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74.カレイドスコープの中の空

 悪魔を不老不死だなんて言って妬んだバカがいるらしい。誰に与えられたわけでもなく、異常なものが異常に生きているだけなのに。

 あれからキリウは、どうやらあっという間に電波塔の監視を辞めてしまった。最後までジュン少年には理解不能な兄だった。でも会えてよかったし、会いに来てよかったと思った。会わない方がいいんじゃないかとずっと迷っていたけど、楽しかった。

 キリウが人語とは思えぬ言葉で管理会社に宛てた電子メッセージをつづっている間、ジュンはキリウに一人旅を勧めてみた。悪魔の命が許す限り世界の果てを探してさまよい続けることが、どれだけ有効な暇つぶし方法であるかの、定量的な説明を交えて。

「俺、ユコがいるから」

 しかしどこか嬉しそうに首を振って笑った兄の返事は、つれなかった。まだ世界の果てを信じてるキリウは、あの街で性懲りもなく大切なものを見つけたらしい。

 何度目だ?

 でもジュンはキリウのそういうところが好きだった。ひどい刹那主義者。通貨を偽造する方法をいつも考えてるし、少し薄情なところもあるかもしれないけど。

 三つ子の魂百までとは甘い見通しで適当なことを言った奴がいたものだ。実際のところ悪魔は、歳をとれなくなってから、幼いままの性格を死ぬまで何百年でもひきずる。そのせいか大抵の悪魔はちょろい。大人みたいに割り切ったりウソをついたりが、どうしてもヘタだし。ちょろいし、感情に流されるし、気難しいし、モノにつられるし、節操ないし、動物拾うし。

 ……。

 傷心のジュンは暗い空の下、白い花畑の上を歩いていた。つまづきながらそんなことを考えてたら、自分のことを言ってるみたいで、寒くなってきた。

 世界の果てを探すって懐かしい響きだな、と彼は思った。ある日キリウと二人で、地平線の見える場所で語り合ったさ、この世に生きる喜びそして世界の果てのことを。夕焼け空が地面に刻んだ二つの長い影のずっと向こうに、巨大な電波塔が光を浴びて輝いていたのが、今も網膜に焼き付いている。その眩しさの中に、漠然とした恐怖を見ていたことも。

 けれどその頃ジュンはすでに、有権者と選挙区の人口に関する平等性と、自分が踏んでる白い花の実在性について疑問を抱きはじめていた。

 世界の果てなど無かった。無いと言われても諦めきれず、彼はゆうに数百年は魔法で先をサーチし続けたが、やはり地平の終わりは見つからなかった。それとも見つけなかったのだろうか? よもや世界の果てにタッチして、旅の終わりを迎えることを拒否する心も、あったのかもしれない。永遠の少年として、人生すべてを猶予期間として与えられたがために迷い、旅を続けたいと願い、挙句にジュン自身の望みが世界の果てを無くしてしまった。

 そんな説も面白くないか。

 来世は本を書こう。

 そして終わりのない旅も甘い夢と知る。

 夜露に濡れた花に足をとられて、ジュンは転びそうになった。白い花が茂りすぎて足元がよく見えなかった。旅ばかりの人生だったが、主な移動手段は列車だったので、彼は白い大地をそのまま歩くのには慣れていなかった。電波塔の監視ってやつは毎回この上を渡ってることになり、靴が壊れそうじゃないか……。

 電波塔。

 電波塔の足元に辿り着いたジュンは、はあーと息を吐いた。見上げた。白い骨を掴んで足をかけ、めんどくさいのでやっぱり魔法で宙に浮いた。アホらしかった。どこぞの電波塔フェチも、最初に登りきるまで何日もかかっていたのだ。

 空を飛ぶのは、ジュンが魔法を使えるようになって一番最初に練習した夢だった。そんなものに意味は無いと気付くまでは、とても楽しかったと彼は記憶していた。

 自分がもっとデタラメな性格だったら、こんな神経質じゃなければ、やりたいことだけやっていれば、授かった力を生かしてカステラ職人になっていたら、もしかしたら、もしかしたら。でもどうせ、自分の力で作ったわけじゃないカステラを誰かに食わせたって、いつかきっと憂鬱になるだけさ。

