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80.ルヅの夢

 なにが夢だ 全部が夢にきまってるだろカスめ

 そうだこの男はいつからか何もかもが夢だと思ってるので現実を現実と思わず生きているのだろう。

 真面目なルヅは真昼間からベランダでしゃがみこんで、傍の灰皿の上でウォッカと何かを燃やしながら、地域紙を読んでいた。そして昨晩起きたらしい幽霊騒ぎの記事に目をとめた。

 とあるアマチュアスリーピースバンドが夜の墓地でアリの巣を掘っていたところ、突然背後から水をかけられ、わけがわからないうちに卒塔婆のようなものでメチャクチャに冒涜されたのだという。金品を奪われる被害は無かったが、襲われたひとりケム氏(写真左、ギロ担当)は、「この長い前髪のせいでよく見えなかったかもしんないすけど、あれは間違いなく女の幽霊だったんすよ。マジでショックです。聖教堂から三番通りを南に徒歩十分のライブハウス『悔い改めよ』にて一週間後の午後七時~『仔羊たちの夜』が控えてるので、ケガの方は早く治していきたいです」と満面の笑みで語った――。

 ルヅは、自分だけは真面目に生きてると愚かにも思い込んでる奴が死ぬほど嫌いだとでも言いたげな顔をして、その紙束をぐしゃと握った。そしてモバイル端末からネット掲示板にゴミPOSTを投げまくる作業に戻った。

 この街では毎日のように誰かが傷つけられているし、もっと深刻で楽しい事件がいくらでもあふれている。こんなカスみたいなのは、誰も気にしないだろう。それに、本当のところは表に出てくる数十倍の人間が、じつに理不尽な理由で足蹴にされている。

 だがそういったものがまさにここ数日、狂ったように増えてるという話をご存じだろうか。この罰当たりが恐らく、その一環であるということも。

 無名バンドの売名目的の狂言とは言い切れないのだ。ライブを控えてる奴らが、飛び跳ねるための足腰が立たなくなるようなケガを故意に作れたらバカだし、フロントマンの顔面が蹴り潰されてる。何よりその夜は近隣で他に二十件は通り魔があった。そして卒塔婆で冒涜されたという奴が他にもいたのだ。

 この街でサイフをとらない通り魔は少ない。

 というかアレだ。

 あのキチガイ女だ。

 それを破滅というんだ。

 何を言っても、彼は心が痛むということがなかった。けれどこの時はほんの少し同情するような、でもやはり三十メートルは見下してるような目をして、白い巻紙をしたタバコのフィルターを強く噛んだ。

 ああ子供たちが泣いている。

 昔の友達みんなオレのこと変わったって言う

 海辺。初恋の人の頭がリボルバーになってて、例えばこっちが永久パターンなのにマッピーはマッポなどと言って、見知らぬ大男の周りをグルグル回っていた。

 ざあざあと遠い音を立てて打ち寄せる波が、ルヅの足元から細かな砂を奪ってゆく。彼は左右で違うサンダルを履いていた。タバコが湿気てて嫌な感じがする。砂浜のそこらかしこに立つ金網がここを狭くしてる。ライターの炎が、妙に指を焼くような気がする。

 顔が熱くて息苦しいのになぜ今こんなもの

「なんで白いの?」

 ……

 あんま売ってねえの黒いのは 近くの店つぶれてさ

 ……

 ……

 灰皿の上の炎の向こうに見た幻覚だった。酔ってるらしい。

 酔ってない。のんでない。

 彼は時々考える。おかしい奴がこの街に来るのか? この街にいるからおかしくなるのか? 環境で人が変わるというだけのことなのか? この街に越してきてから頭おかしくなってないか? 周りの奴全員おかしく見えるが?

 なんであの海の砂は白くない?

 オレ、海行ったことある?

 今何歳?

 宇宙って何?

 夢?

 5W1H……何?

 どっかの誰かが黒いタバコを買ってきてくれるようになって、七年目の昼だった。近頃買ってきてくれないので、ルヅの手元のそれは白かった。いつもカラ元気を振りかざしているせいで、オフとなると何一つやる気が出ない彼は、わざわざ黒いのを探してまで買わないからだ。

 あいつ本当に死んでないだろうな、ちょっと思てた。確かめる気力もないが。