芯だけになったロウソクの行列がくすぶる横を、簀巻きにされたふくよかな男が、白装束の集団に引きずられるように運ばれてゆく。
「は、は、鳩子ォ~~」
「放してっ! ミスター鶴田を放して!」
「大人しくしろクソども! こんなところにゴキブリみたいに隠れてやがって。ポリョリョンカ幸福協会の、会報宛先名簿を盗んでいくとはいい度胸だなあ。裏切り者のボケカス! ブタ!」
ライト付きヘルメットをかぶった白装束の一人が刺又で制するのも構わず、鳩子が食ってかかった。
「ブタなのは同じでしょう!? この街……こんな街は丸ごとブタ小屋よ。あなたたちだって、居もしない神様にタルトで釣られて、いいように遊ばれて悦んでる本当に卑しいブタ野郎よ!」
「だまれ鏡餅!!」
「あっ」
腹を殴打されてうずくまった鳩子を見て、鶴田が悲鳴を上げる。
「やめろっ、身重の鳩子になんということをッ!!」
「えっ……ごめんなさい。見た目でわかんなかった……大丈夫?」
「鬼! 畜生! キチガイ!」
一方その頃、キリウ少年とコランダミーは共通の目的地である駅を目指して移動していた。
キリウの肩に担がれて、屋根から屋根へと飛び移るたびコランダミーがハシャいでいた。彼女の身体はわたあめのように軽く、まるでカロリーを感じさせなかったが、キリウはふと目を離した瞬間に彼女が藁人形か抱き枕に変わってしまうような気がして、ドキドキしていた。
やがて大通りに面するテナントビルのてっぺんで立ち止まり、キリウは双眼鏡を片手に、目下の様子を確認する。今日も二人を追い回してきた謎の白装束軍団は、どうやら振り切ることができたようだ。このまま東へまっすぐ向かえば駅へは簡単に辿り着けるはずだが。
それより、おやつ時なのに通りじゅうをごった返している人波が彼は気になった。そういえば今日は、暦の上では休日なのかもしれない。
「キリウちゃんキリウちゃん」
傍らのコランダミーにぐいと耳を引っ張られてキリウがそちらを見ると、教会の前に大勢の町民が列をなして、一人一つずつ袋入りのタルトを受け取っていた。ひどく肉付きのよい身体に白い修道服をまとったシスターたちが、慣れた手つきで次々とその罪深い列をさばいている。
「お祈りに行くともらえるんだよ! あたしもね、この街に来て最初の、七日前のお祈りの日にもらったよ」
「おまえ、今食べたいの?」
「キリウちゃん、お腹すいてないの?」
人形みたいな目をぱちくりするコランダミーの言に、キリウは自分がすでに丸一日ほど壊れたイヤホンしか口にしていなかったことを、初めて思い出したらしい。
目立たないように路地の裏側から飛び降りて、何食わぬ顔で列に並んだ二人は、ごく自然に他の人々に混じってタルトを受け取ることができた。しかしコランダミーがにこにこ顔で食べ始めたので、キリウもかじってみたらびっくりした。この菓子には滲み出すほど多量のオイルが含まれているくせに、欠片も愛が込められていなかったからだ。
彼は、広場をうごめく欲求不満げな人々の尋常でない肥満率の高さの理由を理解できた気がした。足元にはポイ捨てされたタルトの包み紙がこれでもかと転がっていた。広場で何やら薪を積み上げだした若い聖職者たちもまた、筋肉と脂肪の暴力みたいなボディをしている。
「これ……メルポランタの種をすりつぶしたものが死ぬほど入ってる。どうりでこんなに油っぽいんだ」
なんとか三口食ったところで唐突に言い出したキリウを見て、コランダミーが口元をもしゃもしゃさせたまま首を傾げた。
「ほれなに?」
「この街のシャーマンが儀式に使うハーブだって、ずっと西で聞いた。俺はそれを探しにここへ来た。身体に入れると、友達と酒で酔ってワイワイ騒いでるみたいな感じの、すごく楽しい気分になれるんだって」
「へー。食べれるんだね。でも、そんなの食べてあたしたち大丈夫?」
「大丈夫なわけない。コランダミーは、この前なんともなかったの? だいたい、この街で常習的に食ってる奴らにも効くぐらい入ってるんだとしたら」
その時、石畳の上で何台もの台車を転がす音が勢いよくこちらへ向かってきて、教会の前で止まった。台車に被せられた大きなブルーシートが取り払われ、その下から現れたのは、巨大な千歳飴でできた十字架に磔にされたガリガリの少年少女たちだった。
