ひとでなしの少年が夢を見た。
極端に色の無い夢だった。
あっても困る。
?
腕には自分の生首が抱かれていた。胴体と繋がっていたであろう箇所から軽薄な声が!
「#%@※(おはようございます)」
違った。それは湿ったような歪んだようなめちゃくちゃな響きで、とても声とは思えない声だった。なぜそれが声だと判ったのかというと、刃の切っ先が触れたみたいに心が冷たくなったせいだ。
少年。例えばキリウ少年が振り返ると、そこには獣の骸骨のような頭部をしたものが佇んでいた。その縦に開いた大きな一つきりの眼窩を埋めるものはなく、ただ奥に真っ黒い闇だけが覗いていた。
「#%@※(……おい、立ったまま寝るな! 起きろったら!)」
……だって……昨夜は、かっぱらってきた神経抑制剤を全部つめて焼いたフラッシュメモリを食って、徹底的に落ちたはず……。
「#%@※(あーもうヤダ! バカ! バカしかいねえ!)」
手のない何かに手をとられ、少年はがれきの上を引きずられていった。力の抜けた腕から転げ落ちた生首は、首の切断面から黒い液体を撒き散らして白い大地を汚した。
死んだように就寝したせいで上着も脱いでない身体が、糸で吊られたように持ち上がってゆく。気付けば彼は、素足を地面にくっつけて歩いていた。操られてるみたいに。
「#%@※(それにしてもお前みたいにアホそーなのが悪魔なんてっ、風評被害が回ってくるのはオレなんだよ! しっかりしてくれよ)」
キリウの頭には、そのぶつくさ言うおぞましい声をどこかで聴いた記憶が残っていた。ラジオだ。確かゲストがかぶったとかなんとかで、アシスタントが申し訳なさそうに……。
「#%@※(ん? もしかしてバッタ野郎くん、オレが出てたやつ聴いてないの!?)」
そうだ。かぶったとかいう、一回目のほうをキリウは聴いていない。朦朧とする意識の中、キリウが首を横に振ると、その悪魔は憤慨したみたいに頭蓋骨をゴリゴリ鳴らしていた。
そんなことはどうでもいい。それよりもなぜ、こいつに俺がバッタ野郎であることが割れているのだろうと、キリウは不思議に思った。よく分からない奴にその名で呼ばれたくはなかったし、何も知らないくせに馴れ馴れしくされて吐き気がしていた。
「#%@※(えっとオレは悪魔で、魔法で他人を不幸にするのが好きで、でも今日はお前じゃなくて……あれ、バッタ野郎くん怒ってる?)」
キリウのやぶにらみを察した悪魔は、悪気があるのか無いのか分からないが、さらに神経を逆撫でするような反応をして、雰囲気を最悪にした。
それから悪魔は、よく分からないとはなんだとか、オレはお前のことが何でも分かるぞとか、最後に食ったものを当ててやろうかとか、フラッシュメモリだなとか、余計なことをずっと喋っていた。
しばらく歩いて立ち止まった。
「#%@※(はい到着! 行きなさい。そして伝えてくれたまえ。オレを欺いたことは褒めてやる、だが悪いのはお前だし、お前はせっかくオレがアレをニャーしてやったのに、なんもしなかったヘタレだ! バカだ! そう伝えてくれたまえ)」
そして悪魔はモノクロの世界に穴を空けて、その真ん中めがけてキリウの背中を突き飛ばした。
青くて暗くて眩しいそこは、また白いがれきの上だった。文字通り糸が切れたように倒れ込んだキリウは、がれきの縁に剥き出しの四肢を切られて、傷だらけになった。
痛みににわかに覚醒した神経が、心臓をドラムセットと勘違いしているようだ。ひんやりした空気はどうやら夜明け前のもので、キリウは自分が夢の中で悪魔を名乗るものと喋っていたことを思い出す。振り返った時、そこにはモノクロの空間も悪魔の姿も無かった。
キリウが辺りを見回すと、近くに電波塔があった。世界のどこでも電波塔は同じ形をしてるというが、見慣れた気がするそれは、やはりキリウがずっと監視していた電波塔に違いなかった。
もうここへ来る必要も無くなったというのにな、と彼は首を傾げた。そして、最後に墓参りをしようと思い立って歩き出した。児童にまつわるエトセトラや花束の持ち合わせは生憎だが、踏みにじるだけでも意味があるはずだからだ。相変わらず裸足のまま、尖ったがれきの上を器用に渡る――。
ふいに彼は、電波塔の天辺に人影を見た気がした。薄闇の中であのような高所が見えるわけがないが、キリウにはそこに誰かが佇んで見えた。こんな夜明け前に電波塔に登る変態が、ここにもいたらしい。
そして電波塔の下まで来て、見上げ続けていたら引っくり返るくらいになった頃、キリウはがれきを踏み外しそうになった。かの人影が、事故か故意か電波塔の向こう側へ落ちたからだ。
また墓が増えるのか、と頭をよぎったのもつかの間。
キリウと、整然と落ちる逆さまのその人と、電波塔のあちら側とこちら側とで目が合ってしまった。それは、そいつががれきの地獄へと叩き付けられる直前に、乱雑に張り巡らされた骨組みの隙間を縫って、ほとんど奇跡のようだった。
絶望に満ちた彼の瞳をキリウは見た。
夢?
まだ金属イオンが不足してる?
色の無い空の下、彼――キリウは自分の生首を腕に抱いていたはずだ。その幼さが残る頬は黒い液体で濡れており、次に顔を上げたキリウの目の前に広がっているのは、腕の中のそれと同じ生首がいくらでも、地平線を埋め尽くすほどにごろごろと転がっている光景なのだ。現に今、そうだ。
しかし彼の無意識の問いに答えるように、モノクロの世界がどくんと震える。空が眩しいくらいの青色を取り戻した時、キリウは無数の生首が全て白髪をしていたという事実に気付いた。抱えっぱなしの生首から解き放たれた液体が、彼の腕を肘まで汚した。
思ったより顔が似てた、とはのちの彼の言葉。
端から闇の底へとピレポロしていく地平に飲まれると、落ちた先には、首とか肩とかどこから上が潰れたのか吹っ飛んだのかした、ジュンの残骸が転がっていた。
アレを……ニャーして……なんとかだって。
赤いような黒いような血に溺れたその身体を抱いて、キリウはまた落ちた。