 ――悟った頃には電波塔のてっぺんに転がり込んでいた。柵で囲われた狭い空間に、鍵のかかった操作盤だけが設置された場所だ。気持ち悪いシンセサイザーみたいな操作盤をヘタに触って、あの街が壊れたら、キリウは悲しむだろう。だからジュンは蓋に薄く積もった白い砂に指で絵を描く以上のことはせず、柵に手をかけて世界を見下ろした。

 高さのせいか電波のせいか、意識の重さが半分くらいになったみたいで、風すらも遠く聴こえる不思議な静けさの中で見渡すと、ジュンは世界に一人きりのような感覚を覚えた。青くて暗くて明るい空に照らされて、彼方まで続く真っ白な花畑の絨毯は、ぼんやりと輝いているようだ。

 けれどこれはキリウが見ていたものとは違うのだろう、と彼は思った。

 だけどそれで充分だ、と彼は思った。

 異常な生命だ。

 ふいに喉の奥から何かが込み上げてきて、ジュンはえづいた。咄嗟に当てた手に溢れたのは、黒い液体にまみれた小さな歯車のかたまりだった。

 ……。

 もうほんと無理。こわい。

 誰か聞いてるか? そこにいるなら聞いてほしい。

 電波塔は愛以外の全てのものを与えてくれる。そういうのを受け取るための命というか、受け取れなくなれば実質的には死んでしまう。ただ、生存年数に対する正しいものを受け取れなくなってしまったのが、恐らくぼくら永遠の少年なんだ。壊れるべき時に壊れることもできず生き続け、正直なところ不安定な存在だ。なんせ永遠の思春期だ。

 悪魔がなぜ悪魔と呼ばれているかご存じだろうか。ただ長寿なだけで、あんたは他人のことをそこまで言ったりはしないだろう。でもぼくらは悪魔と呼ばれてる、なぜなら永遠の少年なんてものがいると人間関係がこじれるから。そして何より、たびたび人間の道理を理解しない凶悪な奴が現れるから。

 全員が全員そんなわけじゃないと言ってくれる人もいるけれど、残念ながらそれは悪魔という病気の末期症状なんだ。電波塔が『与えて』くれやがる人間性にまつわるものを、傷ついた命が拒否し始めた頃、それは否応なしに起こる。

 もっとも、たまたま最初にそのあたりがダメになる傾向があるだけで、あとは心も身体も順番に壊れて、いつかヒトですらなくなるだけなんだけどね。

 例えばぼくが知ってるのだと、極彩色の肉塊が動いてると思ったら、街外れの倉庫の劇薬が満たされたタンクの中に飛び込んでいったやつだね。

 このことを魔法使いのジュン以外でただ一人、ジュンに話されて知っているコランダミーは、今もどこかで生きているだろう。人形である彼女は悪魔のように壊れたりしない。そして明日には壊れだすジュンが、それもまた魔法で知っていたジュンが、そんな明日を迎えるつもりのないジュンが、地獄に落ちないことを祈ってくれているだろう。二人が出会った時から約束していたことだ。

 ここは寒すぎる。彼が震える手で握りつぶした歯車のかたまりは、ばらばらになって足元に飛び散っていった。かすかな金属音は風に飲まれて消えた。黒く汚れた両の手のひらで頬を叩いて、見てろよと誰へともなくつぶやいた。

 もうすぐ夜明けだ。青い空気に光の輪郭が走ってきて、おぞましくて美しい世界が浮かび上がる。

 末広がりの電波塔にぶつかるなよ――勢いに任せてぱっと柵を越えて、少年はできる限り遠くへ飛んだ。遥か眼下遠くの青くて白い花畑へ、頭から身を投げた。

 グッバイワールド! マイリルガール! あと兄! その他!