彼らは一様にキャンディコーンで手のひらを打ち込まれ、足はひも状のリコリスで縛られていた。そしてSMグッズで大きく開けたまま固定された口から体内に溶けたチョコレートを流し込まれており、顔じゅうにベーコンを巻かれて力なく呻いている。そんなものが薪の上にセッティングされ、着々と火あぶりの準備が整えられていく。
脚立に乗った聖職者が彼らの上からチーズをたっぷり振りかけるのを見て、キリウがつぶやいた。
「酔ってるくらいがちょうどいいことも、あるのかもしんないね」
キリウは、ぽかんと固まっているコランダミーの手から食べかけのタルトを奪い取ると、パラフィン紙の上から握りつぶした。
気がつくと、後ずさったコランダミーの肩を白装束の聖職者が捕まえていた。彼女が声を上げる間もなく、教会の扉が仰々しく軋んで開き、中から偉そうな白装束集団がゆっくり出てきた。その向かって右から二番目に――昨日、コランダミーを食事に誘ったババアがいた。
「かわいい占い師さん! さえないボーイフレンドといっしょに、この上とか乗ってみない? 一回だけでいいから」
ババアがのばす宝飾品でゴテゴテした指の先には、二つほど、この気持ち悪い儀式のための火あぶりの席の空きが残されていた。その十字架の下で、溶けたチョコレートのケトルを下げた肉達磨が、すきっ歯のにきび面に醜悪な笑顔を浮かべていた。
「このブタ女! 私を焼豚にしたところで、この街が狂ってることには変わりがないんだ。いつかチャーシューの鍋が焦げ付く時が来るまで、同じことを繰り返すだけだ。目を覚ませブタ女!」
ギシギシと音を立てて、もう一本の十字架が運ばれてきた。そこに縛り付けられていたのは鶴田であったが、何も知らない我々には、他の犠牲者らとは違って普通のデブ男であるということしか分からない。喚いているところからすると、チョコレートを詰め込まれてもいないようだ。
「だまれブタ野郎! あんまりブーブー鳴くようなら、あんたの女も同じ目に遭うのよ。せっかくタルト作りの功績に免じて、我々がやり直すチャンスを与えてやったのにね」
「くそっ……名簿を盗んで横流ししまくれば、個人情報の流出からくる不信でもって長期的に見て教団を潰せると画策したのに……」
「クズ!!!!」
目の前で罵倒しあう大人の怒鳴り声に、コランダミーが怖くなってキリウを見ると、彼も手を頬に当てて気分が悪そうにしていた。顔が真っ赤なのはボーイフレンド呼ばわりのせいだろうか。どうやら足元もふらついており、やってきた別の白装束が心配して肩を貸してあげていた。
だけどそれは、決してこの状況のひどさとか世界の汚さとか、そういうのを受け取ってしまうセンシティブさから来るものではなかった。低血糖、高血圧からでも。
ふとキリウは白装束の手をほどくと、ろれつの回らない声で言った。
「あんたらに付き合うつもりはない」
顔を上げた彼の目は、すきっ腹にぶち込んだメルポランタが回りきってひどく充血していたのだ。
ふらっと歩み出てきたキリウに気づくと、ババアは歓迎する素振りを見せた。しかしキリウはそのままいきなり数歩踏み出すと、片手に持っていた油滲むタルトの残骸を、そのババアの顔面にべちゃっと押し付けて――燃やした。
可燃性のメルポランタの油がババアの顔から炎を上げた。なんだかわからん偉そうな白装束の集団から、広場に集まった酔っ払いどもの最前線から、シスター目当てのカメラ小僧から、波のように悲鳴が広がっていった。
ライター? 砂糖菓子の表面を焼き付けるのに使っていたトーチバーナー? そんなことを気にさせる暇もなく、キリウはさらにバックパックから引っ張り出した包みを破り開いて、のたうち回るババアの頭めがけて中身を全てぶちまけた。飛び出した大量のメルポランタの種子が熱で弾けて、バチバチと乾いた音を立てて燃える油の粒をまき散らし、ババアの火を消そうとしていた聖職者たちも一斉に飛び退く。それがまた、そこらじゅうに投げ捨てられた油まみれのパラフィン紙に燃え移り……。
「よくわからんが手前らは不当にブタをバカにし、俺たちを追い回し、そこのガキどもを拷問した」
配りかけのタルトの山ほど積まれた台が、ごうと燃え上がって大きな火柱を作った。風圧でてっぺんから吹っ飛んでいった燃えるタルトの一片が、向こうの教会の窓の開いていたところから中に入り、隙間を縫って地下に落ち、非常時用の液体燃料に引火して爆発した。
