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96.人形少女冒険記 その1

「この後」

「はい」

「山ほどの偶蹄目が」

「はい?」

「走ってきます」

「……」

「きをつけてくださいね」

 ガミガミガミ!!

 そういうわけでポリョリョンカ街の往来の中、客に怒鳴られた挙句に、占いの代金もろくに受け取ることができなかった人形少女コランダミーは、ため息をついた。

 彼女は握り締めたままのオカルトグッズ『黒イドスコープ』を見下ろして、口をとんがらせた。黒イドスコープは、単に内側が鏡張りになった黒い筒だが、絶妙な角度で覗くと相手の未来が見える。それを用いて客に未来を教えるという形で、彼女は占い師を営んでいたのだけれど。

「ほんとなのに~~」

 どうこう言ってもダメなことは、彼女も理屈ではもちろん理解している。このサービス業で代価を受け取るなら、まずは客を納得させることが何より大切なのであった。ヤギの顔が嫌いだという旨を吐き散らして去っていった、かの客だっても。

 彼奴が二児の父であり、誕生日も結婚記念日も五月病のまっさかりであり、マヨラーであり、今朝は隣の豚をかまって遊んでいたらゲロを吐かれたことを言い当てたところまでは良かった。だがそれは過去の話だ。問題はそこから先の未来、たとえ無数の偶蹄目に踏みつぶされる過酷な現実が待っていたとしても、いかにそれを信じてもらえるように話せるかどうかなのだ。

 コランダミーにはその力が足りなかった。勇気も。

 今日も今日とてうまくいかない日だった。早々に午前中の営業を切り上げることに決めた彼女は、ごそごそと商売道具の数々を片付け始めた。黒イドスコープを通して自分の顔を見ることはできないため、彼女は自分の未来、例えば今日の儲けを知ることはできないのだ。

 他人に貸して見てもらえばいいって!?

「あら、やめちゃうの?」

 急に横から声をかけられた。ぱっと顔を上げて彼女が見ると、そこにいたのは脳みそが腐ったようなおばさんだった。

「あ。大丈夫です!」

 人の良さそうな笑顔を、たるんだ肉塊に貼り付けたおばさんだ。コランダミーはオカルト鞄に押し込みかけた『FREE HUGS』の看板を立てなおし、ヴェール付き河童の皿を頭に乗せなおし、再びご飯屋さん通りの石段に陣取った。普段ならこのまま、昼飯時の人々をひっかけていくところだった。

「お人形さんの占いが当たりすぎて怖いって、『近代カルト増刊号 心臓破裂! ウェストバージニア都市伝説特集』の読者投稿で見たのよ。お願いしてい~い?」

「雑誌? うれしい!」

 コランダミーは、それを名誉に感じたらしい。

 腐ったババアを植え込みの端に置いたクッションに座らせて、コランダミーは黒い筒をまっすぐ前に掲げた。そのガラス玉のような眼球の向こう、どこか遠くで、ドカドカと固いヒヅメの群れが地面を打ち鳴らす轟音が……もうすぐ……。

 もうすぐお昼だ。

「そうだ、ねえ、あなた。ウチでご飯食べてかない? 占いはあとでゆっくり……お願いしようかしら」

 ――その言葉に彼女がまぶたから筒を外す直前、黒く丸い視界の内側で、燃え上がる教会と――。

「いいんですか! ありがとうございます!」

 そしたらすごい勢いで、ふたりの横を灰色のヤギの群れが駆けていった。たくさんの人の悲鳴を背中に、見知らぬおばさんに手を引いて連れられていく、小さな女の子だった。