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47.パルミジャーノんに花束を

 考えてみれば俺は……。

 キリウ少年が深夜の電波塔の根本で頭を抱えて自己嫌悪していた。そこのロリコンの墓の隣にスコップで掘られた穴からは白い虫と共にモグラが顔を出して世界平和を訴えていたが、そんなことはどうでもいい。仮に世界中が平和になったとしても、彼の愛したものが消えてしまうならばそんな平和は彼自身が壊すだろう。

 その永遠の未成年者の傍らには、消し炭のように黒い箱が置かれていた。街中ならば夜の闇に沈んで分かりにくいであろうそれは、白いがれきの上で一際黒く見える。四十センチメートル四方ほどのでかい箱が。

 話は一日と半分くらい前に遡るがよろしいか。もっとも、ゲスなきみがなんと言おうとわたしは容赦なく善意と芝生を踏みにじるし、そうさせたのはきみだが……。

 ――キリウとパルミジャーノん君がユートピア記念病院での実りなき調査を終え、妙に頑丈な扉をくぐってシャバへ出てきた頃、街はすでに夕日すらも見送る構えに入っていた。

 少年が抱える黒い箱の上に丸めて置かれたタオルの中では、パルミジャーノん君が忙しげに転げ回っていた。彼は有機物にまみれた身体を院内の水道で洗われたばかりであった。

「きー(今オレは、虚しさと不思議なすがすがしさとの、中間くらいの心持ちだ)」

「お疲れ様」

 数時間に渡るコミュニケーション不全の末、キリウは白ネズミ語のリスニングができるようになっていた。幸いなことにパルミジャーノん君は人語を完璧に理解していたため、スピーキングを身に付ける必要はなかった。

「それで結局、これはなんなの?」

 そしてキリウは、手荷物としては大きすぎるかもしれないそれを目で指して、パルミジャーノん君にようやく尋ねる。それは病室を出る時にパルミジャーノん君がお土産と称してキリウに持たせたものであった。

「きー(だから、ブラックボックスだといってるだろう。研究室には教授の他にそれを扱えるものはいないし、いたとしてもあのような悲劇が起こっては誰も使いたがらない。折角なので君に送りたいのだ。どうか我々の感謝の気持ちとして受け取ってほしい)」

「あの、扱えるとか使うとか、これって何かに使うもんなの? 俺はゴミ箱だとおもってた」

「きー(そうだそれでいい。それはゴミ箱なのだ。転売は禁止だぞ)」

 タオルから這い出たパルミジャーノん君は、キリウが納得していなさそうな顔をしているのを見て、鼻をひくひくさせながらフォローを入れた。

「きー(いや、本当に感謝しているのだ。奴らの手がかりは見つからなかったが、それでもあの方が遺した貴重な品が見つかったことには変わりない。オレはまた別のところを探そうと思う)」

「あんた、想像してたよりずっといいやつだね。頭もすごくよくって」

「きー(こちらこそ謝らなければならないことがある。オレが君を育ちの悪そうな顔だと言ったことを、本当は気にしていたのだろう。それなのに君はオレに協力してくれたのだ。言葉も通じなかった白ネズミの頼みを聞いてくれた)」

 その言葉にキリウは、言われなきゃ思い出さなかったのにとふざけた様子で呟いた。それを聞いてパルミジャーノん君は、丸まったままのタオルをごまかすように引っ掻いていた。

 得体の知れぬ黒くて大きな箱を抱えて歩きながら、ともすれば見落としてしまうくらい小さな白ネズミと会話している少年を、街ゆく人々や警備員は訝しげに見る。育ちが悪いどころか頭がおかしい人だと思われていた。

「きー(……オレの息子には、君のような男に育ってほしいと思うよ。娘には君のような男と結婚してほしいと思う。なにか君には運命のようなものを感じるよ)」

 パルミジャーノん君が遠くを見るような目をしてそうこぼした。ずり落ちそうなタオルを壊れそうな体に巻き付けながら。

 しかし見慣れない生物の表情というのは判りづらいものである。遠くを見るような目、というニュアンスに気付かなかったキリウは急に立ち止まった。驚いて頭を上げたパルミジャーノん君の眼球が次に映したのは、耳まで真っ赤になった少年の顔だった。

 すっ飛んできた手のひら。むんずと掴まれる腹。そして暗転。

「少し考えさせてください」

 頭上から降るくぐもった声に、パルミジャーノん君は、自分が黒い箱の中に投げ込まれたのだということを知るのであった。

「き、きー!」

 そして、丸一日が過ぎた。

「お義父さん!」

 カプセルホテルの前の植え込みに隠しておいたそのブラックボックス。勢い良く蓋を開けたキリウは、箱の底で半壊している白ネズミを見て引っくり返った。

「きー(や゛あーあああ少年)」

 パルミジャーノん君は歪に発達した下半身がセロハン状になったタオルと同化し、眼窩から飛び出して自転する右目を枯れ枝みたいな前脚で抱えているという有様であった。もちろんこれは黒い箱が持つ不思議な作用――中に入れたものをどういうわけか変質させる――の結果であるが、そのようなことを無知無学無教養、なにより無関係のキリウが知る由もない。

 ひとしきりショックを受けたのち、夜なのに寝癖が付いたままのキリウは声を詰まらせながら震える手でメモ帳をめくった。そして通りの向こうの公衆電話を見つけるなり慌てて立ち上がったが、すぐに後ろからものすごい力で首を掴まれ、再び地べたに引き倒された。見ると、黒い箱の中から伸びた謎の細い触手が、彼の首に巻きついているではありませんか。

