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90.続・俺たちに明日は無い

 夜明け前の青さが特別だと感じるのは夜寝てる奴だけだ。

 そんなことはどうでもいい。まだ青いなんて時間じゃない。特別でもなんでもない時こそ頑張れる、そんなたんぽぽになれない。なれないから見ていたい。見飽きたらむしって干からびるまで本に挟んでつぶしてラミネートに閉じ込めて、雨の日の読書には……。

 真っ暗な街のどこかで。

 この時ルヅは、何があったか知らないがなぜ貴様はそんな目でオレを見るんだとでも言いたげな顔をしていた。

 さすがにそこまで複雑なのは神様にしか伝わらない。そして、おのれはいつも通りに真っ暗な目をまっすぐ逸らしはしないまま、まだ震えてる手元はガチャつかせながら、無意識のうちにカカトに体重をかけていた。その下で、つぶれてる奇形の骨精霊が全身複雑骨折して、まだギイギイ鳴いてもがいていた。

 トランの造形が嫌いなルヅではなかった。三角の耳みたいなのがついてるし、いっそ毛皮がついてたらもっと好きになれるルヅだった。ただ、殺しても殺しても死なない生き物なんて気持ち悪い、と思ってしまうルヅでもあった。

 彼は再装填した銃をまた目の前に向ける。そこに転がってるのはこわれたハチの巣だ。彼の神経系がいつでも現実を現実だと思ってないだけで、本当はそれは、彼がよく見知った少年の姿形をしているのかもしれない。コンクリートで溺死することを拒んだとしても。

「ちょと待って、ルヅ」

 そんな罪深さのかたまりが、何事もなかったみたいに起き上がり、咳き込みながら血塗れの頭をさすって何やら言おうとするので、ルヅは耳が腐りそうになった。

 そいつは彼の十年来の知り合い。同業者、薄情者、キ――持ち悪い生き物その二だ。先程ルヅが『その一』を殺してッ殺して殺すのに死ぬほど忙しいところに、幽霊のように現れた。だからルヅとしては撃ちたくなって、すでに三発くらい撃ってしまった経緯がある。

 この時ルヅは、そんなひどい目で人を見るような友達なんか死んだっていっこうにかまわないとでも言いたげな顔をしていた。

 さすがにそこまで複雑なのは神様にすら伝わらない。そして彼は、なぜそいつがバラバラに吹き飛んでないのはどうしてだろうと、心の底からしらばっくれた。

 だがそんなことはどうでもいい。

「さんをつけろよ電波野郎」

 ルヅはまた容赦なく引き金を引いた。今しがた、彼の言ってみたかったセリフ帳から一行片づけた記念にだ。それにどうせ生かしておいたところで、金輪際ヤツがタバコを買ってきてくれることは無いよう彼には思えたからだ。ならばもうどちらも要らないんだ。

 しかし再三命中してるはずの散弾は、標的にさんざん無数の傷をつくって、いくらかの血を飛び散らかしても、やはりバラバラに吹き飛ばすことはなかった。

「痛っってええよ!!」

 あげくに文句を言うキ――リウ少年だが、こちらは一方いよいよ頭痛をこじらせて、にっちもさっちもいかなくなっていた。

 内なるものに突き動かされ、ぎこちなく立ち上がったキリウの全ての傷は、またたく間に赤さを失くしていった。そしてその代わりみたいに、同じところから何かが這い出そうとしていた。夜より真っ黒くて歪で硬質な、気持ち悪い何かが。

 黒い脈のようなヒビが傷口から手足に顔に走る中、キリウは割れそうな頭に爪を立て、言い聞かせるように小声でまじないを唱えていた。怖気を堪えるためにだ。その実、目の前の人間を今すぐ引き裂いてしまわないためにだ。

 操られるみたいに宙を穿ったキリウの腕から、血糊のついていない鉛玉がいくつかこぼれ落ちた。

「化け物め」

 同時に、肌寒いくらいの路地裏で再び、銃に殺意が込められる音。

 ルヅはいい加減うんざりしていた。しかも、途端に靴の下のトランがズタボロの身体をよじって、ムリくり抜け出てしまったのだ。ハネのもげた後ろ姿が素敵な『その一』が、振り回されるような軌道を描いて塀にぶつかり、人間のふりするのが上手な『その二』にぶつかり、あと少しふらふら飛んで、ぽとりと落ちる。

 やがてこんな時間だというのに、近隣の民家から夫婦喧嘩の派手な騒音が響いてくる。残された『その二』が、ついにネジ穴から真っ二つに割れだした頭を抱えて吐き出す。

「俺のこと……バカにしてるだろ」

 もはや身体の半分を闇に食われて、人間らしさのかけらもなくなっているのに、ゾウリムシを含むこの世の大半の存在から無意識下でバカにされてきた少年の、切実な言葉だった。

「してないわけがないだろカスめ」

 そんなものを一蹴したルヅには、キリウがどこか笑っているように見えた。そうだ、電波に命令されたなんてお互い様なのだ。この世界でこの街で変な電波に命令されて生きてる。みんなそうだ。

 では何と言ってやるべきだろうか? 友達に友達を殺された友達に?

 三秒だけ迷って、ルヅは引き金に指をかけて口を開いた。

「あれな、人差し指から始めてほんとによかったよ」

 次の瞬間、彼は発砲するより速く吊られていた。

 かの黒い『何か』がキリウの頭の裂け目から爆発したみたいに飛び出して、無数にルヅを刺し貫き、ビル外壁に磔ていた。それは血を求めて被食者の内側で蠢き、繋ぎ目に入り込み、まるで侵食するように。たぶん全身の骨と肉を引きはがそうとしている。

 めちゃくちゃに軋んでいく身体とは裏腹にまだ痛みは鈍く、ルヅは、見上げてくるキリウの血走った赤い瞳の奥から、得体の知れないものに覗き返されている感覚を覚えた。

 半壊したキリウが差し出す手は、真っ黒く裂けていた。そしてその不気味に伸びる枯れ木のような指先を、どこぞの馬鹿にペンチで切り付けられた傷からねじ込まれながら、なぜかルヅは思い出した。海なんか行ったことねえと。

「…………ソレ……つまんねえ逆恨み、と……、っいうんだ」

 その言葉は果たして誰に向けられたのだろう。そこに気付いてしまったのか、男は最後に一言かろうじて、「できそこない」と付け加えられて本当によかった。そして鮮血と混じってこぼれた悪意が地面に落ちるとともに、キリウは勢いよくルヅをぶちまけた。

 少年はこの感覚をよく知っていた。忘れた幾千の思い出の中で幾百も経験してきたような気がしていた。人を殺したことなどいまさらだ。上の階の隣の隣のいやらしい人妻も彼が殺した。

 だけどそんなの彼は何にも思わない。ただ彼は、また友達を一人なくしたのだ。

 窓ガラスをたたいて汚した人間の一部にびっくりしたのか、夫婦喧嘩の声が唐突に止んだ。糸が切れたように血だまりに膝をついたキリウの横で、ケダモノの目をしたトランが、あたたかい屍を貪っていた。

 明日を迎えるために生きてるわけじゃない。まだ青いなんて時間じゃない……。