かくしてあっという間に、ポリョリョンカ街の中央教会とその広場は歴史に残る惨劇に包まれた。
おのれの皮下脂肪で顔面を燃やし続けるババアのむちむちの背中を、へべれけキリウが踏みつけ、そいつが動かなくなるまで血走った目で見下ろしていた。地獄の炎が巻き起こす熱風が彼の帽子を吹き飛ばし、空色の髪をわさっと撫で、空気中に漂ういろんなものをくっつける。煽られたシルエットは悪魔のようだった。
一方、完全に惚けていたコランダミーは、足元に転がってきたナイフを見て正気を取り戻した。彼女を捕まえていた聖職者はとっくに逃げ出していたようだ。持ち手が少し焼け焦げたナイフは、タルトを切り分けるのに使われていたものだろう。
彼女はきょろきょろして、とりあえず近くの十字架に駆け寄ると、温まった刃先で黒いリコリスを切っていった。ベーコンの下からこの状況を確認していたらしき生贄たちは、足が解放されるとなんとか自分でキャンディコーンを引き抜き、積まれた薪に落ちてチョコレートを吐き始めた。
そして最後に彼女が鶴田の十字架に手を付けたとき、いつの間にかキリウがふらふらとやってきていた。彼は固まりかけのチョコレートをノドに詰まらせた生贄の背中をさすっていたが、頭の上でとろけたチーズから滲む油が伝ってきたことに気付くと、少しイヤそうな顔をしていた。そんな彼は炎に包まれた教会を見て、コランダミーの手の中のナイフを見て、最後に鶴田を見上げて吐き捨てた。
「コランダミー、そんな奴はほっとけ。そいつだってブタをバカにした。焼けちまえばいい」
キリウは燃え残っていたメルポランタをまたくすねて、しこたま鞄に詰めてきた後だった。もともと彼は、教団の下っ端から横流ししてもらったメルポランタを持ち帰ろうとしていたのを、さっきそこで燃やさざるをえなくなったのだ。
「でも……」
するとコランダミーがキリウに視線を移した途端、熱で柔らかくなっていた千歳飴の支柱が、鶴田の自重でひん曲がった。
十字架もろともあらぬ方向に倒れ込んだ鶴田は、たまたまそこにいたキリウの上に落ちた。酔っていたキリウは避けそこねて直撃をくらい、でっぷりした鶴田の身体の下敷きになった。
「……もーヤダ」
「おじさんどいてよー、起きてー」
先ほどの口論で頭に血がのぼっていた鶴田は昏倒しており、コランダミーがバシバシ叩いても、分厚い肉に守られた意識はぼやけたままだった。気が付けば白装束の数人が戻ってきており、彼らは構えたデッキブラシでこわごわと旅人たちを突っつこうとしてくる――。
と、そこへ雄叫びを上げてスレッジハンマーを振り回しながら、これまた太った女が突っ込んできた。
「ミスター鶴田ぁぁぁ!!」
骨が砕ける音とともに白装束がまとめて叩きつけられ、一人はレンガ造りの地面に頭を打ち付けて、顔じゅうの穴から血を流してぴくりとも動かなくなった。そんなのには構わず、彼女、鳩子が太い二の腕で鶴田を助け起こして叫ぶ。
「あなたたちは早く逃げて! 駅までの道が封鎖されるわ。ミスター鶴田は私が連れて逃げる。この騒ぎが治まらないうちに、この街から……ありがとう。子供たち」
見ると他の生贄たちは、チョコレートの水たまりを作りながら、すでに散り散りになって逃げだしていたようだ。どこまで行けるかはともかく。
キリウは一瞬、うめき声を上げている鶴田の腹に蹴りを入れてやろうとしたが、鳩子の涙の溜まった目を見てやめた。でも鳩子に張っ倒されて血を流している白装束の顔が、さっき肩を貸してくれた奴だったので、ちょっと悲しくなった。
気付いた。ああ、俺は友達がいないのに、友達とワイワイしてる気分のハーブなんて何がいいのかぜんぜんわからないな。
「キリウちゃん」
炎の中に残りのメルポランタも全て放り込みたくなる衝動に苛まれたキリウを連れ戻したのは、横でぴょこぴょこしてるコランダミーの声だった。
「封鎖なんかないよ、俺はとべるんだから。列車の時刻表もってる?」
コランダミーはぱっと顔を輝かせて、オカルト鞄から取り出した時刻表をキリウに手渡した。そしてキリウがそれを確認する少しの間で、彼女はじつに嬉しそうに、焼け焦げたババアや耳から変な汁が出てる白装束の死体を漁っていた。大きな十字架のネックレスや燃え残った豪奢な指輪を両手に、人形少女はにこにこ笑った。