ああ もう三年くらい背伸びてないもんね
最近思うんだ 世界がナポリタンだったら……
靴が真っ赤になるよ
……
ごめん
なんでもない
おやすみ
――D357 すでに電波少年
ドアベルを派手に鳴らして、この喫茶店に駆け込んできた少女が、ジュン少年の隣に座っていた豚のような中年女の首根っこを掴んで、店の外へと引きずり出していった。
それからしばらく経つ。確かにあのババアは、天上界ではアコースティックギターにスケベさを見出すという文化について大声で講義を行っていたので、目に余るものがあったかもしれないが。
ジュンがシュガーポットから取り出した角砂糖をそのまま口に放り込み、やはり世界は少しずつおかしくなっている、と呟く。砂糖があまり甘くなかったからだ。そしてため息をつかないようにして、彼は自分のお茶に残りの角砂糖を全て入れた。
ところで今、ジュンの向かいで引きつった顔をして座っているのが、先述の暴行魔ユコである。
この店のウェイターは全員ともピンクのゾウのマスクをかぶっているが、この少女が一時間前までその中にいた一人であることを、彼女の絆創膏まみれの指からジュンは確信していた。そしてジュンは、彼女の顔を『キリウの中』で見て知っていた。
サービス業とは時限つきの慈悲である。わめくババアを排除した、店とは無関係の彼女。面白がって様子を見に行ったジュンが声をかけると、化粧くさい豚ひき肉をほったらかして、簡単についてきた。
「そんなに入れるの?」
彼女が遠慮がちに問うのは、角砂糖のことだ。だがジュンは不思議そうに、ティーカップの底を埋めた白いかたまりをスプーンで潰しているだけだった。
「骨精霊が人間になつくなんて、めずらしいですね」
ジュンが質問に答えるのを忘れた代わりに指差したのは、ユコが抱きかかえていたトランだった。
「拾った……んです。こいつバカでちいさくて、ほっとくとみんなイジメるから。キリウは、脚が普通のより多いって言ってた」
当のトランは、先程からずっと落ち着かなさげに、ぎいぎい鳴きながらユコを引っかいている。
――後年、ニワトリの餌に賢者の石を混ぜて砂肝を金に変える実験を行ったことで、数々の方面から批判を浴びることになった錬金術師パロクシル。若き日の彼の著書『うしろの骨精霊』によると、骨精霊は個体による知能の高低差に関わらず、他者をとても正確に見分けることができるそうだ。造形がまったく同じ双子どころか、同じネズミから作られたニ十匹のクローンまでをも完璧に識別できるという。その分析の結論として、パロクシルは「骨精霊は我々とは異なる方法で世界を見ており、時にセクシー」と述べた。
そんなもはや絶版で入手困難な本のことはどうでもいい。トランはキリウをよく咬むので、そっくりな弟も咬むかもしれない、とユコは不安だった。だからトランが逃げないように抱いていたのだが、しかしこの時ふと彼女は気付いた。トランが目の前の少年を怖がっているのだということに。
「あの、双子なんて聞いてなかったから、びっくりした」
ユコは、キリウと同じ真っ赤な瞳を見ていると、ジュンの飲み物に塩を突っ込んでやりたい気持ちになった。
「意外と似てないでしょ?」
一方のジュンは余裕ぶりながらも、ユコが飲んでるサイダーの気泡がどす黒いことを気にしていた。けれどそれは初対面の人と話したい内容ではなかったので、頑張って気にしないようにしていた。本当は彼も必死なのだ。
「似てると思うけど……」
「みんなそう言う。だがそれは、頭の中のマリムーが見せるウソで、本当のところは、ぼくらが同じ色の靴を履いてたことなんてないんです」
……。ストローを噛み潰しながらユコが考えるのは、砂埃で白くなった自分の靴のこと。いっさい客と視線を合わさないよう教育されたピンクのゾウたちが、薄い茶を片手に練り歩く真ん中で。
「ほんとにそっくりなんだけど……」
「キリウからあなたのこと聞いて、ぼくも驚いたんです。拾ってきた女の子が友達になってくれたって。その子はケンカがすごく好きだって」
「うん」
「キリウは頭がパープリンなやつでしょう。小っさい頃、天狗にさらわれて一週間も行方不明になった時すら、誰もろくに心配してくれなかった。俺もグミをプニプニするのに夢中だったけれど。あいつは何度ひどい目にあっても、どうせみんな自分より先に死んじまうことを分かっていても、やっぱり愛をさがしてるんです。だから」
ジュンはそこまでだんだん早口にまくし立てて、急に黙った。そして声がつっかえたみたいにティーカップを手に取り、中身を一気にノドに流し込んで、融け残った角砂糖のジャリジャリでむせた。しかしユコが心配する間もなく、彼は目に涙を浮かべて咳き込みながら。
「キリウの友達でいてあげてください……」
この時、本当にマリムーにとらわれていたのはジュンの方だったのかもしれない。
ユコは、弟もちょっとヘンだし疲れてるようだなと思ったが、彼の言いたいことは分かった気がしたので頷いた。そしてテーブルの塩を手に取ると、実はさっきからずっとカウンターをノコギリで切り出していた男に投げつけた。引っかき傷だらけになった彼女の腕の中で、いよいよトランが暴れ出していたが。