融け崩れた悪霊の形をしたロウソクの、赤い炎が照らす潰れたボウリング場で、ふくよかな男女が語らっていた。
「そう絶望するな。君が目覚めてくれて僕は本当に嬉しいんだ」
「どうもこうも、あなたをそうしたのが私自身だってことが悲しいの。もう、タルトは焼きたくない。今朝も、正午過ぎにヤギの群れを中央通りに放つよう命令された。私一人逃げたって同じよ。今頃あのヤギたちが、街じゅうのティッシュを食い尽くしてる」
「それでも、君のタルトは本当に美味しかった。あれを食べられるならば、僕は一生洗脳され続けてたっていい、そう思えたほどに。僕の身体を流れる高脂血症が、それを許さなくなるまではね」
「ミスター鶴田……!」
鶴田と呼ばれた男が放ったボウリング球は、床に敷かれたプチプチを割りながら明後日の方向に転がっていった。
一方その頃、人形少女コランダミーは昼下がりの底を走っていた。脳みそが腐ったおばさんについていった先で、マカロニちくわぶグラタンライスをご馳走になった後、肉団子みたいな息子たちをけしかけられたからだ。
「でもやっぱり母さんのメシは最高だろう」
手元がくるった二男に花瓶で殴られて昏倒した長男は、のちにタルト(※)をかじりながらそう語った。
※この街のスタンダードなタルト。いつかタタン姉妹が失敗から生み出したタルトタタンを、老舗旅館のタンタン兄弟がもう一度失敗したのをさらにごまかしたことから生まれたタルトタタンタンタン。
さて、顎がタルンタルンしたおばさんの一声で集結した謎の白装束集団に追い掛け回され続け、コランダミーは息を切らしていた。オカルトグッズでいっぱいの鞄を振り回しながら、逃げることだけを考えていた。
ひんやりした空気を、半透明の目玉が次々と漂ってきて、コランダミーの額や腹にぽよぽよ当たって跳ね返る。のけ反りながら通り過ぎた市民公園の真ん中から、気色悪いゴスペルが響いていた。ゴス・ファッションおよびゴシックロリータ・ファッションに身を包んだ若者たちが、ゴスペルのゴス担当。ペルという名前の犬がとってつけたようにペルペル吠える。余ったロリが磔にされ、火あぶりにかけられる目下にカメラ小僧が集まり、甘い香りが通りいっぱいに広がる。
というのはコランダミーの瞳に映った光景であり、実際には少し事情が違った。ゴスロリは甘ロリではない。それに彼女らはぽっちゃりだがラードでできていて、そのフリフリに火をつけたところで、こんなにもバターをたっぷり含んだ芳香を放つわけもない。これは、近くのどこかで焼かれているタルトの香りだ。
ともかく今は、この街の有機的なあらゆる情景が、コランダミーにとってはどうでもよかった。得られると思っていた優しさを得られなかったことだって、トータルではマイナスではないという一点で、どうでもよかった。謎の危険にいま晒されていることだって、昼食だけはご馳走になれたし、人形に血糖値など無い。どうでもよかった。
やがてジグザグに走った先、北向きの窓が並ぶ薄暗い住宅地の一画に差し掛かったとき、コランダミーは大きなダストボックスを見つけた――回収日:奇数日『胸糞悪いゴミ』、十の倍数日『後味の悪いゴミ』――汚い野良犬のほかに生き物の目がないことを確認して、彼女は躊躇なく、重い蓋の隙間に飛び込んだ。
暗がりでハートのふるえを数えているうちに、彼女はふと、自分の隣に誰もいないことを寂しく思った。
「うわっ」
真夜中の底を走って、ランタンと釘バットを掲げた白装束集団を振り切ってきた少年は、面食らった。ゴミ箱の蓋を開けて、思わず声が出た。
今朝方見た時はそこになかった人形が、胸糞悪いゴミの真ん中にうずまっていたからだ。そいつがまん丸いガラス玉の瞳で、こちらを見ていたからだ。
人形と言っても、子供が片手に抱えてたらかわいいくらいのやつで、気味が悪いものではない。寸胴のからだにぽってりした手足を分厚いボタンでぶら下げて、決して精巧でもないが丁寧な作りをしており、胸の大きな縫い痕のほつれから中身が少し飛び出した……。
ということは、誰かがここで踊り狂ったわけだ? どきどきしながら彼がゴミの山をひっくり返すと、しかし目当てのブツはどうやら同じところにあった。彼はこの街で集めた大切な商材を、ちょっとした都合でこんなところに押し込むしかなかったのだ。ほっとして、新聞紙にくるまれた塊を回収する。
けれどそっとダストボックスを閉め直そうとした刹那、彼はセンチメンタルを受信した。そして、奥で寒そうに縮こまっていた人形を引っ張り出した。湿気を吸った冷たい布と綿のかたまりを腕に抱いて、赤い瞳で見つめた。ほのかな寂しさを感じた。
背中に再び追って来るものの騒がしさを感じた時、夜空に向かってとんだ。