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88.カステラ一番

 夜警たちはことごとく耳から入ったカタツムリが脳みそに達し、口からタピオカのような粒粒を吐きながら、深夜アニメ談義に花を咲かせていたという。

 大病院の一室の患者が皆殺しにされたという事件、事故は、周りに無関心な人が多いこの街でもやや話題となった。野次馬で病院はいつもより賑やかになり、受付の痴女はいつも通り気だるそうにしていた。

 死んだのは六人。ベッドは五つでも、実際は一人の患者がニューハーフの愛人と一緒に寝てたとかで、そいつが巻き添えをくらったために六人だ。

 責任だ、賠償だ、そんなめんどくさいことはもちろん誰も言わなかった。死んだ患者の身の回りの人間すら言わなかったのだから、いったい誰が言うのだろうか。ただ死にかけてた人間がまとめて連れて行かれただけのことであり、それは天使の手間を考えると理にかなっている……記者の取材に応じた女性は冷淡に答えた。というかあの人借金もあったし、と去り際に漏らしたのが気がかりだが。

 ただでさえ現場の状態が凄惨だったと噂されている今回の事件だ。どうやら窓を破って室内に入り込んだと思しき、どこのものとも知れぬ野良生物兵器が事故の原因だという。ただでさえイヌとサルがくっついてるせいで精神的に不安定な生物が、満月の光に反応して自分を引き裂こうと暴れたのだ。

 そいつを駆除するために火炎放射機だの反物質粒子砲だのが持ち出され、今ではもはや、何があったのかすっかり全く分からなくなってしまったらしい。

 ところでこの病院は、入院患者を使って日常的に投薬実験を繰り返すことで開発のサイクルを早めるメソッドを実践している。かの病室の近隣の患者たちの一部が、昨日深夜に発砲音らしきものを聴いたと訴えていたが、よくある幻聴だろう。祈りの言葉をかけると皆納得してベッドへ戻っていったよ、と聖職者のハゲ。

 あくびしながら階段を降りてきたルヅは、広々とした待合室の片隅にてぼんやりしているキリウ少年を見つけた。

「何してんだ低能」

 長椅子の端っこで傷だらけの顔を上げた彼は、しかしすぐ手元に目線を落とした。そして「待ってんだ」と答えた。

「暴れたら警備員どもにフクロにされて、医者に、これは診察を受けるべきだと言われた」

「お前騙されてるぞ」

 今朝方の話だ。ごった返す廊下から警備員の制止をブチ抜いてこの少年が病室に飛び込んだ時、すでに獣狩りは始まっていたのだ。例えばその部屋では、隣の棟で極秘に研究開発を行ってるイヌとサルをくっつけたような生物兵器のエサにするため、ヒトの残骸がかき集められていた。

 ただでさえゴミのように積まれたその中に――半分が吹っ飛んだ友人の頭を見た彼は、発狂して俺に殺らせろと叫んで暴れた。おかげで文豪を含む特殊部隊員が五人がかりで彼を叩きのめして、追い出す羽目になった。

 極度のショックで記憶が飛んだキリウにとってはそれが全てだが、それは全てではない。

 かの病室の惨状に気づいた最初の関係者らによれば、ある少女ひとりの亡骸だけは他と様子が違っていたという。意図的に飛び散らかされてはいても、その実大雑把に散弾銃で一撃されただけのものばかりの中、彼女の身体だけは明らかに『壊された』形跡があったのだ。ことごとく爪を失った指先、切り裂かれた口角、刺されたノド、潰されたハート、爆発したかの如く空いた腹の大穴、ボケ老人用の鎖を巻かれてひどく内出血した左手首……。

 いくらイヌとサルがくっついたとしても、果たしてそのようなことをするだろうか? もしくは、いったい彼女は生前にどれだけの恨みを買っていたのだろうか? おのれの傾げた首になんの傷もないことに安堵しながら、彼らは二目と見られぬ少女のかけらを指示通り回収するほかなかった。

 さて、あんたこそサボテンと感応したのかとでも言いたげに、キリウはルヅをちらと見た。ちらと見て、そのやくざ者の目元の痣、切れた口元にくぎ付けになった。

 それは昨晩、ルヅがユコに襟首を引っぱられて彼女の膝頭に叩き付けられたせいでできたのだが、まさかこの治療費を請求するわけにはいくまい。だからルヅは彼の視線をまるきり無視した。そして、ポッケに入れてない方の手に下げた紙袋を彼の顔面にぶつけて、応酬した。

「勿論だ。だが今日は手前のつまらん馬鹿娘の見舞いだ」

 何が勿論なのかはよく分からないが、ルヅのポッケに入れたままの方の手には、ペンチの先で抉られた傷がシャツに隠れた肘まで走っていた。

 キリウが確認した紙袋の中身は、有名な菓子屋のカステラだった。カステラは黄色くて四角い菓子だ。

 それからルヅは、キリウのまるで周囲の人に避けられてるみたいに(避けられてる。ヤクの売人だから)空いてる隣の席に座り込んで、耳元でこう呟いた。

「貴様のせいだろうが」

 まるで作ったような、しかしそんなものを意図して作れるならぞっとするくらいの冷たい声だった。

「全部貴様が悪い。貴様が、あんな敵をむやみやたら作るような失敗作に育てたせいで、当然の結果としてあの馬鹿は死んだ。こうなる前にどうとでもやりようがあったのに、はたして貴様は放置することにしたワケだ」

 くすんだ緑色の床に紙袋が滑り落ち、内包しているものと同じく四角い箱が飛び出す。思わず立とうとしたキリウの肩を、ルヅは素晴らしい反射神経で掴んで引き戻した。この男は手がタバコで塞がってないと一事が万事こうだった。あまつさえ続けた。

