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2017大晦日

 氷の鐘の音を聴いて、ジパング市は良くも悪くもない夢を見る。

 春がきたらぺんぺん草の花束を贈ろう。

 来ない春を想うキリウ君の瞳は今日も危ないくらいにギラギラしていた。その心には今日も今日とて隣家の床下のネズミ以外の誰も居ないが、彼にとっては竜華三会よりもそれが待ち遠しかったからだ。

 春がきたら歯が溶けるまで煮よう。

 そんな気持ちをアートで表現することを諦めたキリウ君は、寒すぎる夜の地下鉄のホームの真ん中で、キリウ君2を見つけた。

 ――誰も見上げていない時に月が少しずつ近づいてきている理論、通称『だるまさんが転んだ』理論がロゼッタストーンに追記されて以来、約30ギガバイトの平和ボケが論破されてきたという風潮には嘘がある。

 それを指摘したうえでキリウ君1は覚悟を決めた。今年もこの日が、キリウ君がキリウ君になる日がやってきたのだ。もっとも、キリウ君1にとってはずっと覚悟していたことでもあった。いつから? 言うまでもなく、○○○○○○○○。

 問2017.○○○○○○○○に当てはまる言葉を8文字以内でこのWebサイトのテキスト中から抜き出しなさい。

 しかし肝心のキリウ君2は、どうも様子がおかしかった。このように、ドッペルゲンガーがその距離200ピクセルまで接近しているというのに、そいつは柱に寄りかかったまま、両手に顔をうずめてブツブツと何かをつぶやいているばかり。

 キリウ君1は、「こいつは今夜は月が大きいと言われても見上げないタイプだろうか」と訝しがった。ただ、大きいと言われた時にしか見上げない奴よりは、誠実であるという側面もあったが。

「ハンドスピナー食べる?」

 キリウ君1が仕方なく声をかけたところ、キリウ君2は明後日の方向に顔を上げた。そのキリウ君2がたいへんに焦点の合わない目をしていたので、キリウ君1は、自分もこんな顔をしているのかなと照れくさい気持ちになった。

 一方のキリウ君2は、キリウ君1の影を見て固まっていた。本当は顔を見て固まるはずだったのだが……。

「俺?」

 これもキリウ君1だ。キリウ君1は純真なので、ドッペルゲンガーに俺かと聞いたのだ。そこまでされてもキリウ君2は、やはり中途半端に頭を振って、斜め上を向いてしまった。その先にはゴキブリの死骸すら落ちてはいないのに。(本当は斜め下を向くはずだったので、この文章は正常)

 そのまま酔っ払いのように斜め後ろに踏み出したキリウ君2は、壁に頭をぶつけて、ずるずると転んでしまった。

「だ、大丈夫?」

 こんなのに来年の俺を任せられるだろうかとキリウ君1は不安になった。

 なぜならキリウ君2は、キリウ君1を倒しにやって来たに違いないのだから。キリウ君というのはそういう生き物である。毎年、キリウ君より強いキリウ君がやってきて、キリウ君になり替わろうとする。冬の冷たさだけがそれを思い出させてくれる、はずなのに。

 キリウ君1はキリウ君2を引っ張って立たせたが、相変わらずキリウ君2は、キリウ君1と目を合わせようともしなかった。そしていつの間にかまた、延々と何かをつぶやき続けるフェーズに戻っていた。それはしばらく聞いてみたって欠片も意味が取れない、すべてが可聴域に収まっているかどうかすらも怪しい、恋心のような色をしていた。

 次の電車の時刻が近づくにつれ、ホームに人が増えてきている。ざらざらした声がスピーカーから響く。

《今度のマイナス二番線の電車は急行地獄行きです。赤い線の外側にお進みください》

「お前、俺の部屋に来ようと……帰ろうとしてたんだろ? 去年の俺もそうだった。分かる? 一緒に行こうか?」

 キリウ君1は、バグっているもうひとりの自分の顔を覗き込んで心配げに言った。しかしボコボコにブン殴って乱数調整をしようとしたとき、ふと変なアナウンスを聴いた気がして、余所見をした。

 その僅かな隙をついて、キリウ君2はトリプルアクセルで飛び退いた。キリウ君1が拍手をするより早く、キリウ君2はさらにダブルマックツイストで飛び上がって天井に頭を打ち付けた。落っこちてきた彼は、強い光を当てられたダンゴムシのようだった。

 その時、彼が唱え続ける滅茶苦茶な言霊が、最後に一つだけ形を作って止まった。

『地獄への道はカステラで舗装されている』

 次の瞬間、当たり判定のバグを利用して猛烈な勢いで斜め前に飛び出したキリウ君2は、ちょうどホームに入ってきた電車の鼻先に――。

 ぱあんと弾けた音がした。

 ちぎれ飛んできた手に顔を叩かれて、キリウ君は黒ずんだタイル調の床にひっくり返った。同時にすさまじい共産主義思想が脳みそに流れ込んできて、なにがなんだかわからなくなった。

 急行電車は止まらずにこの駅を通過したのか、あとには恐ろしいくらいの紙吹雪とキラキラのテープにまみれた空間だけが残されていた。他の人々は、不審な挙動をしたキリウ君を不審な目で見たが、都会人の冷たさゆえか、いま目の前で起きたはずの出来事には誰も興味を示していない。

《今度の二番線の電車は快速シベリア行きです。黄色い線の内側にお下がりください》

 再びアナウンスが流れ、時刻表通りの電車がやってきた。大きめの荷物をぶら下げた厚着のジパング市民たちは、ぞろぞろとそれに乗り込んでいった。それぞれの帰るべき場所に帰るために。

 それがまた走り去るのを、頭の半分にテープをかぶったままのキリウ君がただ見送っていた。気がつくと彼は、そばに転がっていた誰かの腕を拾い上げてその爪を噛んでいたが、やがてこっちを見た。そして横浜県マイアミ市よりも大きな翼を広げて、カチコチになると、この世界を粛正した。

 このオカルト与太話をどう解釈するかは、2018年のキリウ君次第ということになるが……。