「きー!(ま、待゛て! オレのことは皆に言うな゛。オレ゛たちがここで調査していたことが『お客様は神様です』公になればばば、あの方が愛した研究室???室生た゜ちに危害が及ぶかもしれ゛ない!)」

 箱から身を乗り出したパルミジャーノん君が壊れかけの声帯でそう叫んだ。どうやらこの気色悪い肉のホースは、形を失ってゆくパルミジャーノん君が腕から放出した何らかの器官だったようだ。

「だ、大丈夫なの?」

「きー(いや……じ『五億個のサッカーボールを寄付』つは、どうやらオレはこれ以上動けそうもないのだ。だからせめて最期にもうひとつだけ、頼みを聞いてほしい。どうかオレを、大学とも何とも関係のないところに、埋めてくれないか……)」

「最期ってなに! それじゃあんたの娘とか息子とか、その、だ、旦那とか嫁になる俺もどうなるんですか!? お義父さんに何があったかしらないけど、こうなったのはもしかして、例えば過去に戻ってこれを繰り返したとして十回に十三回くらいは、俺のせいじゃ……」

「きー(気゜にするな。これは、お『キリウ君』前の気気気気気持ちを『きみをを伝説に』弄んだ、オレ『してや』への罰な『るよ』のだ……)」

「何言ってるか全然わかんない」

「きー(……そうか、教授、だ゜から、あなたは……あ゛の実験のあと、オレたちに゜……知恵のリ『おれは自分の弱さに甘える奴は嫌いだね』ンゴを……人間の言葉を……ははは……)」

 その言葉を遺し、パルミジャーノん君は死んだ。同時にキリウの首に絡んでいた赤黒い器官がどろりと融け落ち、液状になったそれは少年の服と靴と足元のコンクリートとを死の香りに染めた。

 それからキリウが泣いたりキレたりしながら数時間くらい黒い箱を抱えて歩き、ふらふらと無意識のうちに辿り着いたのが、電波塔の根元であった。

 考えてみれば俺は……。その言霊の続きはどこにも無かった。その事実こそが、自分の弱さに甘えているということなのかもしれなかった。

 この世界で人間は皆、毎日色々なことを乗り越えて、やがては自分ができることとできないことを見極めて、時には妥協しながらも少しずつ大人になる。その腕で抱えきれるだけの人生を送ってゆく。しかし永遠の子供である悪魔にはそれができない。悪魔はいつでも気付けば抱えきれないほどの何かを抱えていて、ただでさえつまらない世界を地獄に変えているのは自分自身だと気付くことすらできない。そして蜘蛛の糸を求めて届きもしない空に手を伸ばす時、その腕の中の大切なものは白いがれきに叩き付けられて粉々に壊れてしまう。この世界のどこにも大切なものがなくなるその時まで何度でも、愛に飢える永遠の餓鬼共(キッズ)はそれを繰り返す。

 そんなことはどうでもいい。暇にあかせて興味本位で銀色のリンゴに首を突っ込んだのだということが事実だとしても、キリウは自分で思い込んでいるほど強い罪悪感など覚えていなかったし、自分では気付いていないが本当は傷ついても悲しんでもいなかった。それを気にできるような繊細な神経ならば、今の今まで生きてなどいるものか。例えばそう、他人の性的嗜好に責任を持つ気も無いのにいたずらにつつくような真似をして、自殺に追い込んだロリコン野郎が、そこのがれきの下に埋まっているくらいなのだから。

 ただ彼は、好きでも嫌いでもないロリコン野郎がどうなっても知らないが、半日かけて仲良くなった白ネズミが自分のせいで死んでしまったから泣いていた。

 モグラを蹴飛ばして深呼吸して、キリウは白い虫が群がるスコップを拾って軽く振った。彼は穴を掘っていた。ネズミの死体は、深く埋めないとネコが掘り返すらしい。

 がれきは大きいものがあるから、普通のスコップではうまく掘れないよ。キリウはすごく昔、彼の弟と一緒に空から落ちてきた星を見物しに行った時、地下深く穿たれた大きな穴を見たことがあった。どこまで潜ってもがれきに覆われた世界であることを証明するかのように、そのえぐれた斜面は無表情ながれきの壁を作り出していた。ゆっくりと慎重に薄暗い穴を降りてゆき、その底から見上げた丸い空を覚えている。

 スコップの先端が必要な深度を叩いたその瞬間、彼はふと何かに気づいた。遠くからジュンがキリウの名を呼ぶ幻聴が響く。目の粘膜が痺れるような感覚がする。崩壊したパルミジャーノん君みたいに、歪に膨れ上がった自分の腕の幻覚を見る。ほんとうにそれは……がれきだけだったのだろうか?

 思い出せないので忘れた。

 少し躊躇ったのち、キリウが黒い箱を開くと、中には白ネズミとタオルを合わせた程度の体積をした透明な液体が揺れていた。その中央で小さなツメが取り残されたように半分とろけていた。彼はそのままそれを足下の穴にべちゃっと空けて、丁寧に埋め直すと、安っぽい花束を手向けた。

 後日、青枯大学某研究室に無記名の封筒に包まれたデジタルボイスレコーダーが郵送されてきたそうだが、その差出人は誰も知らない。その少し前、同研究室の教授が飼っていた六匹の白ネズミが姿を消したとされているが、彼らの行方もまた誰も知らない。無関係の少年以外は誰も。