「人間は過去を振り返り、未来を見据えたがる。一番大事な今を見ようとしない。本能がそうさせている。だというのに貴様ときたら、今しか見えねーひとでなしだ、そんなのに人の親なぞ務まるわけないだろうが。ガキが道を踏み外しそうになったら矯正してやるのが親というものだろうが。できそこないの貴様に拾われた時点で、あいつに確定していた未来なんだよ」

 逃がさないよう手にきつく力を入れたまま、待合室の騒がしさにちょうど埋もれる具合で、ルヅは咄嗟の悪意を完遂してみせた。飛び出しきった時、それを言われた奴がどういう顔をしていたのかは、そいつの伸びた髪のせいで判らなかった。

 今日も今日とてルヅは現実を現実だなんて思っちゃいない。だから頭で考えて口に出してるはずなのに、自分が言ってることが分からなかった。この子供のような男はただ目の前の人間に、おのれがどんなに馬鹿で愚かでくだらなくてつまらない存在であるか、それを心から伝えたいだけなのだ。

「……拾ったとか親とか、なんでみんな気にすんだ」

 一方うんざりしたようにクソコテの腕をどかし、キリウが吐き捨てる。押し付けられた言葉を気にしないフリなんてできない、ヤケクソっぽい態度にルヅは機嫌が良くなった。

「俺、ケンカしてるユコが好き、きれいでキラキラしてて、ユコは」

「貴様が好きなのはそんなものばかりだ。貴様の趣味に付き合わされてアレは死んだのだ」

 ささくれをひん剥いてるキリウをルヅはどついた。この餓鬼ときたら、目が悪いオカルトな弟を偶像化することでなんとか生きてきたし、レンタルビデオ屋に行けば言葉のわからない映画しか選んでこないのだ。

 そう、怪しい仕事ッきりろくに続かず、電波ジャック局であることを除けば何の価値もないクソ番組を愛聴し、傷だらけの暴力狂いを野放しにすることを愛とし、黒いタバコのクズ野郎に憧れたが最後諦めきれず、星を見ながら編んだ有刺鉄線をインテリアにする方法をかんがえているのだ……。

 男は笑い出した。ぎょっとした赤い目に睨まれて、ごまかすように言葉を続けたが、まだ笑っていた。

「聞いてたほどじゃねーな、弟の時は脳障害起こしてたくせに。やはり同情ひとつの拾い物か。可哀想に」

 それで貴様はコーヒーに砂糖いくつ入れるわけ、とでも聞きたげにルヅは腕を組んだ。ニコチン切れで震える手のやり場がないためだ。ルヅがユコを可哀想だと思ったのは本当だが嘘だった。

 何を言われたか理解したキリウは、サボテンに顔面叩き込んでやるよと言い返そうとしたが、違う。違うのだ。彼は壁に側頭部を叩き付けないといつも通り喋ることができないので、叩き付けて口走った。

「買い被るなよ。俺なんか、オヤっさんに言われるまで、ユコが歳のわりにはちっさくて、すごく痩せてたことにだって気づかなかったんだ。さいきんの子は細いから。同情なんて」

 また壁に頭をぶつけて、反響で向こう側に死体が埋まってると判ってしまったキリウは、ずっと手元に抱えていた袋の端をぐしゃと握り締めた。

 何かとルヅが覗くと、それは制服店のシールが貼られた贈り物だった。透明のセロハンに包まれた新品のセーラー服の真っ黒い襟は、定められた色のはずがどこか喪を思わせる。

 まるでこの街そのものだ。

「……お前もう暇だろ。それならつまらん借金取りなんか戻らないで、オレの仕事を手伝えよ」

 見られているのに気付くと、キリウはそっとカステラの紙袋を拾って、隙間にその遺品を滑り込ませた。ついぞ持ち主に渡らなかった遺品を。

 ――ルヅの言う仕事というのが何なのかを知らないキリウではない。借金取り以外に、むしろそちらが本業だとのたまうルヅが、しかしキリウを誘ってきたのは初めてのことだった。

「フン。もう金なんか必要ないってワケか。じゃあタダ働きでもいいんだぜ。オレにはわかる、お前も絶対にこっちの方が向いてる人間だろうが。友達の好意を無下にしやがって薄情者め」

 キリウは返事するのが面倒なので黙っていただけなのに、冗談ぶってるルヅに久しく人間扱いされてびっくりしていた。何かの間違いではないのか? 他人を思い通り乗せて毟ることに長けた男の言うことを、いちいち本気にしていては鬱病になってしまう。

 もちろんこの時ルヅは、染みついた平衡感覚で無意識的にそれを行っていたのだ。けれど実はそんなことするつもりは無かったのに、禁断症状のせいで。あるいはここが病院でなければ、あるいはキリウがあの夜あの駅で、あの少女に声をかけなければ……。

「あんたはよくわからん」

「わかられたくないわ気色悪い。哀れな奴め」

 それもこれも全てマリムーが見せる幻なのかもしれないが。

「あの……さ、ルヅ、トラン見なかった」

 狐につままれたような気持ちのまま目をこすりながら、キリウは本当に聞きたかったことを尋ねた。マリムーとは懐かしい概念だな、と思い馳せて。

「知るか」

「なんか見つかんなくって」

「吸ってくる」

 キリウにわざと肩をぶつけて去って行った男の手は、シャツの胸ポッケを握り潰しても足りないくらいに震えており、反対側ではペンチに刻まれたラインが熱をもっていた。

 イヌとサルが混ざったような奇声が遠くから響く。ごった返す患者の中、少年の名前はまだ呼ばれない。