17キロメートルでやってきた朝に全身を焼き尽くされるけど、ここに来られてよかったなとキリウ君は思った。