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91.ゴミくず論理ネス

 お天気雨が降りしきる住宅地を、吹けば飛ぶような少女がひとり、湿っぽく歩いていた。

 傘は捨てたのだ。プラちな(人名)に無理矢理借りていかれそうになって、だけど今日の少女――モリはなぜかいつも通りに渡す気が起きなくて、引っ張り返したら壊れてしまったから。

 その腹いせに、奴にダルマ落としのトンカチで叩かれてでできた新しい脛の痣は、早くもほかの無数のものに埋もれて分からなくなっていた。そうなるともう、モリときたら特に何も考えなくなる。もともと何も考えてないが、いつしか彼女は自分の身に降りかかる何もかも、消費税率引き上げを含む何もかもに対しても、そこまで深く考えなくなっていたのだからね。

 都合良く生きて何が悪いのか? 何も悪くはない! 誰かの都合のよさを被る誰かが、そこには常にいるというだけだ。

 そんなことはどこでも変わらないはずなのに、この街ではことさら痛むのはなぜだろう。

 自己責任とはなんと甘くて冷たいアイスクリン、いつしか痛みを伴う優しさが癖になる。人類みなマゾヒストです。そう思う私は、そこで枯れてる朝顔の鉢の、白い土にうもれて死にまどろむ芋虫です。

 やがてモリは一棟のアパートメントの前で立ち止まった。

 頭にモフッと生えた苔をそのままに、彼女は制服のポッケから大きなキーホルダーのついたカギを引きずり出す。管理会社のジジイから借りてきたものである。入院中に貸したノートを返してくれない友達の部屋なので、探しに入りたいのだと伝えたら、こころよく貸してもらえた。

 というのは嘘で、説明するのにさんじゅっぷんくらいかかって結局般若の形相で顔で追い出されたので、勝手に入って勝手にとってきたようだ。

 ついでに言うとノートを探しに来たというのも嘘だ。むしろ借りたままだ。

 誰かの靴跡だらけのドアを押し開けて中を覗き込むと、モリはぴたりと固まった。しかしなぜそうなったのか、彼女は自分でも分からなくなって、恐る恐る上り込んだ。

 一見して、ものが少ないわりに雑多な印象を受けたのは、家主がしばらく病院にいたせいで、あまり片づけられなかったからかもしれない。

 モリは床にいくつか落ちているダイナマイトを一本拾い上げた。部屋の隅に積まれたダンボール箱の天辺に、同じものが十本くらい突っ込まれていた。配送のラベルから、それらがパズル雑誌の懸賞品らしいことが分かるが、モリにとってはどうでもいいことだろう。箱の半分は開けられてすらおらず、あと半分はネコの爪のような引っかき傷にまみれている。

 小さな手に余るダイナマイトを、彼女はぺったんこの鞄に入るだけしまうことにした。爆弾というのは例えば借金が返せなくなった時、虚飾にまみれた自分をもう一つの人格でもって壊す時、家にゴキブリが出た時、何かをフッ飛ばせる便利なものだ。

 この街で生きていればそんなこともあるに違いない。そしてそれはそう遠くない未来のような気が彼女にはしていた。

 学校ではすでに、どこぞのアイツに目を付けられたくないがためにおとなしくしてた半端者どもが、ちょうしにのりはじめているからだ。相手がヤンママだろうと星の王子様だろうとメロンパンぶつける狂犬みたいな奴らは、今まで通りおんなしだけど、ちゃんと周りが見えてて日和ってた半端なのも、けっこういたのだから。

 そういう意味では、アイツのおかげでこの世代のか弱いのは、ちょっとは平和に勉学または一輪車に励むことができていたのかもしれない。それだって今は親を安心させる以外の何の役に立つか分からないし、仮に他の使い道があったとしても、その事実を教えてくれる人はこの街にはいないけれど。

 そんな天災か祟りのようなアイツも死んでしまったね。

 毎日のように誰かの夢が消えていく。

 よろこんでるやつと惜しんでるやつとで半々くらいであろう。学校の、この街で生まれたやつらはしばしば敵意を込めてアイツを余所者と呼んだが、そもそもの話をすれば、第二高校でも四半分くらいは外から来た子たちだ。この街にしか居場所が無いという点では、皆どっこいどっこいだと本当は分かっていたはずなのに。ただすこし運か頭が悪かったのだ。たぶん。

 ところでベッドには、ここに住んでた人は枕の上で寝てたんじゃないかってくらいに、無数の枕が積まれていた。

 相変わらず何も考えずにそこへ倒れ込んだモリは、頭に硬いものがぶつかったので、少し遅れて起き上がった。

 布袋の隙間を漁ると、お菓子か何かの四角い[四角い]■い□い◆◇四角い缶が出てきた。中身は、そのまま置いてあったらちょっと引くくらいの現金だった。

 モリは一瞬迷った後、鞄にそれをしまおうとして、でも鞄はダイナマイトでいっぱいだったので缶ごと持って行くことにした。家主が果たして何のために、いったいどうやって貯めてたのかも永遠に分からないけど、この方が通貨の流動という観点では正しいに決まってる。

 それからも彼女はしばらく、狭い部屋をのんびりマイペースにひっくり返していた。薄くほこりの積もった本棚に差し込まれた種々のメロンパンレシピ、ベッドの下にメロンパンレシピ、枕の中に丸めたメロンパンレシピ。なぜか同じものが六つもある高枝切りバサミの先っぽ。ぼろぼろに引き裂かれた、色んな上着とポエムとメロンパンレシピが詰め込まれたビニール袋。

 その一つのポッケにやっと見つけた! サイコロ。

 ちょっと嬉しそうにはにかむと、モリはお目当てのものを耳から三つも脳みその空洞に詰め込んだ。適当になんとか生きていくための、大切な乱数生成ロジックだ。

 彼女はそのまま鞄と缶を抱えて、ぺたぺた歩いてそこを出て行った。鍵を閉めなおして、借りてたノートをポストに差した時、もしかしたら「ありがと」と一言つぶやいたかもしれないが、いかんせん声が小さすぎる。

 そういや、上の階の子供が完全に存在を忘れてる朝顔の鉢植えに、気まぐれで水をくれてた夜更かしな女の子を近頃見ない。そう思う私は、その朝顔の根元の、白い土にうもれて死にまどろむ芋虫です。

 じつは本当は私もとっくに死んでるんです。大人になりたかったな。