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ある冬の午後

 ある冬の午後、コタツでオカマが泣いていた。

(彼がオカマである事実とその背景はさして重要ではない。ここでは彼を言い表せる名前以外の何かで一番わかりやすいものを用いただけで、わかりやすければ、無職でも恐妻家でもヤク中でも知恵遅れでもプログラマでも人殺しでもハガキ職人でもなんでもいい。オカマよりインパクトがあってわかりやすい要素があったらそっちを使うので、差別的意図はない。)

「キリウ君」

「なんすか」

 他人の家の台所で夕飯の準備をしていたダンゴムシ、またの名をキリウ君としても知られる少年は、うしろから呼ばれたところで振り返りもしなかった。そんな現世のキリウ君は翅と瞳がべらぼうに多いはずの天使で、ついに位がオーバーフローして堕とされた過去を持っている。

「消えちまいたいんだ」

「なぜ俺に言うんですか」

 オカマは激鬱だった。キリウ君はいつも通り、誰に対してもそうであるように冷たかったが。

 冷たいといえば――かつて川沿いの工業地帯で起きた麦茶工場の事故以来、冬ともなるとこの街に降り注ぐ小麦色の霙は、体を内外から徹底的に冷やすものであった。近頃は特に四肢の芯が擦り切れんばかりに寒い。なんでも煮て食うには、ちょうどいい日和が続いている。

 キリウ君は野菜をひととおり断罪し終えたところで、うっかり得物を取り落しかけた。となりの死神からかっぱらってきたデスサイスは、かじかむ手には少し重かったようだ。

「胸が締め付けられるみたいッ」

「……カエルでも呑んだんじゃあないですか」

 誰も何も知らないまま、どこかでカエルが死んだような波長がした。オカマがこみあげる胃液をノドに押し込めて、山吹鉄砲よろしく、代わりにまた涙を一粒押しこぼしたせいだ。

 オカマの彼、または彼女は長らく傷心である。傷という傷は涙の数だけ深くえぐられてきて、もはや骨を掠るたび耐え難い苦痛をもたらす拷問器具と化していた。損傷に回復が追い付かない状態なのだ。

 しかしキリウ君は、オカマを襲うその病を理解し同情こそしていたが、心から受け入れることは許さなかった。情を持つと捨てにくくなるし、何より前に貸した金が返ってきていないからだ。

「こんなに落ち着かないのは、高校生の頃の三者面談の前日以来……」

「日ごろの行いが悪かったってことです」

「なんでそんな冷たいんだ!」

「冬だから!」

 いつの間にかコタツから飛び出してきたオカマが、キリウ君の胸倉を掴んで食い殺さんばかりの形相で叫ぶ。でもキリウ君は冷静に、バイト先でおまわりさんに講習されたとおりにその腕を振り払うと、全身からコズミックエンジェルパワーを放ってオカマを三メートル吹っ飛ばした。

 まったく着弾点にあったプレステがジャンクになった。腰が砕けてガクガクしてるオカマに、キリウ君はデコピンを突きつけて怒った。

「春が来て、ま~だ同じこと考えてたら、もッかい話してください」

「いいい今! 今! いま救われたいんだッ!!」

 この時キリウ君が解決を時間に任せて誤魔化そうとしたことは、徳の高いオカマにはお見通しだった。キリウ君もすぐにおのれの過ちに気付いた。少し考えてみれば、渦中の人間にそんな手法が通じるわけがないのだ。次の瞬間にでも水底に引き込まれることを恐怖して、がむしゃらにもがく人間に。

「じゃあ……」

 みんなにはナイショですけど、とキリウ君は前置きすると、怯えるオカマの頭に手を置いてささやいた。

「次の存在になっちまいましょう」

「次の存在……?」

「そう。例えば、人間をやめてホウレンソウブタになることで解消される悩みもあります」

 オカマは、キリウ君の言っていることがよく分からないというふうだった。しかし分からないなりに何かを得たのか、はたまた涙がそう見えるだけか、ほんの少しその目を輝かせた。一方、キリウ君は安易に触れたオカマの髪がベタベタしていたので、人生が嫌になった。

「ブタはやだ。好きなものになれる?」

「次を選べる輪廻なんてない。俺にできるのは、バレない程度にカルマをごまかすことだけです」

「よくわからないけど、やってくれないか」

「あの、メシ食ってからにしてもらえませんか?」

「今! 今! いま救われたいんだッ!!」

 ふたたび叫びだしたオカマに縋り付かれながら、キリウ君は自分が言いだしたことなのに躊躇ったが、そいつの目に宿る光が百パーセントの絶望であることに気付くと、覚悟を決めた。

 キリウ君はベタベタした手をオカマの服で拭いたのち、洗ってないデスサイスを振り上げて――。

 ――振り下ろしたとき、オカマの姿は無数の翅虫の幻となって、虚空に散った。その刹那、キリウ君は次元の狭間に春のキャベツ畑を見た。

 漂う光の粒子を浴びて少年はしばらくぼんやりしていたが、やがてコンロの上でぼこぼこ沸き立つ鍋の音に、正気を取り戻す。とっくに用意してしまった二人分の材料を何も考えず放り込んで、一息つくと独りごちた。

「俺なら、次はモチ巾着になりたい。モチ巾着は油揚げにつめられて、熱くてやわこくてモチモチしてて、殺る時は殺るかもだけど、おいしい」

 その時、呼び鈴が鳴って、昔キリウ君を堕とした第三箱舟支局長のいとこからぬいぐるみ電報が送られてきた。『あなたが手を汚す必要はありません。年末くらい、顔を見せてくれませんか。どうしても油揚げが好きなら、きつねうどんを用意します』。

 読んだところでキリウ君はそれを玄関先にたたきつけた。買い替えどきのキックスで蹴りつぶし、コズミックエンジェルパワーで消し炭にした。

 そして再確認した。春が来たら、あのオカマ野郎が女々しくも好き好んだロールキャベツを、やはり作らねばならないと。

(彼がオカマだからあえて『女々しい』という言葉をつかったわけではない。キリウ君はかねてより、ロールキャベツのチマチマしたところというか丁寧さに、自分なりの女性像を見出していただけだ。相手がグローバルエリートでも愛妻家でも健康オタクでも元ヤンでもセールスマンでも医者でもD.J.でも、ロールキャベツが好きだったら同じことを言ったので、差別的意図はない。)